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タイム・トラベル・パラドックス  作者: 岡田 希望
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フリーター、立ち上がる

20XX年 11月18日 東京


正治が指定されたのは、オフィス街にある喫茶店だった。こちらです、と奥のテーブルで手を上げたのは、同い年くらいの縁の大きな眼鏡をかけた女性であった。美人だが、機械のような無表情である。

 渡された名刺には、村田佳澄という名前が記されており、厚生労働省、以下長く厳めしい漢字が並んでいる。握手した左手の薬指には指輪がはめられていた。いかにも自分とは住む世界の違う人、といった感じである。

 いい暮らししてるんだろうな、正治はひとりごちる。親の顔が見てみたい。勿論いい意味で、だが。

 「この度は参加を承諾していただき、ありがとうございます」村田が深々と頭を下げる。正治は何となくきまりが悪くなり「いえ、こちらこそ」と頭を下げた。

 店員にコーヒーを二つ注文してから、村田は「では早速、本題に入らせていただきます」と居住まいを正した。

 村田は要項にもあった内容をまず確認した。タイムトラベルする時代は二〇一八年、場所は東京、期間は一ヶ月。その前に一週間ほど村田の指導の下、その時代のことや仕事内容についての研修が行われる。勤務先は広告代理店であった。村田が続ける。

 「現在と違う社会構造、技術、人々の価値観。そういった中での経験は必ず次のキャリアに活きるものであると我々も自負しております」

 正治は大きく頷いた。村田の話にはどこか説得力があった。

 「続いて注意事項です」村田が羽織っていたジャケットを脱ぐ。ふわりと柔軟剤のいい香りがした。

 注意事項は、過去と今との整合性を保つためのものだった。要するに、過去に戻って親を殺せば自分が生まれてこないという、いわゆる「親殺しのパラドックス」のように、現在が大きく変わってしまうようなことはするなということだ。

 「そして最後なんですが…」ここで村田が一つしわぶく。正治は身構えた。「自分がタイムトラベラーであることは絶対に明かさないで下さい。これを破ってしまうと永久に現在に帰ってこられなくなります」

 「するわけないじゃないですか」正治は噴き出してしまった。二〇一八年の世界で「俺はタイムトラベラーだ」と言い張る人間の姿を想像してしまったからだ。とんだ笑いものである。

 「こちらからの説明は以上となりますが、ご質問等ありますか」

 村田の説明は聞きやすく、殆ど理解することが出来た。だからこそ、聞けば聞くほど規模の大きい、社会的意義のあるもののような気がして、正治は恐る恐る尋ねてみた。

 「あのう、どうして僕なんでしょうか」

 「審査の条件に適していたからです」村田は事務的な口調で答える。

 「自慢じゃないですけど、僕には大した能力もなければ金も地位もない。そんな僕にここまでしていただけるなんて、とても信じられなくて」

 正治は言いながら情けなくなったが、これが本音である。

 村田がじっと正治を見た。「後藤さんは半年前に退職されて、現在はフリーターをされていますよね」

 「はい」

 「ご結婚はされていなくて、ええと、お付き合いされている方とかは」

 「いません」美香の顔が浮かぶ。

 「ご両親はご健在でしたでしょうか」

 「母が高校生の時に病気で死んで、父親はどこかで新しい家庭を作ってます」本当に失礼だな、と答えながら思う。

 「ですから、そういった条件が今回の応募条件を満たしていたため、ご参加をお願いしました」村田は特に悪びれるふうでもなく淡々と言った。

 多分応募してからの半年間で調べられていたのだろう。審査の条件――次第に正治も、どういうことだか分かってきた。

 だが正治は、初対面のアカの他人から言われて黙っていられるほど落ちぶれてはいないつもりだった。深く息を吸う。

 「つまり、この社会から消えても問題ない存在ってことですね」言いながら顔が熱くなってきた。村田の表情が強張るのもおかまいなしに、一気にまくし立てる。

 「さっきも言ったように、僕には能力も金も地位もない。その上あなた方が調べたように、職もないし彼女もいなければ、身寄りもない。たしかにそれなら一定期間社会から消えようが、生涯過去から戻って来れなくなろうが、誰にも心配されないし、何の問題もありませんもんね」

 「いえ、決してそのようなことではありません。誤解なされたようなら申し訳ございません」村田が頭を下げる。

 正治は怒るというよりはむしろ、悲しくなってきた。今自分が早口でまくし立てたことは全て事実である。とどのつまり怒るということは、自分が社会の歯車からこぼれ落ちた人間なのだと認めることに他ならなかった。

 「いえ、こちらこそ取り乱してすみません」正治も小さく頭を下げる。

 気まずい空気になる。店内ではジャズが静かに流れていた。

 またやってしまった――正治は、我慢の利かない自分の性格が嫌になった。

 仕事を辞めた時だってそうだ。あと一年我慢していれば、パワハラ上司と違う部署に異動出来たかもしれない。仕事も要領を得て楽しく感じたかもしれない。

 社会の歯車からこぼれた正治を作り上げたのは、紛れもなく正治自身なのだった。

 「でも、僕変わりたいんです」ポツリと切り出した。視界が歪む。正治は自分が涙ぐんでいることに気付いた。

 「今やってるアルバイトだって誰にでも出来ることだし、やりがいもない。毎日ただ、めしを食うためだけに働いてます。社会のためになることなんて何一つ出来ていない。家に帰って一人になると思うんです。ああ、このまま死んだとして誰も泣いてくれる人なんていないんだろうな、じゃあ死んじゃおうかって」

 しばし沈黙が流れる。村田が眼鏡を押し上げた。

 「大丈夫です、そのためのタイムトラベル・インターンです。あなたが再び社会に必要な人材になれるよう、私が全力でサポートさせていただきます。」村田の口調はあくまで事務的だが、やや顔が上気している。

「それに」村田が髪をかき上げた。「一番大事なのは今、あなたに変わる意志があるかどうかですから」柔らかく微笑む。

 温かい言葉に、正治は声を上げて泣きたいのをこらえた。

 「ありがとうございます。僕、頑張ります」正治はもう一度、頭を下げた。

 「それでは最後に、こちらの書類に捺印をお願いします」村田の表情が一瞬で元の無表情に戻る。その変わりように正治は内心でずっこけた。

 「二〇一八年の冬には寒波が来ます。くれぐれもお身体には気を付けて下さいね」去り際にそう言って微笑んだ村田は、正治にとって笑顔の素敵な女性に、すっかり変わっていた。

 タイムトラベルで、俺は変わろう――正治は拳を握り締め、靴を鳴らしながら駅までの道を駆けていった。もう一度開始のゴングを鳴らすかのように。


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