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あわいさの茶屋  作者: 汐の音
壱 お客さん
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9 残されるもの

 天音は、ふるふると(かぶり)を振った。失った何かを嘆いて痛む胸を押さえる。

 今は、これは、要らない。


「――あなたの、本来あるべき処を描かなきゃいけないんだよね?」


 気を取り直して、できるだけ明るく白い青年に問う。

 うっかり、人の姿を描かないようにしないと。


 (雪原、のような気がする。木立にも、雪が積もってる。向こうの山も、白。峰の間から覗く、金色(こんじき)(あさひ)……)


「おい、今の最後の言葉は口にしてはならんぞ」


「え? ……て、『あ…』はむっ!」


 ぱしん! と、音をたてて急に口を塞がれた。

 不用意に逃げられないようにか、肩も掴まれている。

 思いのほか俊敏だ。まさかあの一瞬で、縁側から廊下一本を隔てた十二畳間の(へり)まで詰められるとは思っていなかった。


「……~~っ!」


 綺羅は、(からす)より上背がある。

 ここまで近いと、かなり見上げないといけない。天音は身を(よじ)った。


 痛い、離してと涙目で訴えるまでもなく、読まれたのだろう。呆れた金の視線が突き刺さった。痛い。ちがう意味で。

 やがて、頭上から綺羅の深い溜め息が「ふぅー……」と降って、天音の前髪を揺らした。


「言うな、と含めた途端に口にするとは……お前、幼児(おさなご)か。(たち)のわるい……いいな? 本当に言うなよ? ()()()は、我の本来の名に近すぎる」


 ――それは、気づかなかった。

 少し申し訳なくなった天音(あまね)は、こくこくと頷いた。綺羅は、さんざん訝しげに少女を窺ってから、ようやく掌を外した。


「……っぷはっ! 苦しかったー! ……ごめんね、綺羅。私、どうも、思ったことをすぐ口にする癖があるみたいで。生前のことなんか、これっぽっちも覚えてないのに」


 実に、あっけらかんと天音は言った。

 言ったあとで、妙に実感が伴った。


 (そう、生きてたらこんなところに居るわけない)


「……」


「絵、描く準備するね。墨と金粉だけ、だけど」


 綺羅が、柱に寄りかかって腕を組んで、こちらを見ている。物言いたげで、気遣わしげだ。


 天音は、何かを言われる前に背を向けた。




   *   *   *




「……聞かないの?」


 準備が整ってすぐ、描き始めた。今までのような手頃な大きさではない。畳一枚ほども埋める、大きな白い和紙。――なんとなく、この冬の精は、そんなに小さなものじゃないと思えたから。


「聞かぬ」


 開け放した十二畳間で、大きな和紙を挟んで白い人外の青年が寛いでいる。

 手には、何枚もの和紙。今まで天音が描き散らしてきた絵を、一枚ずつ見ている。


 見終わっては、かさり。

 次に見るものを手にとっては、かさり。


 筆が走る音よりよほど、耳に届いた。


「聞かねばならんのは、お前だろう。なんだ? 何を聞かねばならんのかも、わからんと言うやつか?」


 コトン、と一旦筆を置いた。

 この問答は、描きながらはできない。


「そうね……正直、なんで、自分がここに居るのか分からない。ただ、ここでお客さんを迎えて、送ってあげなきゃいけない気がして――いつからかなんて、忘れた。ずっとよ」


 毎日、大抵だれかは訪れる。そして疲れた頃、“夜”が訪れる。眠りから醒めれば、また何もない空。その繰り返し。


「……茶屋をひらいたのは、気紛れ。だって、そうでもしなきゃやってられない。絵を描いてる間だけは忘れられたわ。いろんなこと。でも、そのうち覚えてなきゃいけないことまで忘れた。多分……これからも忘れる」


 淡々と、天音は溢す。

 目の前の和紙が、自らの不甲斐ない言葉で、どんどん埋まるような気さえした。



「おい、あま……。――いや、ちょっと待て」


 ふと気がつくと、綺羅がすっと立ち上がり、すたすたと廊下へ出るところだった。

 家主に断りもなく、ガラガラ……と、鎧戸を閉め始めている。手際がいい。


 天音は(ほう)けた。


「え? なんで?」


「いいから、手伝え」


「??」


 疑問ばかりが頭に浮かぶが、何か理由があるのだろうと、少女は戸締まりを始めた。縁側から草履をひっかけ、玉砂利の庭を抜けて、玄関先へ回り込む。看板と暖簾を仕舞った。


 そうして、カラカラ……と、玄関の引き戸を閉めたとき。天音の視界に影が差した。


「……綺羅?」


 顔だけで振り向くと、やはりそこには、長身の冬の精。しかし――顔が、なんとなく怖い。


「ちょっと、来い」


 返事を待たずに、やんわりと右腕をとられた。再び十二畳間へと連れ戻される。


 鎧戸を閉めきった家のなかは、暗い。

 天音は、半ば放置してあった行灯(あんどん)に火を点した。普段は、滅多に使わない。“夜”は、寝るだけだから。


 ぼんやりとした光を受けて、浮かび上がる白い青年は、やはりこの世ならざるうつくしさだ。――金色の目が、綺麗。


 はぁ……と、溜め息をついた青年は畳に直に腰を下ろした。


「まぁ、ここに座れ。お前は……本当に、無意識なのだな。厄介な奴め」


 がしがし、と髪が乱れるのも構わす掻いている。――口調のわりに、さほど嫌そうでもない。


「しかも、妙なところだけ、鋭い」


「そう?」


 すすめられた通り、隣に座る。

 言葉できちんと返事をして、天音はゆるく笑んだ。何となくだ。理由はない。


 が、次の瞬間、大きな手でかき抱かれた。

 どくん、と心臓が跳ねる。

 背に回された手が熱い。なんで? 冬のくせに。


「……お前は、喋らないほうが煩いな。口に出して言え。我は、そう長くは、お前の隣に居られん。口に出さぬと、また何かを忘れるぞ」


 ぎゅ、と抱き締められたままなので動けないが――なるほど、口なら動くか。


「ねぇ、綺羅。これじゃあ絵を描けない。あなたを、戻せないよ」


 折角、きれいに描けそうだったのに。

 薄暗くて見えなかったけど、くすり、と笑う声が聞こえた。――珍しい。


「戻さなくても良い。不本意だが、もうひとつの方法を取ることにした。これなら、余さずお前が知りたいことを得られるだろう」


 (!)


 いやな予感に、胸が、ざわりとした。

 どくん、どくんと、心臓がうるさい。

 待って。それは――!


「だめ、だめだよ! 自分から消えるとか、なし! ちゃんと絵に写させて……き、」




 最後まで、名前を呼ばせてくれなかった。




 綺羅は一瞬だけ、天音の薄い唇に自らの冷たいそれをつよく重ねて塞ぐと幻のように、ふわり、と弱い風と燐光を残して消えてしまった。


 感触だけ残して、跡形もなく。

 ちりん、と彼の鈴飾りが畳に落ちた。





 ―――天音の意識も、そのまま途絶えた。


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