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友沼部屋奮闘記  作者: 魚屋ボーフラ
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友沼部屋オリジナル その1

 久須駅の南口から、線路と垂直の向きに真っ直ぐ商店街が続いている。否、それは、商店街と呼ぶにはあまりにも規模の小さな、侘しい通りだった。

 最近できた何軒かの飲食店を除けば、流行りの店などは皆無で、ただ店を開けているだけという開店休業状態の個人商店や、錆びたシャッターを下ろしたままの店ばかり。昭和の終わり頃から日本全国に蔓延している、いわゆるシャッター通りだ。

 そのシャッター通りの中ほどに、小さな村営の駐車場がある。その日、一台の軽自動車がその駐車場に乗り入れた。時刻は朝の七時半。四月に入って最初の日曜日だった。

 車から降りたのは、こんな小ぶりな車ではキャパオーバーではないかと危惧するほど、どっぷりと腹の肥えた五十年配の夫婦だった。

 億劫そうに車から降りた二人は、長時間のドライブという窮屈な箱詰めから開放され、同じ様な仕草で腰を伸ばし、上空を見上げた。そこには抜けるような青空が広がり、その下を秩父連山の山容がどっしりと構え、近くの里山の斜面には、満開を迎えた桜の花が今を盛りと咲き誇っている。

「あっちだね」

 しかし二人は、思わずカメラに納めたくなるこんな風景にもさして興味を示すことがなく、そう確認し合うとゆっくり歩き始めた。

「あら、良い匂い」

 駅の方に向かって歩いて行くと、しばらくして妻の方が声を上げた。

「ああ、本当だ! この匂いは……、唐揚かな?」

「そうね。何だか……、とっても香ばしい風味。ニンニクをたくさん使っているみたい」

 美しい景色には目を奪われることのなかった二人だが、その美味しそうな匂いには、まるで腹を空かせた飼い犬のように鼻をクンクンさせながら吸い寄せられていく。その匂いは、夫婦の訪問先である家屋の玄関から漂っていた。

 『友沼部屋』と、(けやき)勘亭流(かんていりゅう)の文字で掘られた大きな表札を目にした二人は、ハッとして本来の目的を思い出した。二人は一週間前、家出同然に家を抜け出し、友沼部屋に体験入門することになった、大関秀男の両親だった。

 呼び鈴を押すと、ほどなく応対に現れたのは、これまたハッとして本来の目的を忘れそうになるほど目を引く、一人の美しい女性だった。少し丸みを帯びたスッキリとした顔に、色気のあるぼってりした唇。大関の父親は、その女性を目にした瞬間、癒し系と評される有名女優が出演するハイボールのCMを思い出していた。

 力士たちの朝食の準備をしていたその女性は、髪をひっつめにし、グレーの長袖Tシャツにパンツ姿という動きやすい恰好をしている。およそ女将というイメージとはほど遠いが、この業界では美人女将として有名な、れっきとした友沼親方の妻だった。

「あのう……、実は……」

 挨拶もそこそこに用件を切り出そうとする夫の袖口をつつき、妻は手土産の菓子折りも提げたままだと注意を促し、自分たちの素性を述べさせた。

「あっ、そうか! 平和(へいわ)君のお父さんとお母さんだったんですね。こんな田舎まで、遠い所をようこそおいで下さいました」

 そう言って嬉しそうに女将は笑顔を見せると、ちょこんと頭を下げてお辞儀をした。

「えっ? へ、平和君……?」

「あっ、そうか! まだ知らないですよね。えっと、秀男君の四股名です」

「秀男の、四股名……?」

「あっ、もちろん、まだ正式なものではないです。ただこの業界では、大関君と呼ぶのも、何だか決まりが悪くて……。何て呼んだらいいのかと、秀男君に考えてもらったんです」

「それじゃあ、秀男が自分で平和と……?」

「そうですそうです」

 そう言って女将は、また嬉しそうに笑った。

「ふ~ん……。でも普通、四股名というのは、その部屋伝統のものがあったり、親方が名付けたりするものではないのですか?」

「ええ、普通はそうだと思います。でもこの部屋には、そんな大層な伝統なんてないですし、それに親方は元々、モンゴルの出身ですから、あまり日本語には詳しくなくて、それならばと力士のみなさんに、それぞれ気に入った名前を付けるようにしてもらっているんです」

「へえ~、そうなんですか」

「でも、その結果、この部屋の力士の四股名には、個性的というか……、奇天烈なものばかりが増えてしまって、相撲協会からも指導を受けているんです。もっとちゃんとした四股名を付けろって」そう言うと女将は、指を折って数えながら「千大王でしょ、日の出山でしょ、それに増田男。それからあの額の後退したオタク君が月代(さかやき)。それにお腹の緩いお漏らし君が襁褓山(むつきやま)。ケニア人の似非(えせ)マサイ族の将威(まさい)。それから、この久須村出身の友哉(ともや)君。それから今度の平和君、と。あはは、みんな本当に個性的~」

「それで、うちの秀男は今どこに?」

 あははと笑いながら話す女将の話が一向に進まないことに痺れを切らし、大関の妻が口を挟んだ。

「あっ、あっ、ごめんなさ~い。なんか、私一人でおしゃべりしちゃって。えーとですね、この部屋のみんなは今、裏山にある神社の境内で、朝稽古の最中です」

「神社の、境内で……?」

「朝稽古の、最中……?」

 狐に化かされたような顔で二人が声を揃えるのもどこ吹く風。女将は、相も変わらぬ天真爛漫を絵に描いたようなその声で、「そうですそうです」と嬉しそうに笑った。

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