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あわいさの茶屋  作者: 汐の音
参 名を知らぬひと

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22 生家の影

 坂道を歩く。

 普通に考えれば息が切れてもおかしくはない距離だったが、天音は疲れを覚えることもなく手を引かれ、弛く何度も弧を描く峠道を登った。


 ふと、前を行く足が止まる。

 「?」と、天音も訝しむ。


 道の両脇は、片側が里山と呼ぶには手の足りていなさそうな、光の射さない暗い雑木林。片側が崖だ。

 崖といってもえんえん、頑丈そうな柵が施してある。切り立った、低木が疎らに生えた斜面――おそらく山の中腹を削り、埋めて補強したのだろう。

 涙ぐましい労力をかけたに違いない道の右手には更に脇に逸れる坂道があり、(からす)はそこを注視していた。


「ここだ。登るぞ」


 淡々と告げる低い声。整った横顔からは、気のせいか緊張が透けて見えた。


 (――からす?)


 わずかだが、握られた手に強ばりが伝わる。


「……」


 天音は無言できゅ、きゅ、と、かれの指を二度つよく握った。やや驚いた顔で振り返る烏に、にこりと、出来るだけ穏やかに微笑む。


「大丈夫。思い出せるかどうかわからないけど。行ってみる」


「……あぁ」


 烏は思わしげに瞳を伏せた。

 が、すぐに思いきったように、再び前を向く。


 ザッと。

 珍しく足音を立てて化生の青年が脇道へと曲がり、進む。天音はそれに従った。




   *   *   *




「ここ、は……」


 乙女は絶句した。

 目の前には茶屋がある。そのままとは言いがたいが原型はまさに、あわいさの異界に建つ一軒家だ。


 ただし朽ちている。

 それは、年季の入った廃屋だった。雑草の類いは隣家によって刈られているのかさほど茂ってはいないが、瓦は半ば落ち、土壁は剥がれ、丸見えの十二畳間。よく見ると土間は地面と同化している。――(むじな)などが棲んでいてもおかしくはない。


 辺鄙な場所ではあるものの、坂の上にはひっそりと、まだ民家が二軒ほど建っている。

 洗濯物が干してあるので、人の気配はある。それが辛うじて、ここが現世(うつしよ)なのだと乙女に知らしめた。



「……荒れ放題ね。そんなに、私が死んだのは昔のこと?」


 割れたままの細かい硝子が残っていたのだろうか。ざりざりとした踏み心地の、元は玄関口だったろう場所に佇む。

 まだ手を繋いだままだった青年は、これに辟易とした表情で答えた。


「昔っつうか……まぁ、昔なんだろうけどさ。(あやかし)にとっちゃつい最近だ。見てみろ、上」


「上……?」


 くい、と顎で差し示す烏につられ、天音は首を(かし)げた。廃屋の奥まった場所の天井、その暗部へと視線を凝らす。

 昔は滑らかな飴色だったろう柱や梁は、どこもかしこも黒くくすんで、一部は無残に崩れ落ちていた。

 そういえば、床板がほとんどない。縁の下の名残となる木組みや石の基礎がむき出しだ。まるで――


 (!)


 かちり、と何かの欠片が填まる。ぼやけていた、頭の片隅を占めていた空白の虚ろが少し、確かなひやりとしたもので埋められた。


「燃えた……火事? 私、逃げ遅れたか何か、したの?」


 渋面となる烏に、じり、と迫るも答えはない。天音は焦れて青年の手を引き振り向かせ、衿合わせを掴んだ。

 なおも覗き込む乙女に根負けしたように、天を仰いだ烏は瞑目し、鬱々と呟く。


「……仔細は知らん。おそらく何か、ろくでもないことがあったんだろう。どちらにせよ、極力、俺の口からは言うべきじゃない。お前自身が自力で思い出さないと、器として受け止めきれない。そういう(たぐい)のことだ」


「私、自身――……器……?」


 断片的な鸚鵡(オウム)返しをする天音の手を、烏は再びとった。


「おいで。裏庭でも見りゃ、ちょっとは思い出すだろ」


 呆ける恋人に構わず、すたすたと歩を進める烏。天音は急に引っ張られた勢いでたたらを踏み、そういえば――と、ずっと聞きそびれていた問いを口にした。


「……ね。なんで知ってたの? 私の生家。なんで、火事があったことも知ってたの?

 烏。あんた、ひょっとして――――()()()と、()()()()()()?」


「……答える義務はないけどさ、やっぱお前って薄情だわ。こんちきしょう」


「? 何? ごめん、もう一回言って」


「べつに。大したことじゃない」


 若干、拗ねたような声音。

 珍しいこともあるな……と、つい気を逸らされた時。ちょうど足元の感触が変わった。

 下を見ると、敷き詰められていたのは粒の揃った丸い石。短い草にあちこち覆われてはいるものの、玉砂利の音がする。

 既視感に、天音はとらわれた。


 (え…………、あれ??)



 ここは、あわいさの異界か、現世(うつしよ)か?

 ふと(さかい)が混然とし、あやふやになる。


 今はいつなのか。

 生きて……いないのはわかる。

 はて、いつ死んだのか?

 わからない、ということが急に不安になり、足元を突き崩されるような恐怖に立ち(すく)む。


 天音は何ら言葉を発せず、頼りなく視線を彷徨(さまよ)わせた。裏庭は荒れ果て、伸び放題の茂みに折れた若木。涸れた池。おそらく昔日(せきじつ)の影はない。しかし、何か――……何かが引っ掛かる。


 昔は縁側だったのだろう場所にぼんやりとした天音を残し、烏はスッと庭の外れ、ひときわ目立つ巨木の元へと足を運んだ。


「あ……」


 天音は喘いだ。

 烏は、ゆっくりと振り返る。


 (!)


 先ほどよりも強烈な既視感に、側頭部を殴られるような衝撃がよぎった。


 違う、かれじゃない。

 ――いいえ、かれだ。


 かれ、とは……誰だった?



 戦慄(わなな)く唇。蒼白になる顔色。

 いやだ、こわい。

 震えはじめた乙女に、化生の青年はあっさりと追撃をもたらした。


「『なんだよ、視えるのか?』」


「!!」



 がくり、と膝をつく。

 立っていられず、遠退く意識。眼裏(まなうら)で重なるまぼろし。

 目の前の烏。在りし日の――誰か。



 くずおれる精神体としての(からだ)を自覚しつつ、天音は、頭の中の空白が誰かの手によって、真っ黒に塗りつぶされてゆくのを感じた。


 くるしく、……狂おしい。

 締めつけられるような胸の痛みとともに。

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