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あわいさの茶屋  作者: 汐の音
壱 お客さん
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1 あわいさの茶屋

 客は、すぐには来ない。

 わかっている少女は、ひとまず家の中の一番広い部屋――襖戸(ふすまど)をすべて取り払った十二畳間(じょうま)に足を運んだ。


 乱雑とまでは言わないが、整然とも言いがたい。


 (すみ)には大小の白い和紙が一畳分ほども積まれ、描き散らされた絵の数々。貼り絵も混ざったそれらは、かるた大会の如く、上手い具合に散らばっている。墨、さまざまな顔料、鉱物の粉……

 一切の道具がすべて、持ち主独自の感覚によって分類され、放置されていた。


「今日はなにを描こうか…」


 目を瞑った少女の胸のうちに、ひとつの風景が(よぎ)る。

 ――庭で遊ぶ幼子。年のころは二、三歳。柿の木の下で……――


 そこまで考えたとき。開け放した縁側の向こう、音もなく、得体の知れない気配が揺れた。


 (まぶた)を上げるまでもない。少女は難しい顔をして呟いた。


「またか……」


 ちら、と薄目を開けると、やはりある。

 ――さっきまでは生えていなかった、柿の木。

 ご丁寧に食べ頃の橙色の実が、程よくなっている。


 少女は、気にせず手ごろな白い和紙を取り、座してそれと向かい合った。




 いつから、此処にいるかは覚えていない。

 覚えている限りは、ずっといる。

 望めば現れる、こまごまとした物たち。

 この家も、すべて少女が思い浮かべた瞬間、陽炎のようにゆらりと現れた。さすがに、その時は衝撃を受けたが――


 思うまま、四つ切りの和紙に緑青(ろくしょう)で柿の青々とした葉を描く。


 (私が胸に描いた柿は、まだ実をつけていなかったんだけどな。たまにあるよね、こういう誤差)


 次は、(わらし)を描こうか。そう思ったときだった。

 ゆらり、と空気が動く――なにかの気配。





 ――来た。“お客さん”だ。


 ふ、と隣を見ると、いつの間にか愛らしい童子が座って、彼女の手元を覗いている。

 心に浮かんだ通りの子。三歳くらい……

 細く柔らかそうな髪はおかっぱで、くりくりとした黒目がちな瞳。ふっくらとして、思わずつつきたくなる頬。身に付けた着物は、簡素だが丈夫そうな、市松模様。

 だが――


「痛くない? それ、戻してあげようか?」


「……できるの?」


 いとけない口調で答えた童子の背には、深い刀傷があった。まるで、たった今切りつけられたような。

 血は垂れていない。しかしその背は、無惨なまでに真っ赤なままだった。


「たぶん」


 そう告げた少女は、淡々と筆に墨をとり、目の前の和紙に童子を描く。

 柿の木に向かって、楽しそうにちいさな手を伸ばす姿。見えるのは横顔。その背には、なんの傷もない―――……


 集中して一気に描いたからか、呼吸を忘れていたようだ。

 少女は、ふう、と詰めていた息を吐く。

 

 隣でまた、ゆらりとなにかが動く気配を感じた。――見るまでもなく、また、()()()()()()()と知っている。

 


「すごい。おねえちゃん、ありがとう……もう、いたくない!」


 隣に座る愛らしい童子の背には、(おびただ)しい血痕も刀傷も、もうない。にこにこと、嬉しそうだ。


「良かった。…ぼうや、そこの縁側で温かいお茶でも飲んでいく? 柿の実も、取ってあげる。好きなだけ」


 安堵した少女は、にこりと笑んで――営業を始めた。




   *   *   *




「はじめはね、わからなかったの。あつくて、なにか、いっぱいながれて。こわいのに、こえがだせなくて。うごけなくて……いたくて」


「うん」


「どうしてかな。ぼく、なにかいけないこと、したのかな」


 童子は不思議そうに首をひねる。柔らかな髪が、さらりと頬にかかった。手には、程よく(ぬく)い、玄米茶。何にする?と聞いたら、彼はそう答えたから。

 ――なかなか渋い……いや、お茶は渋くないけど。


 少女は脱線しそうな思考に気づき、慌てて逸れた軌道を元に戻した。


「う~ん……どうだろ。でも普通、人を。しかも、こんなに小さな子を背中から切るほうが、いけないことだよ」


「そっか」


 淡々と、二人は柿の木を見つめながら縁側に腰かけ、ぽつりぽつりと会話を交わす。

 童子の膝の上には、つやつやとした柿がふたつ。――よく、覚えていないらしいが、誰かあげたい人がいるのだと、くすぐったそうに笑っていた。


 たぶん……話から察するに、かれは誰か、わけありで地方に逃れた、時の敗残者の落胤(らくいん)だ。

 誰か、までは特定する必要はない。

 少女は、童子の髪をやさしく撫でた。


「ごちそうさまでした。ありがとう、おねえちゃん」


「どういたしまして」


 空になった、まだ温もりの残る茶器を受けとる。ことり、と反対側の床に置いた。代わりに手に取ったのは――


「…これ、あげるよ。柿、大事な人に持っていってあげな」


「…いいの?! やった!」


 渡した絵には、庭の柿の木。手を伸ばす童子の隣には、たおやかな女性の姿が描かれている。彼女は、描いても来なかった。

 ……つまりは、そういうことなのだろう。


 絵を大事そうに、ちいさな手で抱いた童子は目を閉じて―――やがて、来たときとは違い、何の予兆も気配もなく、景色に溶けるように――す、とかき消えた。




 残されたのは、かさりと座布団の上に落ちた、和紙の絵だけ。


「…ばいばい、ぼうや。もう、来ちゃだめよー」



 接客業らしからぬ呟きを零して、絵と茶器を膝の上にそっと置いた少女は、どこか遠いところを見つめるように暫くぼうっとしたあと――――「よいしょ」と、立ち上がる。



 体内時計は、まだ夜じゃない。

 また、誰か来るかもしれない。


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