元フリーター、仕事をする
2018年 11月26日 東京
耳元でアラームが鳴った。時刻を確認すると、七時だった。
なんだと呟き二度寝しようとしたところで、自分が勤め人であったことを思い出し、正治はしぶしぶ布団から出た。この年の冬はよく冷える。
冷蔵庫にあったサラダチキンをかじり、野菜ジュースをパックのままあおるだけの簡単な朝食をとり、シャワーを浴びてそそくさとアパートを出る。
正治が住んでいるのは、職場から二駅ほどの、元の世界と大差のないワンルームのマンションだった。村田が用意してくれたものだ。
「おはようございます」正治がオフィスに入ると、既に八割がた出社しており、端々からおはようと聞こえる。いい会社だ――と正治は思う。
正治のインターン先、「原広告社」は従業員五十名ほどの小さな広告会社だ。広告宣伝・イベント企画運営など幅広く手掛けており、忙しさはかつての職場にも負けないが、アットホームな雰囲気が正治にはありがたかった。
正治は村田の指示で、派遣社員という名目で一昨日から仕事をしている。二十七歳でインターンというのは無理があるのだろう。
「おっ派遣くん、今日は早いね」初日早々時間ぎりぎりで駆け込んだ正治を、主任の関がからかう。
その隣では、育児休業から復帰して間もないという吉岡が、かわいい盛りの息子の自慢を延々と周りにしている。
正治は肩をつつかれたのでふと視線を移す。同じタイミングで派遣社員として入社した川上祥子だった。長い黒髪が揺れている。
「おはよう後藤君。今日ね、夜七時から私たちの歓迎会があるらしいの。来れそう?」
「ああ、うん。大丈夫」正治が答える。タイムトラベル三日目の人間に他の予定などあるはずがない。
「よかった」祥子はにこりと笑うと、ふわりと踵を返した。柑橘系の香水が鼻をくすぐる。
正治は昨日、出会ったばかりの祥子に一目惚れしてしまった。黒髪ロングで目がくっきりとした祥子は、どこか村田と似たところがあるが、正治が惚れたのはその笑顔である。
「えっ私たち同い年なんだー。じゃあ祥子って呼んでね」その一言だけで正治は恋に落ちてしまった。残念ながら今のところ「川上さん」呼びである。
恋をするには一ヶ月では短すぎる。正治は頭では分かっていたが、一度しかないタイムトラベル、恋愛でも後悔しないようにいけるところまでいこうと決めていた。