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タイム・トラベル・パラドックス  作者: 岡田 希望
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タイムトラベラーズ、結ばれる

 「今どこにいますか」正治の声がする。祥子は家にいることを告げた。

 「あなたに会って伝えたいことがあります。外まで出てきてくれませんか」

 正治はどうやら祥子のアパートまで走ってきたようだった。電話口の向こうから聞こえる荒れた呼吸音が、真剣さを物語っていた。

 祥子は自分の気持ちの整理がきちんとついていなかった。相変わらず「あの日」の母の声が脳髄にこだましている。変わろうと思っても、人はそう簡単に変われるものではないようだ。

 でも、ここで会わなければ、私は一生後悔する――祥子は、もう一度会いたいと思っていた正治が来てくれたという奇跡と、正治がここに来るまでに要したであろう勇気を、無下にするわけにはいかないと思った。そして、部屋を出た。

 アパートの前の通りに、正治はいた。雪の中傘も差さずに立っている。この時間は人通りもなく、まるで世界に二人きりになったような錯覚を、祥子は覚えた。

 「祥子さん」正治は祥子を真っ直ぐに見据えている。そして、あの日のように純粋な愛の告白をした。

 「俺はあなたのことが大好きです。この一ヶ月、色々なことがあったけど、あなたと会えて毎日が充実していたし、何よりも成長することが出来ました。これで会うのが最後になるかもしれないと思って、どうしてももう一度だけ伝えたくて来ました」正治の目には涙が浮かんでいる。

 「今まで本当にありがとう」正治はこぼれる涙を拭いもせず、祥子だけを見ていた。

 私もあなたのことが大好き――祥子はそう大声で叫びたかった。正治が今くれた言葉は、そのまま祥子が正治に伝えたいことでもあった。吉岡の言っていた「誰か」のことを思い出す。私にとって、この人がそうなのかもしれない。

 しかし、涙とともに祥子から出てきた言葉は「違うの」だった。

 「私も正治君のことが好き、大好き。でもね、私はあなたと一緒にはいられない。一緒にいてはいけない人間なの」祥子も涙を拭かず、正治だけを見る。

 「違う」と言いながら、祥子はまだ、自分が変わることを諦めなかった。どうしても心の中に棲む「あの日」の母を乗り越えたかった。そして祥子は、全てを正治に話すと決めた。

 父のこと、母のこと、そして「あの日」のこと――「だから、私は誰かと幸せになる権利なんてないの。あなたのことを好きだと思えば思うほど、苦しくなる…。私がまた不幸にさせてしまうから」正治から一瞬たりとも目を逸らさず、祥子は言った。

 変われたとは言えないかもしれない。心の中の母はまだ悲しげな目をしている。それでも祥子は、本気で変わろうと思った。

 正治が祥子の手を取る。正治の手のぬくもりが、祥子のかじかんだ指を温めてくれる。

 祥子の強い気持ちが正治にも届いたのかもしれない。正治も全てを話してくれた。

 職場でのいじめのこと、恋人にふられたこと、自暴自棄になっていたこと、「死にたい」と思っていたこと――「大好きな人、あなたに出逢えて、これからの人生頑張っていこうって思えた。祥子さん、あなたは俺に生きる希望を与えてくれたんだ」正治は穏やかな顔になった。

 祥子は信じられなかった。生きる希望を失っていたはずの自分が、誰かの生きる希望になっていたなんて。

 「だから、あなたが幸せになる権利がないと言うのなら、俺があげるよ」

 それは祥子にとって、今最も欲しかった言葉だった。正治の力強い言葉に、祥子の頭の中でこだましていた母の声がやんだ。

 「私…幸せになってもいいのかな」祥子は正治と、心の中の母に向かって言った。

 「二人で変えよう、未来を」正治が力強く頷く。

 お母さん――祥子は呼びかける。私を立ち上がらせようとしてくれるこの人と、私は幸せになってもいいですか。

  祥子は目を閉じた。瞼の裏に、祥子を支えてくれた人たちの姿が見える。

 「あなたが幸せを取り戻せるように、全力でサポートします」眼鏡の奥に熱い思いを灯す村田が見える。

 「祥子ちゃんが立ち上がらないと、その『誰か』は現れないのよ」優しく諭す吉岡が見える。

 そして――「祥子、絶対に幸せになりなさい。あんたの幸せが私の幸せ」

 心の中の母が、やっと、やっと、笑った。

 祥子は「あの日」以来初めて、心から晴れやかな気分だった。

 その時、正治が信じられないことを口にした。

 「俺、実はタイムトラベラーなんです」

 祥子は一瞬、頭が真っ白になった。思考が追い付かない。祥子は回りの悪い頭で、正治の言葉を反芻し、順序立てて考えた。

 正治は今、タイムトラベルで「過去」に来ている。私と未来を変えたいと言った。そして、私にタイムトラベラーであることを告げた。これの意味するところは――「永久に現在に帰ってこられなくなります」祥子は村田の言葉を思い出した。

 そして祥子はようやく、それがプロポーズと同義であることを悟った。

 心の中の母が「あなたも最高の言葉でお返ししなさい」と笑いかけてきた。

 「実は私もタイムトラベラーなの」

 正治は口を大きく開き、動揺している。

 祥子は心の中で「お母さん、これでよかったかな」と尋ねた。「よくできました」母はまるで、祥子が小学生の頃テストで百点を取った時のように褒めてくれた。

 正治も全てを悟ったようだった。祥子の肩に手を回し、二人は口づけを交わした。唇を離し、見つめ合う。

 これでもう「現在」には戻れなくなったね、村田さんにも二度と逢えないな。ありがとうって言いたかったな。祥子は誰に言うでもなく、そんなことを思った。

 「村田さん、怒るかなぁ」

 祥子が正治に笑いかける。噴き出すように正治も笑った。

 お母さん、今までありがとう。私、幸せになるよ。見ていてね――祥子は心の中の母に呼びかけたが、既にそこに母はいなかった。声も聞こえてこない。

 祥子は母のいる空を見上げて微笑んだ。

 粉雪が二人を祝福するかのように頭上を舞っていた。

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