タイムトラベラー、傷心す
2018年 11月27日 神奈川県横浜市
来てしまった――祥子は心の中で呟いた。
祥子は山下公園にいた。そこで撮られた写真がアルバムにあったからだ。海をバックに髪を風になびかせ笑う写真の中の母は、若く、美しく、とても穏やかな表情をしていた。あまり記憶に残っていない父もハンサムだった。
いつ来るのか分からない若き頃の両親を待ちながら、祥子はベンチに座って海を眺めていた。暖かい冬の午後だった。
祥子は具体的に自分が何をしたいか明確ではなかった。あるのは、ここに来て両親を一目見れば何かが変わるかもしれないという、何の確信もない、漠然とした期待だけだった。
一応観光もしようと昼前に中華街に行き、肉まんと小籠包を買い食いしたが、あまり味がしなかった。祥子は食べ終えて初めて、過去から帰っても食べられる代物だと気付いた。
冷たい風が吹いてきた。祥子は着ているコートの襟を立てる。寒くなってきた。私は何をしているんだろうかと自分に問いかける。
あと三十分で帰ろう――そう思った時、祥子は不意に声をかけられた。
「あの、写真撮ってもらってもいいですか」
間違いない、両親だ。格好が写真で見たものと同じ格好だった。
「そこの海を背景にして撮っていただきたいんですけど…」
なんてことだ――祥子は愕然とした。手掛かりにしていた写真が、まさか祥子自身で撮影したものだったとは。
「分かりました、いいですよ」断るのも不自然だと思い、にこやかに返事をする。祥子は自分と同じ歳の母親から、スマートフォンを受け取った。
両親は同じ歳の娘の前で、立つ位置がどうだの、インスタ映えがどうだの言って笑い合っている。仲睦まじさに祥子は胸が痛くなった。
「じゃあ撮りますよー」と言いながら祥子は、風がやむのを待った。本能でそうしたのだった。
撮影ボタンを押し、確認する。その写真は祥子がアルバムで見た写真とは僅かに違うものだった。
「ありがとうございます」と言って若き日の両親は去っていった。
祥子はその後ろ姿を見ながら、幸せそうな母の顔を思い出して涙がこぼれそうになった。
母は幸せだったのだ。祥子は母が不幸だったと決めつけることで、母を助けるという自分の行動を正当化しようとしていた。でもどうやらそうではなかったらしい。
もし何らかの手段で父との結婚を阻止していたとしても、母は「過去」の時点で不幸になっていただろう。祥子は中途半端に「過去」を変えようとした先ほどの自分を恥じた。
そして祥子は、ある一つの結論に辿り着いた。
私は遅かれ早かれ、母を不幸にする運命にあったのだ――祥子はこぼれ落ちた涙を拭うことなく泣いた。通行人が驚いた顔で見る。
祥子の気持ちは、「あの日」に逆戻りしていた。
暗い気持ちを抱えながら、祥子はアパートに帰ってきた。ベッドの上で、昨日の歓迎会での正治を思い出していた。誰にも優しく出来る、笑顔の素敵ないい人だと思った。
関の絡みは巧みに交わし、吉岡には息子の写真を見て可愛いと褒め、その高いコミュニケーション力で、正治の周りは常に笑顔で溢れていた。
そして私には――祥子はアパートまで送ってくれた正治の優しい笑顔を思い出した。毛布を手繰り寄せ、ぎゅっと抱きしめる。
自分が罪悪感なく生きられるのなら、あんな人と幸せになっていたかもしれない。そう思った祥子は、心の中で激しくかぶりをふった。
私は人を不幸にしてしまう人間だ。大切な人と幸せになるなんて、出来ない。
どこかから母の「邪魔をするな!」という叫び声が聞こえる気がした。
祥子は枕に顔をうずめた。今夜もまた、同じ夢を見てしまいそうだ。




