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あわいさの茶屋  作者: 汐の音
弐 居候と色づく乙女
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16 荒れ狂うもの

 つんざめく悲鳴に似た、聞くだけで背筋が凍る轟音をともなう突風。辺り一帯すべてを薙ぎ倒す嵐のような何か――“夜”。


 カタカタカタ……! と、鎧戸の内側、硝子を填めた中戸が鳴った。家中が軋んで、天井からはミシミシと不穏な音がこぼれる。


 壊れるかも、なんて欠片も思っちゃいけない。()()()()は、心が弱ったときこそ勢いを増す。

 絶対、ぜったい大丈夫だと。

 そこだけは強く念じる。



 (からす)と少年をあわいさの茶屋から“力”を使って追放したあと、店主の乙女は色を変えつつある空を見上げて――急いで店じまいをした。“夜”の兆候である暗雲が、黒蛇か龍がとぐろを巻くような軌跡を描いて、うねうねと伝い来るのが山向こうに見えたからだ。


 そうして、今。

 店主は一人で家のなか、息を潜めて“夜”をやり過ごしている。


 ――どぉん!!


 ビリビリビリ……


 なにか重いものを家全体に叩きつけるような衝撃のあと、廊下や畳にまで小刻みに余波が伝う。

 予想どおり、今日のはきつい。


「……ばか」


 呟く声は、嗚咽(おえつ)と抱えた膝に埋もれて、くぐもった。もし隣にかれが居たとして……いつものように、訊き返してくれたろうか?

 とっさに浮かんだ想像に再び胸を切り裂かれ、(とど)まることを知らずに涙があふれる。


 ばか。大馬鹿。大うつけ―――追い出したのは自分なのに。

 かれの、卓越した意志と力を持ってしても、もう今までのように自由にこの異界には入れないだろうことを本能で感じ、ひたすら悔やんだ。

 頬を伝う涙は顎の辺りで冷めてしまう。反するように目が熱い。……ひりひりする。生者みたいに。


 こんな時は、泣き疲れて眠らないと“夜”はずっと暴れたままだ。


 回復しないと“朝”は来ない。

 眠れば落ち着くもの。

 こころ。精神?

 

 少年は、亡者にとっては“妄執”こそが“力”だと言外に告げていた。

 烏はそれを知っていた。


「知ってて、わざと教えてくれなかったのよね……」


 あのとき。

 決して振り返らず、天音を見ようとしなかったのはそういうこと。

 裏切られたと思うのは、それだけ……


「……信じてた私が、馬鹿みたいじゃないの!」


 言葉にすると、悲しみよりも怒りが(まさ)った。

 むかむかと肚の底から込み上げる激情を“力”に。それを声に乗せるため、すぅぅっ……と深く息を吸い込む。

 (今すぐ、ここに来なさい。あの性悪……)


 瞬間。

 かちり、と胸の中の秒針と願いの矛先が一致した。



「『(からす)』!!!」

「――おう。やっと()んだか。この馬鹿家主」


「えっ?! うそ? ……ぅむぐっ!」


 天音は、青年の声をすぐ後ろから聞いて慌てふためき振り返る。と、すかさず抱きすくめられた。痛い。鼻が潰れたし、苦しい。


 烏の力は強かった。ぎゅうぎゅうと容赦なく締めつけられる。

 手を差し入れる隙間もない。

 仕方なく青年の広い背中に腕を回し、「~~ッ!!」と、ぺしぺし叩くもすべて無視される。かつ、お構いなしに滔々と文句を言われ始めた。


「本っ当にお前ときたら。こっちの言い分は一切聞かずに吹っ飛ばすとか、どこまで理不尽な女なんだよ……。何で俺、こんな面倒な奴に惚れちまったんだ? くそっ、どうもならん!」


「烏、ちょっと待って。なんで……? ほんとに私が呼んだから来れたの?」


 腕の力が少し緩む。天音はぷはぁっ! と、息継ぎのように(おもて)を上げ、求めた化生の青年を仰ぎ見た。


 言葉のわりに、ひどく切ない顔だった。「……ひどい顔ね」と溢すと、「今のお前にだけは言われたくない」と、憮然と返される。――なるほど。


 天音は、まだ涙に濡れたままの睫毛をぱち、ぱちと瞬く。

 泣き腫らした目許を隠すように、そっと青年の着崩した衿合わせに額を当てた。

 そこまで言われては、あまり見せたくない。


 後頭部にため息が落ちてくる。


「……悪かったよ。お前が思ってるとおり、確かに俺は――隠してる。お前が知りたいだろうことを、いろいろと」


「……教えてくれる気になったの?」


「教えてもいいけどさ。お前の生前の記憶、相当ひどいよ。でなきゃこうはならんだろ」


「こう?」


 つい、顔を上げて問う。

 青年はもう、恋人の泣き顔については評することなく淡々と言葉を紡いだ。くい、と顎で屋根の上あたりを示す。

 家の外は変わらず、轟々と荒れ狂う“夜”の音。

 ……数拍遅れて、天音はハッとした。


「え。……まさか?」


「そ。お前が“夜”って呼んでるこれ………凄まじいよな。全部、切り離されたお前の“妄執”だ。お前の生前の名と記憶を核に、この異界を生み出してずっと維持してる」


「!! ――……っ」


 天音の背に、ぞくぞくっと言い様のない怖気(おぞけ)が走った。さむい。

 (だめ、言わないで)と何かが心で叫ぶ。けれど、青年の独白は止まらない。


「“天音”って名は、この異界が()()()()()()()()()()()()()()だったから。――つい、付けちまった。繋ぎ止める何かがないとお前、もう限界みたいだったからさ。……そしたら情が湧いて、この体たらくだよ、こんちくしょう」


「あ……じゃあ、ひょっとして……?」


 腕のなか、震えながら問う声は痛々しいほどに掠れている。烏は束の間、答えにくそうに目をすがめ、口を閉ざしていたが――結局ひらいた。


「外に出て、()()を受け入れたら全部揃うはずだ。お前が失った記憶も真名も……、生前のものは何もかも。そして、この異界は消えると思う。()()()()()、な」


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