13 つめたいお茶を、召し上がれ
縁側に敷いた三枚のくすんだ赤の座布団。その真ん中に、翼を消して普通の山伏姿になった少年がふて腐れたように座している。視線は遠く、山合の裾野にひろがる湖に向けられている。
「――……」
じゃり、じゃり――ぴたり。
玄関からここまで玉砂利を踏みしめて来た天音は、目についた横顔につい足をとめた。声を掛けようとしたが何となく躊躇われる。それほど少年の面差しは、烏に似ていた。
違うのは表情。
烏はあそこまで苛々としない。滅多に。
(なにを見てるんだろ。あそこ、何もないのに)
天音は一度、見に行ったことがあるからわかる。本当に何もない、ただの水だ。
空――と呼んでいいのかわからないが、はるか上空の淡く光る灰色めいたものと、けぶる灰緑の山の影をそのまま映しとったもの。ずっと凪いだままなのに淀みもせず、鏡面のごとき湖面を晒すだけ。
――便宜上、天音はそれを湖と呼んでいる。
ふたたび歩き出し、手に持った漆塗りの盆を少年の左側にカチャ、と置く。そのまま天音も左端の座布団に腰を下ろした。
舶来の品のような透明な硝子の急須は、ぽってりとした大きめなもの。そこに水で抽出した緑茶がたっぷり入っている。
茶器は小ぶりな持ち手のない形で、やはり透明な硝子。手にした急須をつ、と傾けると茶がしずかに注がれた。硝子の茶器に薄い緑色。これだけでも充分涼しげなのだが……
天音は手にした茶器に視線を定め、瞼を半ば閉じる。―――きん、という硬質な手応えとともに少しだけ《力》を使った。
「!」
それまで見事に無視を決め込んでいた少年が弾かれたように、ばっ……! と左側を向いた。
黒髪が勢いよく顔の周りに散って、一瞬で何ごともなかったかのようにサラサラと肩にかかる。
(烏の羽ばたきみたい)
ふ、と天音は笑んだ。「どうぞ」と手にした茶器をそのまま渡す。
少年は「あ……あぁ」と、どこか毒気を抜かれたような顔つきでそれを受け取った。次いで固まる。左手だけでよく冷えた茶器を持ち、視線は緑茶に浮かぶちいさな氷に縫い止めたまま。
ぼそ、と口惜しそうに溢した。
「その目。……おかしいと思ったんだ。ただの亡者にしては、妄執の気配が薄いから」
「? 私は、ただの死者だよ。あ、お茶は飲んでも大丈夫。ここは冥府ではないみたいだし、飲み食いして誰かがここから出られなくなった、なんてことはないから。
――さ、飲んで。また、あんな風に襲われちゃ敵わない。頭を冷やしなさい」
「うぅ……くそ。わかった。わかったから睨むな。あーもう、“いただきます”」
少年は、ぐっと茶器を傾けた。
天音はほっとしつつ、軽く驚いた。
烏もそうだが、この子もやはり、妙なところで行儀がいい。
天音もみずからに冷茶を淹れた。客と飲むなど滅多にないことだが――この客人は、見た目より寂しがり屋なのかもしれない。
冷たい緑茶を口に含む。
思いの外あまいな、と自分で淹れておいて感心した。ちら、と右隣を見ると少年の茶器はもう空だ。表情からも少し険が取れている。
「よかった、口に合ったみたいね。おかわりは?」
「あ、あぁ。頼………み、ます…」
モゴモゴと、実に歯切れのわるい“おかわり”に店主は吹いた。ふふふっ! と、しばらく笑ったあとで、きちんと二杯目を注ぐ。
呆然と、尚も固まる少年にそっと手渡しながら、やさしく言葉を重ねた。
「いいよ、無理に改めなくても。最初のあれはどういうこと? 話してくれるかな、坊や」
少年は、最後の部分に若干かちんと来たようだ。整った顔を苦そうに歪めている。
が、もう一々噛みついて来ることはなさそうだと、店主――妙齢の乙女姿となった天音は内心安堵した。