21 見えないものと、視えるもの
上空からではわからなかったが、一見するとただの深い緑の起伏――もこもことした木々が密集する山林に、小さな集落がある。
そこに影も落とさず、バサリ……と。
わずかな羽音のみを響かせ、草履を引っ掛けた化生の足が地に着いた。
「この辺りか、な。歩けるか? 天音」
「うん。……ありがと」
そっと、烏は抱き上げていた天音を足から降ろした。
草履越しに踏む、久しぶりの現世の土は、足の裏がふわふわとして心許ない。おまけに、ある程度予測していたものの自分には影がない。
こんこんと泣いていた気恥ずかしさもあり、天音はふい、と視線を逸らした。
――烏の胸元に涙の跡は見られなかった。かなりの量を吸わせたはずだが……
なるほど、と乙女は合点がいった。
「実体じゃないのね。……当たり前か」
「そりゃそうだろ。あそこはお前が創った場所だから、お前が念じたもの、認めたものがそれぞれ形になってた」
呆れたような恋人の声に思わず苦笑する。
――確かに、少々図々しかった。
「あ」
突如、わぁっ……! と、騒々しいと紙一重の賑々しい気配がした。
学舎からの帰路だろうか。赤と黒の箱状の鞄を背負った子どもらが数名、坂の上からこちら目掛けて元気よく駆けて来る。
ざっと周囲を見たところ、開墾できそうな地面はことごとく田圃に回し、残る傾斜を均して家屋と畑にしたような土地だ。
ここは平地から山へと果敢に分け入る峠道なのだろう。うねうねと曲線が多く、舗装はされていない。
片側が見晴らしのよい田園地帯。片側は木や雑草・野草の生い茂る山肌の斜面。……今さらだが、身を隠すところが全くない。
天音はくい、と烏の袖を引いた。
「あの、……見えないわよね? 私達」
「どうかなぁ。赤ん坊なら、視えてたりするからなぁー」
「からすっ! 悠長なこと言って、ない……で…………?」
―――ズッ……
先頭で、息弾ませて向かってきた八つほどの男児が笑顔のまま、躊躇いなく天音の鳩尾のあたりに突っ込む。
かれは、何の抵抗も感じなかったように後続の少年らと会話を交わしつつ、そのまま駆け抜けて行った。
「~~っ……!」
何とも言えない感覚に、天音は呼吸を止め、眉をひそめる。知らず、胸や腹を庇うようにみずからを抱いた。
続く二人目、三人目―――やがて全員が抜けて行ったあとも硬直は解けない。
実体はないのに冷や汗が浮かぶ。……ほんの数秒間の出来事だったにも拘わらず、胸苦しさで微動だにできなかった。
相変わらず足音の一切を消し、ふわりと烏が側に立つ。予想済み、と言わんばかりの静かな表情で――且つ、あっさりと言ってのけた。
「気持ち悪かったろ?」
「……なんで、みんな、烏は避けていったの?」
解せない。
みな、あからさまに目の前のうつくしい化生の青年だけは避けていた。
まるで、見て見ぬ振りをするかのように。
ふ、と烏は口許を綻ばせた。
いっそ、優しげに映るほどすがめた双眸にも笑みを滲ませ、一気に告げる。
「力ある妖だからだよ。無意識に、人間はそういうのに関わらないようにできてんだ。……たまーに、長じても“視える”奴がいてさ。そういう奴らは自分から突っ込んで来ることも、ままあるが」
台詞の後半。
スゥッ……と笑みを引っ込めた烏は、感情を読み取らせぬ黒瞳で天音を射抜いた。
「……?」
「ま、いい。……来いよ。確かこの上だった。道々、思い出すこともあるかも知れん。時間も限られるし急ぐぞ」
「えっ。……うん、わかった。ごめん」
いつもより機敏な烏の背を追う。
すると―――
視界には入っていなかったろうに、かれの左手が後方に向けてわずかに、そろりと差し出された。思わず天音の表情が揺れる。
(……子どもじゃ、ないんだけどな……)
内心とは裏腹に。
天音は、はにかみそうになる唇を抑え、視線を和らげると、そぅっとみずからの手指を大きな手に、絡めた。




