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友沼部屋奮闘記  作者: 魚屋ボーフラ
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負けて楽になれ! その3

 気が付くと、土俵下に土不知(つちしらず)が転がっていた。

 あれ……? 一体、何が起きたんだ?

 肩で荒い息をしていることから、取組を終えたことは事実らしいが、その間の記憶が全くない。しかしこの状況から考えるに、どうやら自分が勝ったようだが、それで間違いないのだろうか?

 東の土俵に戻ると、半信半疑のまま勝ち名乗りを受け、土俵を下りた。

 花道を戻る途中、見覚えのある久須(くず)村の人たちの姿が見えた。

「良くやった、千大王(せんだいおう)!」

「十両昇進、おおめでとうー!」

 そんな歓声を浴びた千大王は、はっとなった。

 しまった! 親方との約束を破ってしまった!

 前夜、あれだけ固く友沼親方に誓い、この取組は負けてくると言ったのに、その約束を破ってしまった。そのことを思い出した千大王は、まるで負けた力士のように(こうべ)を垂れ、花道を下がっていった。

 友沼部屋に戻った千大王は、早く謝ろうと思い、親方の部屋に顔を出した。

「親方っ、申し訳ありませんでしたっ!」

「良くやった、千大王!」

「えっ?」

 意表を突く返答に顔を上げると、人の良い友沼親方の丸顔が、見たこともない満面の笑みで溢れかえっている。そして昨日のように再び座布団の上に胡座をかくと、向き合う形となった。

「今日の相撲は、見事だったぞ」

「えっ、でも自分は、負ける約束を破って――」

「ああ、あんなものは気にするな」

「あ、あんなもの……?」

 どうやら約束を破ったことに対するお(とが)めはないようだが、そのことを訊いてみると、

「ばか。あんな良い相撲で弟子が勝ったのに、それを怒る親方がどこにいる」

「はあ……」

「それにお前、この部屋が出来てから、初めての関取の誕生だぞ。こんなめでたいことはないだろう」と親方は、さらに浮かれた口調で、「ああ、今夜はこれから村の連中と、お前の祝賀会だ。俺は一番良いスーツを着ていくが、お前はどうする……? まあ、そんな堅苦しい席でもないから、今日のところはいつもの浴衣で良いか」と、どこまでもご機嫌な様子だ。

「ところで親方……」と千大王は、おずおずと一番気になっていることを訊いた。「自分はどうやって土不知に勝ったのですか?」

「お前、自分の相撲を覚えていないのか?」

「ええ」

「全くか?」

「全く」

「……」

 あんぐりと口を開けたまま二の句が継げないでいる親方に、千大王は、どうやったら怪しまれずに負けられるかと、仕切りの間中、途方に暮れていたことを話した。そして気が付いた時には制限時間となっていて、次の瞬間には土不知の顔が目の前に迫り、そこから先の記憶は途切れているのだと。

「ははーん、なるほどな」

 話を聞いた友沼親方は、しばらく腕組みをして考え込んでいたが、やがて悦に入ったように一人頷くとそう言った。

「え、え、何か分かったんですか?」

「え、いや、よくは分からん。だが恐らく、悩んで悩んで悩み抜いたお前の身体はまるで、金縛りにでも遭ったように硬直してしまったんだろう。そこに突然の行司の掛け声と軍配だ。それが一種の催眠術のような役割を果たしたのかもな。まあ、よくは分からんが」

「さ、さい、みん、じゅつ……?」

「ああ、そうだ。そして催眠状態に陥ったお前の身体は、普段の稽古で培われた動きを、無意識のうちにやってのけたんだな。まあ、よくは分からんが」

「そ、そんなことって……」

「あるんだな、これが。でもお前は、とても良い動きをしていたぞ。差し手争いで先手を取ると、頭を付けて土不知の上体を起こし、一気に西の土俵へ寄り切ったんだ。まさに、お前が一番得意としている相撲じゃないか」

「はあ、そうですか……」

 千大王としては何だか、自分ではない誰かが取った相撲のようで、素直には喜べない。

 その時、ドタドタと慌ただしく廊下を走る音が聞こえてきたかと思うと、勢いよく襖が開いた。

「親方ーっ、俺たちは明日も取組があるんですけど、今夜の祝賀会は参加しても良いんですか?」

 まるで子供の様にはしゃぎながら顔を出したのは、三段目の日の出山(ひのでやま)と序二段の増田男(ますだお)だった。

「こら、お前たちっ!先ずは今夜の主役である千大王先生に、おめでとうを言わんか!」

「あれっ?」

「居たんですか?」

「全くお前たちは……、居たんですか、じゃないだろう」

「あー、はいはい。千大王先生」

「おめでとうございまーす」

「こらっ、先生じゃない。これからは千大王関と呼べ」

「はーい。千大王関」

「おめでとうございまーす」

 おどけて言う二人だが、その様子から喜んでくれているのは十分伝わったので、千大王は素直に「ありがとう」と礼を言った。

「よし、今夜は皆でお祝いしよう。お前たちも明日の取組のことは忘れて、大いに飲んで唄って、場を盛り上げてくれ」

「やったー!」

 手を叩いて喜び合った二人は、「宴会だ宴会だー」と叫びながら、慌ただしく部屋を出ていった。

「よし、千大王。俺たちも早く出かける準備をしよう」

 と友沼親方は千大王を促し、二人は同時に立ち上がった。

 

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