野々村部屋三人衆の友沼部屋周遊記 その5
盛大な拍手喝采のなか、廻し姿になった犇と千大王が久須神社の土俵に上がった。その歓声は境内の柵を越え、これは一体なんの騒ぎかと、駅前商店街にポツリポツリと現れ始めた観光客を驚かせた。
次の大阪場所、野々村部屋の犇は西前頭二枚目。対する友沼部屋の千大王は、東前頭十二枚目という番付だった。
二枚目と十二枚目。番付にすればその差は僅か十枚ということになるが、そこには天と地ほどの違いがある。
常に幕内の上位で相撲を取る犇は、プロ野球に例えるなら日本代表にも選ばれようかというスター選手だ。それに対しまだ幕内に定着しきれていない千大王は、レギュラーの座を射止め切れない控え選手といったところだろう。その実力差は歴然だった。
とは言え、こんな山奥の村の神社に作られた土俵のこけら落としのようなお披露目相撲。ムキになって取るようなガチンコ相撲ではない。その圧倒的な実力差を気にする程のことでもないはずだった。
犇といえば大相撲界きっての押し相撲力士であり、四股名が示す通りのその猛牛のような肉体は、優に千大王より一回り以上もでかい。しかし立合いからの圧力で一瞬で勝負をつけようとする押し相撲の力士は、攻防のある熱戦を繰り広げる四つ相撲の力士や、多彩な技で相手を翻弄する小兵力士と比べると、得てして不人気だ。しかもここは友沼部屋のお膝元の久須村。声援の殆どはご当地力士に向けられたもので、人々は千大王によるジャイアントキリング、大物食いを期待した。
見物客の間からは割れんばかりの千大王コールが乱れ飛ぶ。だが圧倒的なアウェイという立場も、経験豊富な犇にとっては慣れたもの。そんなことで平常心を失うようなこともなかった。
その立合い、いつものように先に両手を突いた千大王が、顔を上げて待つ。それに続いて左手を突いた犇が、顔を見ながら呼吸を合わせようとする。その見開かれた切れ長の目は、手加減はなしだとばかりに語りかけてくるかのようだった。
犇の迫力に気圧された千大王は恐怖を覚え、思わず目を泳がせた。そこには行司として土俵に上がった友沼親方が手にしている、軍配代わりの扇子があった。
つまずいたって
いいじゃないか
お相撲さんだもの
駅前の土産物屋で売られていたその扇子には、相田みつをの詩を模したような文字が描かれている。それを目にした千大王は、何故だか少しだけ落ち着くことができた。
「はっけよい!」
可愛らしいお相撲さんのイラストの描かれた軍配が返り、両者の身体が浮かび上がると同時に友沼親方の掛け声がかかった。
番付に差がある二人はこれまで本場所で対戦したことは勿論なく、千大王はかつて経験したことのない激しい体当たりを全身に受けた。それでもその当たりは犇にしてみれば、いくらかは手加減したものであったのだが、苦悶に満ちた表情の千大王は二歩、三歩と土俵際へと後退する。
土俵際、俵に両足をかけて何とか堪える千大王に、土俵の外からは悲鳴にも近い声援が飛んだ。
予想通りの防戦一方になってしまった千大王だが、その腰は低く前傾を保っており、膝から肘までが一直線上に伸びている。関取衆の中では小兵の部類に属する千大王であるが、見た目以上の重さを犇に与えていた。
「くっ……」
食いしばった犇の歯の隙間から、苦しそうな息が洩れ出た。
一気に押し出すことは無理だとみてとった犇は、素早く左足を引いて体を開き、横へといなす。
前のめりに体勢を崩した千大王はたたらを踏むように、それでも何とか持ちこたえる。すかさず後ろから襲いかかってくる犇から逃れようと、千大王は伸び上がるようにしてその背後へと回った。
土俵中央で向き直った千大王に、再び犇が突進してくる。その前褌を目がけて、千大王は首をすくめながら右手を伸ばしていく。
ここがチャンスとばかりに観客からは千大王を後押しする大歓声が沸き起こった。だが犇の動きはその上をいき、千大王が前褌に手をかけた時にはまだその上半身は伸び切った状態で、なす術もなく後退した千大王は、そのまま土俵の外へと押し出されていた。
せっかく用意してくれたおめでたい舞台に、見せ場もなく敗れた千大王はその責任を痛感し、頭を垂れながら土俵へと戻った。だが二人の実力差は村人にも観光客にも知れ渡るところであり、会場からは両者の健闘を讃える温かな拍手が沸き起こっていた。




