1話 命の恩人は居候
暗い、冷たい、苦しい、痛い。
はるか上空から放り出され、勢いそのままに海面に叩きつけられたレイジは、しばらくの間海中を漂っていた。なおもしぶとく彼にしがみついている男は意識を失っているようだ。腕、喉とナイフを突き刺したうえに、激しく海面に叩きつけられたのだ。おそらくすでに死んでしまったのだろう。もっとも彼自身この状況で生きているのが不思議なくらいだが、それだけ皆が彼の死を願っていたのだろうか。
この少年、レイジには不思議な能力がある。それは、右目を合わせた者の夢や願いを叶わなくさせる力だ。普段は前髪に隠れているが、隙間から覗くその目は赤く光り、瞳に映った皆の、彼には死んでほしいという願いが叶わなくなったから、彼はいつも死ぬことができなかったのだ。
ヘリコプターに乗せられて数時間、とうに彼のいた街からは離れていたはずだが、彼は今生きている。つまり、彼には死んでほしいという街の皆の願いが叶わなかったということだ。彼を拉致した2人の男は自分が助かりたいと願うばかりで、彼を殺したいとは思っていなかった。もっとも、男たちは彼の力を利用するつもりだったために彼に死んでもらうと困るようだったが。
どれだけ街から離れても、彼の死を望む者から離れても、彼に死んでほしいと思う人がいる限り、彼は死ぬことができない。おそらくこれがこの能力、悪夢の瞳に備わる縛りなのだろう。
そんな彼を救ったのは、1つの島と1人の少女だった。深夜にもかかわらず海岸を歩いていた彼女はこの海岸を担当するライフセーバーであり、トレーニングを兼ねて夜の海をパトロールしていたという。レイジが着ているのは彼女には見覚えのない制服、今日海に来た客でもないことから、彼女はすぐにレイジが外部の人間だと分かった。応急処置をするため、彼女は彼を背負い、海の家に向かっていった。
他に誰もいない海の家、いるのはレイジを助けた少女のみ。全体的に小柄で、肩まで届くピンク色の髪、水色のパーカーを羽織った中学3年、レイジと同じく卒業したばかりの女の子。彼女によるともうじき同業者が3人来るようだ。2人きりで取り調べを受けるレイジは、ずぶ濡れの制服を手際よく脱がされありったけの毛布を巻きつけられた状態でストーブの前に座らせられていた。
「ちょっと質問いいかしら。あなたはドリームアカデミー中等部3年生、6月18日生まれの15歳、三門玲司くんで合ってる?」
学生手帳は残っていたのか。身元確認の際に服の中を漁られ、素性が知られてしまったのは失敗かもしれない。かといってこの状況で嘘をつく意味もないので、レイジは黙ってうなずいた。彼にとっての問題はここからだ。
「そう、レイジくん。あなたはどうして制服で海岸に流されていたの? それもこんな夜中に。それに一体、どこから来たの? その体の傷は何なの?」
時刻は0時30分、ついさっきまで意識を失っていたのもあって、レイジは彼女の言葉が何一つ頭に入ってこなかった。しかし彼は彼女の質問に、1つ1つ正直に答えていく。
レイジのもつ能力はもう1つある。
それは、他人の思考を読み取ることである。目の前だけでなく、近くならば見えないところにいても読み取れる。子どもだろうと大人だろうと、彼を虐めたり殺そうとしたりする者たちの陰謀にも、すぐに気づき対応することができたのだ。
彼女の質問を聞きそびれていても、彼女が考えていたからそれをもとに答えることができた。もし彼女が、質問した途端に聞いたことを忘れてしまうような人だったらそうもいかなかったのだが。
いきさつを聞いた彼女は、完全に面を食らっていた。思考が追いつけていない隙にレイジは話を持ちかけようとしたが、ちょうどそのとき2人の男と1人の女が入ってきた。彼女が電話して呼び出していた、同業者だった。レイジは彼女含めた4人に、改めて今の状況を説明した。
彼らの心を読み取る限り、ドリームアカデミーという学校のことはほとんど知らないらしい。情報をもっているのは彼女のみで、その情報というのは3年前、この街で開催されたバスケットボールの大会で全国優勝した学校だということだけ。ドリームアカデミーもといこの島の外部の情報は、島の住人に伝わってこないようだ。
これはレイジにとって好都合だった。
彼のことは誰も知らない。ならば彼を傷つけるものはいない。彼にとって居心地の良い世界に違いない。そう考えた彼は、さっき持ちかけようとした話を、改めて4人の前で伝えてみた。
「とりあえず、しばらく俺をここに住まわせてくれ。」
4人の頭にはてなが浮かび、しばし沈黙が続く。レイジは続けて詳細を伝えようとした。
「だから、こいつとあんたらの家に俺を住まわせてくれ。」
少女を指さし、3人の大人のほうを向いてそう言ったレイジに少女は困惑したようだった。
「ちょっとあんた、勝手に何を……」
少女の言葉を遮り、レイジは3人に交渉を仕掛けた。
「家賃等は月払いで……」
少女を余所にひそひそ話を始めたと思ったらすぐに3人が口を揃えてOKというものだから、彼女はなおさら困惑しだした。
「これで交渉成立だ。これからよろしくな、居候さん。」
「え、あ、そ、うぇ……ていうか、居候はあんたでしょ!?」
パニックに陥っていながら鋭いツッコミを入れられるあたり面白い人だと思った。
「もう俺を居候と認めてくれたのか。今年の夏休みの途中まででいいから、しばらく居させてくれ。俺の大切な命の恩人さん。」
彼女は納得したようには見えないが、観念したのか頭を抱え叫びだした。
「もーーーー! わかったわよ! 泊まりなさいよ住みなさいよ! 好きにすればいいわ!」
彼女は叫びだし、腕を組んでそっぽを向いた。
何はともあれ、居住地は確保できた。明日から新しい生活が始まる。誰からも嫌われ、無視されてきた人生から一転、何もかもが新しく、そして賑やかな日常になるだろうと期待が高まる一方で、ある問題に直面した。
「あっ、ところであんた、学校はどうするの?」
レイジは硬直した。レイジの描いていた未来像は、一瞬で崩壊してしまった。