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友沼部屋奮闘記  作者: 魚屋ボーフラ
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千大王対白城 その1

 五月の夏場所で技能賞を獲得し、続く名古屋場所でも好調を維持し続けた千大王は、八日目まで五勝三敗の好成績を残していた。そして九日目、その好調さを買われた千大王はついに横綱白城(はくじょう)との対戦が組まれたのである。

 この場所の千大王の番付は西前頭五枚目。ここまで横綱はおろか大関との対戦すらまだなく、それらを飛び越えてのいきなりの角界第一人者との対戦に、発表された割を見た直後の千大王は、これはまた増田男の悪ふざけではないかと、俄には信じることすらできずにいた。

「さすがに今回ばかりは俺にも妙案はない。正々堂々とお前の相撲を取り切り、そして潔く負けてこい」

 対戦前夜、これまで節目節目の大事な取組の際は千大王に様々なアドバイスを与え、師匠であると同時に良き参謀の役割を果たしてきた友沼親方であったが、万策尽き果てたといった体でそう言った。

「……まあとにかく、あの横綱と対戦できるだけでも幸せな事ですから」

 敗北宣言とも取れる言葉を吐き出す千大王の胸の内に嘘偽りはなく、友沼親方も「うむ」と殊勝な顔で頷くしかなかった。

 天城野部屋の横綱白城は現在三十二歳。モンゴルの大草原の遊牧民として暮らし、十五歳の秋に同じモンゴル出身の先輩力士をつてに、まるで戦後日本の集団就職のように日本へとやって来た。

 当時は新弟子検査にもぎりぎりで通る程の痩せっぽちの少年だった白城が、幼少の頃モンゴルの草原で培った身体能力の高さと、いかにも聡明そうなその見た目とは裏腹の闘争心でメキメキと頭角を現し、異例のスピード出世を果たしていく。初土俵からわずか三年足らずの十九歳で関取になると、二十歳で幕内へ、そして弱冠二十二歳で横綱へと上り詰めたのである。

 横綱としての在位期間が既に十年を越え、これまで築き上げた優勝回数は三十回にもなる。このままいけば横綱としての記録を全て塗り替えてしまうだろうと言われ、歴史に名を残すことを既に約束された横綱なのであった。

 名古屋場所九日目結びの一番、舞台となる愛知県体育館は待ちに待った本場所主役の登場で、館内の空気が一瞬にして変わる。191センチ140キロ、幕内力士としては決して大型ではない色白のその身体が、土俵上では圧倒的な存在感を放つ。

 この横綱と私が、本当に対戦するのか……。

 西の土俵に上がった千大王は、自分がその横綱と対戦するのだということが、この時点になってもまだ実感が湧かずにいた。

 横綱白城は八日目まで八戦全勝と、早くも優勝争いの単独トップに立つ。そして本人はそれが当たり前とでもいうような涼しい顔で淡々と仕切りを繰り返す。しかし強過ぎる横綱にはアンチファンも数多く、館内からは千大王を後押しする声援も多く飛び交っている。

 三十二歳というのは身体を酷使する力士にとって、既にピークを過ぎた年齢だ。白城とてそれは例外ではなく、心技体とも全てにおいて充実し、異次元の強さを発揮した二十代半ば頃の強さは翳りを見せつつある。最近では新進気鋭の若手力士に体力負けする場面もしばしば見られるようになった。しかし、だからと言ってあっさりと敵の陣門に(くだ)るには、白城のプライドはあまりにも高過ぎた。

「お前はチンギス・ハーン直径の末裔であるぞ」貧しいながらも両親からはそう言われて育ち、幼少の頃からいろんな文献を読み漁り、再びの祖国の隆盛を夢見ている。そしてその一端を担うのは自分なのだと、壮大な計画を思い描いている。そのためにはただの横綱ではだめだ、一世一代の大横綱になるのだと、白城の決意は揺るぎない。必然的に横綱白城の取る相撲は、若い力の(みなぎ)る大型力士に及ばなくなった体力面を補うため、徐々に手段を選ばない取り口へと変わっていったのである。

 それが顕著に表れるのはやはり立合いである。張り手やかち上げといった荒々しい立合いも必要とあらば躊躇なく繰り出し、時には小兵力士がやるような変化技や足技、更には猫だましのような相手の意表を突く技まで繰り出すこともある。

 しかし世間は、そんな横綱には容赦なく批判の言葉を浴びせる。ことに大相撲界には、横綱審議委員会という御意見番のような機関も存在する。なりふり構わぬ相撲で白星を手にしようとする白城に対し、幾度となく「あんなものは横綱の相撲ではない」と苦言を呈するのだが、しかし当の横綱は元々小さかった身体で横綱へと上り詰めた自負もあり、「これが俺の元々の相撲の取り口だ」と、全く聞く耳を持たない。各方面から飛んでくる様々な横槍を、優勝を重ねることで強固な鎧を身に纏い、排除してきた経緯がある。

 そう、今や横綱白城は、横綱審議委員会はおろか日本大相撲協会をも下に見るほどのモンスター力士へと変貌を遂げてしまっていたのである。

 今、千大王の眼前で淡々とした仕草で仕切りを繰り返す白城の表情からは何も窺うことはできない。土俵上では常にポーカーフェイス、それが白城の信念だ。それでも千大王にとって白城とは、まさに"テレビの中のスーパースター"であり、実物のその一挙手一投足からは激しいオーラが滲み出ている。

「恐らくお前に対しては、普通の立合いをしてくると思うぞ」

 前夜の話し合いでは、友沼親方は千大王にそう告げていた。

「普通の立合い?」

「ああ、横綱より一回り以上も身体の小さなお前に対して、かち上げや張り手といった荒々しい立合いは、わざわざ繰り出す必要もなかろう。それに、スピードや技の切れ味の面でも、まだまだお前は横綱の足元にも及ばない。何よりお前の相撲は正攻法だからな。意表を突くような立合いも必要ない。真正面から正々堂々とぶつかり合い、圧倒的な実力差を見せつけようとするはずだ」

「……そうですね」

 親方の言葉は、まだ自分など横綱の敵ではないと宣告するものであり、そんなことなど先刻承知の上だと分かっていた千大王ではあったが、(こうべ)を垂れつつ頷くことしかできなかった。

「とにかく、明日の一番は勉強だと思って小細工なしで横綱の強さを体感してこい。まあ、土俵上には、五秒でも立っていられれば上出来だろう」

 項垂れる千大王を励ますように、最後に親方は明るく笑いながらそう言った。

 時間前最後の仕切り、いつものように先に両手を突いた千大王が、顔を上げて白城を待つ。

 立合いの一瞬が勝敗の大部分を決すると言われている大相撲においては、五秒間というのはとてつもなく長い時間だ。横綱が「普通の立合いをしてくる」という親方の言葉を千大王は微塵も疑うことがなく、白城の手の動きだけに視線を集めた。自分は先に両手を突き、相手の両手が下りた瞬間に足を前に運び、右の前褌を狙いにいく。それがいつもの千大王の相撲だ。いつもの立合いをし、いつもの自分の相撲を取る。難しいことは考えず、そのことだけを千大王は頭に思い描いた。

 五秒だ。そこまでは何としてでも粘ってやる。

 相手の手の動き一点に的を絞るいつものルーティンを行うことで、千大王の脳裏からは様々な雑念が消え失せ、今や集中力はピークに達しようとしている。

 対する横綱の白城はまず左手を突き、それから肩を回すような大仰な仕草で右手を少し持ち上げると、まるで着陸する旅客機の如く、ゆっくりと千大王を焦らすように土俵へと下ろしていった。

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