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友沼部屋奮闘記  作者: 魚屋ボーフラ
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野々村部屋三人衆の友沼部屋周遊記 その4

 ゆったりとした二胡のBGMが静かに流れ始め、演奏に合わせて友沼部屋の力士たちは慣れた仕草で身体を動かし始めた。

「こ、これが……?」

「太極拳……?」

 何の前触れもなく始まった太極拳体操に、最初は戸惑いを隠せない様子でいた野々村部屋の三人だが、見よう見まねでヒョコヒョコとぎこちなく身体を動かし始めた。もっともこの日は初めてこの集いに参加した村人や観光客の姿も数多く、中にはこの直前に供された乾杯の樽酒を何杯もお代わりし、未だその手にお猪口を捧げ持ったまま身体を動かし始めてフラフラになっている御仁などもいる。かえってまともに身体を動かせている人の方が少数派だった。

「おいおい、どうやって身体を動かすんだ?」

「もう、何がなんだか、訳わかんねーよ」

「こ……、こ……、こうやるのか?」

 ある高齢の男などは酔っぱらったまま無理に身体を動かそうとして周囲の人を巻き込みながら仰向けにひっくり返り、またある男はいきなり身体を動かしたものだから急速に酔いが回り、桜の木のたもとに反吐をぶちまけたりしている。通常の時とは違い、この日ばかりはお祭り騒ぎのグダグダの太極拳となっている。

 もっとも太極拳の動きは一見ゆったりしていて簡単そうに見えるが、その実、両手両足両肘両膝、あげくの果ては指先からつま先までを連動させて動かす必要があるので実に複雑だ。この日集まった多くの人間も、それは太極拳と呼ぶにはあまりにも恐れ多い、幼稚園のお遊戯とさして変わらぬ拙い動きをしていた。

 そんな中、普段はおちゃらけた友沼部屋の力士たちはみな一様に真剣な表情で呼吸を合わせて同じリズムで身体を動かし続けている。中でも友沼親方と千大王のそれは、師範と呼んでもおかしくない程の惚れ惚れするような動きだった。

「くそっ……」

 このままやられてなるものかと持ち前の負けん気を発揮した野々村部屋の三人も、さすがに普段の稽古で体幹を鍛えているだけあって、五分もするとかなりスムーズに動けるようになった。勿論、その動きにはバラつきもあり正規の動きからはほど遠いものであるが、迫力に満ちた彼ら独特の動きを確立し、必死の表情でその"太極拳もどき"を演じている。

 それから十分程が経過し、漸く二胡のBGMは静かにフェードアウトしていく。

「ふぅ~、やっと終わったか……」

 気付くと額に大汗をかいていた艮は荒い息を吐き出しながら安堵の表情を見せ、全身の緊張を解いた。

「しっ!」

 そんな艮を、兄弟子の犇が諫める。

 演奏が消えた後の広場には、それまでのざわめきが嘘のような一瞬の静寂が訪れ、そんな人々の熱量を奪い去っていくかのような強い北風が吹き抜けていった。

 友沼部屋の力士たちは直立不動の姿勢を崩そうともせずに、一陣の風が吹き抜けていった後の空を見つめたままでいる。その様子はそう、次に始まる"何か"を待っているかのようだった。

 くそっ! 次は一体、何が始まるんだ……?

 周りの様子を見ながら直立不動の姿勢をとった野々村部屋の三人は、ジリジリと歯噛みする思いでその時を待った。

「お――」

 我慢しきれずに千大王へと伸ばし掛けた艮の右手が止まる。突如として、そんな人々の緊張を一瞬にして打ち砕くかのようなけたたましいエレキギターのイントロが境内中を響き渡ったのだ。

「うわっ!」と叫んだ艮は驚きに目を見開き。

「確かこれは、吉幾三の……」と丑満は額に手をやり。

「よし、行くぞう……? 何だそりゃ?」と犇は、不機嫌そうに言った。

 そう、それは、今やこの久須村の村興しソングとしてその地位を確立した感のある吉幾三の『俺ら東京さ行ぐだ』だった。

 イントロが流れるや否や、友沼部屋の力士や村人たちの顔面はふにゃりと崩れ、両手両足腰などを振りながら、全身を使って思い思いの踊りを舞い始めた。既に太極拳の体操でしこたま身体を動かしていた彼らの動きに不自然さは微塵もなく、実にスムーズな動きで神社の御神木である楠の大木の周りを囲むように円を描くと、左回りでぐるぐると躍り始めた。

「あ、そ~れ! あ、そ~れ!」

「ソーレソーレソーレソーレッ!」

 更に彼らは、踊りながらも曲の合間合間に気持ち良さそうな合いの手まで挟み込んでくる。

「な、何だこれは……?」

 小さな頃から不良グループに属し、古くさい昭和歌謡などというものにはあえて目を背けて生きてきた犇には、それは生まれて初めて耳にする曲だった。

 どこか懐かしくもコミカルな昭和歌謡の定番曲。早口で捲し立てるように歌うその曲は、果たして真の名曲なのかどうかもよく分からない。しかし一度(ひとたび)それを耳にした者の脳裏にいつまでもそのメロディーは焼き付き、思わず誰もが口ずさみながら身体を動かさずにはいられない。それはきっと、太古の昔より日本人のDNAに組み込まれ、脈々と受け継がれてきたものなのかも知れなかった。

 呆気に取られて身動きできずにいる犇のすぐ横で、丑満はムズムズと肩を揺らし始めた。

「お、お前……」

 異変に気付いた犇が丑満の方を向く。丑満はあえて犇の視線を反らすように横を向き、小さく爪先でリズムを刻んでいる。

 その場から動こうとしない厳しい兄弟子に遠慮して同じようにその場に留まっていた丑満だが、ついにその我慢も限界に達した。(あたか)もそれは、前日のすき焼き鍋での席と同じ構図だった。

「ヒャッホゥーッ!」

 そして丑満は、右手左手更には右足までも天に突き上げるようにしてカン高い雄叫びを上げると、小躍りしながら皆の輪へと駆けていく。

「お……、俺も!」

 丑満に続いて艮も、踊りの輪に加わった。

 唖然としながら二人を見送った犇が、ボヤくように口を開いた。

「……ったく、しょうがねぇなぁ……」

 一人取り残され、ポリポリと右手の人差し指で頬をかきながら犇は、それでもゆっくりと踊りの輪へと近付いていく。しかしその常人離れした逞しい両肩は、曲のリズムに合わせて小刻みに揺れている。ちょうど長めの間奏が終わり、二番の歌詞が始まるところだった。


 ギターも無ェ ステレオ無ェ 

 生まれてこのかた 見だごとァ無ェ

 喫茶も無ェ (つど)いも無ェ 

 まったぐ若者ァ 俺一人


 踊りといっても年配者が多いため、参加者の多くは盆踊りのようなゆったりとした踊りを踊っている。しかしそこには決められた約束事がある訳でもなく、中には阿波踊りや安来節、ねぶた祭りのハネトのように跳びはねている者もいて、誰もが自由気ままに踊っている。


 婆さんと 爺さんと 

 数珠を握って空拝む

 薬屋無ェ 映画も無ェ 

 たまに来るのは紙芝居


 今どきの流行りのダンスのように、ノリノリで身体を動かす増田男や日の出山を横目に面倒臭そうに踊りの輪に加わった犇だが、プロの相撲取りになったことからも明らかなように、身体を動かすことは元々好きなのである。曲のノリに突き動かされ、気付けば激しく身体を動かしていた。


 俺らこんな村いやだ (はぁ、どしたー!) 

 俺らこんな村いやだ (はぁ、ヨイショー!)

 東京へ出るだ (あ、ソーレ!) 

 東京へ出だなら 銭コァ貯めで

 東京で馬車引ぐだ

(あ、そーしましょ、そーしましょ!

 そーしましょったら、そーしましょ!)


 村人も観光客も力士たちも、全員が一緒になって無邪気に合いの手を入れる。いつの頃からか肩肘張って生きてきた犇には、それは長い間味わったことのない新鮮な感覚だった。こんな緩い心地好さは一体いつ以来のことだろうと、犇は踊りながら少年時代のことを思い出していた。

 曲が終わると、自然とあちらこちらで拍手が起きた。もう終わりかと、心地好い高揚感に犇が酔いしれていると、次の曲をとリクエストする声が上がり、続いて『炭鉱節』が流れ始めた。

 はしゃぎ過ぎた『俺ら東京さ行ぐだ』を反省するかのように、人々はゆったりとした動きで盆踊りのように手足を動かし始めた。

 ここの連中は、いつもこんなことをしているのか……。

 そうか、こんな稽古の仕方もあったんだ……。

 抜けるような青空が広がるこんな朝には全くそぐわない歌詞ではあるが、激しい踊りで火照った身体を冷ますにはもってこいの曲だと感心しながら、犇は空を見上げて身体を動かし続けた。

『炭鉱節』が終わり丸くなった人々の輪が解けていくと、ポツリポツリと神社を後にする人の姿が現れ始めた。

 帰り支度を始めた友沼親方に、村長の山田総一郎が声を掛ける。

「なんだ友ちゃん、せっかくこんな立派な土俵があるのに、今日はここで稽古をしていかないのか?」

「う~ん、まだちょっと、外で稽古をするには寒いかな」

 朝の寒空を見上げながら考え込むように親方は言い、更に続ける。

「大阪場所から帰ったら、使わせてもらうことにするよ。それまでは、もうすぐ春休みになるんだから、村の子供たちの遊び場として開放してやってよ」

「そっか……。さすがにまだちょっと、寒いか……。まあ、無理をさせて怪我でもしたら困るしな」

 すると、そんな二人の会話を聞いていた法被(はっぴ)にハチマキ、地下足袋姿の男が近づいてきた。

「ちょっとちょっと、親方さんよ、せっかく村人のみんなが友沼部屋のためにと丹精込めて作った土俵なんだ。せめて、こけら落としじゃねえけど、一番だけでも相撲を取ってもらえねえかな?」

 男の言葉に賛同するように、周りにいた人たちも集まってきて、興味深そうな顔を覗かせた。

「う~ん、そっか……」

 期待に目を輝かす人たちの姿に、友沼親方は「どうする?」と言いながら力士たちの方を向いた。

「俺なら良いですよ」

 いの一番に声を上げたのは犇だった。

「お~っ!」

 三役経験もある幕内力士が真っ先に手を上げてくれたので、どよめきにも近い歓声が起きた。

「そうか、やってくれるか」

 そう顔を綻ばせた親方が、友沼部屋の力士たちを見回す。

 真っ先に目が合った増田男は急いで顔の前で手を交差させてバッテンマークを作ったが、鼻から親方は増田男などにこんな大役を与える積もりはない。

 親方は、その隣へと目を向けた。

「千大王、やってくれるか?」

「ええっ! 私がですか……」

 言いながら千大王は、ちらりと土佐武蔵の方へ目をやる。遠慮深い千大王にしてみれば、先輩力士を差し置いて自分のような者が、という気持ちが働いたのだ。

「何を遠慮してんだ。友沼部屋の力士代表と言えば、お前しかいないだろう」

 少し強い口調で土佐武蔵に促され、千大王は「それじゃあ……」と言いながら渋々といった按配で手を上げた。

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