借金奴隷とその対策
スラムの片隅で濁った瞳の男が、酒のような瓶を抱えて蹲っている。
「あいつか、親父ってのは」
「帰ろうか」
「まあなぁ、あのまま連れて帰っても、お前が忙しくなるだけかも知れんな」
「まあいいや、この前渡した金貨1枚、あのおっちゃんに渡しといてくれるかな」
「何だ、覚えていたのか」
「仕事を頼みたい」
「何を頼むつもりだ」
「手紙の配達。前金金貨1枚」
「そのまま逃げられそうな相手だな」
「僕さ、帰ったらきちんと給金請求するつもりだよ。もうあんな赤字内職をしなくて良いように」
「まあなぁ、お前に渡すのが本筋だよな、普通はよ」
「生活出来るギリギリまで搾り取れば、赤字の内職とかやる余裕は無くなるよね」
「親に代わって貯金のつもりか」
「いえいえ、将来の独立のつもりですよ」
「それはいかんぞ。お前の将来はもう決まっているんだからな」
「やれやれ、それなら仕方が無いですね」
「ああ、諦めて領主様の身内になるんだな」
やはりそういう話になっているのか。
つまりこの旅で色々と諦めさせようとしているんだな。
恐らく親父の事も調査済みであり、だからこそ見付け易い場所に連れて来たと。
となるとあちらには既に話が通っている可能性もある訳で、下手したら宿は引き払われるかも知れないのか。
「母さんを王都に連れて来たほうが早いかな」
「宿はどうするつもりだ」
「人を雇って続けるよ。そして気が向いたら夫婦で戻って来ればいい」
「そんなに簡単に行けばいいがな」
「ちょつとした名物料理を作ればいいんだよ。あの宿でしか食べられない料理があれば、黙っていても客は来るさ」
はまぐりもどきの干物、マヨネーズの確立、にがりの抽出と豆腐の作成、おから料理、しょう油の醸造、ソースの開発、ガラムマサラの作成とルーの製作、柔らかいパンの開発に蒸し料理の開発、テンプラの開発と刺身の開発、やりたい事はいくらでもある。
確かに広くて浅い知識だけどさ、時間だけはたくさんあると思うんだよ。
もちろん領主の一族なんてのはお断りな話だし、強制されるなら計画は頓挫するだろう。
それでも成人が15才と決まっている以上、まだ7年の余裕がある。
だから。
「段取り頼めるかな」
「まあ、そのつもりではあったがな」
「成人まで待ってくれるよね」
「残念だが、王都から戻ればもうお前に自由はねぇぞ」
「なら宿は畳めと言うのかい」
「ちゃんと人を雇って営業はやれるようにしてくれるさ。お前の実家としての体裁は整えねぇとな」
「経営に携われない表向きの立ち位置に何の意味があるよ」
「少なくとも領主様の一族として、恥ずかしくない立ち位置は得られるな」
「ふーん、そんな人形で良いんだ」
「何だ、嫌なのか? こんな良い話が」
「断れない話は奴隷と同じ。強制するなら人形になるだけさ。精々、領主様に尽くしてやれば良いんだろ」
「そんな嫌々尽くされても迷惑な話だな。大体よ、平民のお前には過ぎた話だぞ」
「それならそういうのを喜ぶ人に言えば良いさ。僕は貧乏でも自由が欲しいし、それが無い人生は奴隷だと思っている」
「なら、奴隷になっちまうか? 」
「ほお、どんな罪をでっちあげるつもりなの? 」
「金貨5枚と言えば、奴隷落ちするには可能な額ではあるな。お前の年なら尚更の事だ」
「出発は何時になるの? 」
「逃げようったってそうはいくか」
「いやいや、ちょっと商業ギルドと商談があるんだよ。巧く行けば大金が手に入るんだ。そうなりゃ借金とかすぐに返せるさ」
「まあ、精々悪あがきしてみるんだな。3日で出るからよ」
「金貨1枚。じゃないと借金は金貨4枚だよ」
「くっくっくっ、ほらよ」
「10枚かよ」
「10枚なら確実に奴隷落ちだ」
「はいはい」
さてさて、もう後が無くなったか。
~☆~★~☆
とりあえず手っ取り早い方法でいこうと、市場で小樽と縄と乳を購入する。
遠心分離機が無いので縄の先に樽を括り付け、ひたすらひたすら回す。
夜中のハントの恩恵か、レベルが上がっているせいか意外と辛くない。
魔力循環をしながらの作業になったが、ひたすらやっているとバランスが悪くなる。
いよいよ分離したかな。
そろりと樽の口を開けてみると、底のほうに何かの塊があるようだ。
別の容器に上澄みを流し込めば、粘土みたいなのが底に溜まっている。
壺に移し変えて塩を少々入れて混ぜておく。
こんな季節じゃないとやれない事だけど、魔法が使えたらとその時に、急に使いたくなった魔法。
でもまだまだ基礎の段階だから無理だと諦め、そのまま商業ギルドに持って行ってみる。
「それは何だ」
「パンに付けて食べると美味しいよ」
「どうやって作った」
「教えたら自分で作って売るよね。その場合、僕の儲けはどうなるの? 」
「しかしな、製法が分からないようなものを売る事は出来んぞ」
「つまり断るって事だよね。うん、商業ギルドは買取を拒否。なら、後は自由に売って良いって事だ。後から来なかったとか言わないでよね。さよなら」
「待て待て、全く、まともに商談する気も無いのか、お前は」
「いや、断って欲しかったんだ。そうしたら大義名分が立つよね」
「いくらで買えばいい」
「いや、断ってよ」
「そうはいくか。ちょっと舐めてみたが、中々の味わいだ。これをパンにか、いけそうだな」
「え、何時舐めたの? 油断も隙も無いな」
「それでこれはパンに付けるだけか」
「野菜炒めに入れたり、芋に付けて食べたり」
「これは油だな。何の油だ」
「仕方が無いなぁ、なら買い取ってよ」
「だからいくらで売るつもりだ」
「金貨500枚」
「馬鹿な事を言うな。これをそんな額で? あり得ないぞ」
「いやいや製法さ。買い取れば好きに作れるよ」
「誰にも言って無いな」
「貴方が初めて」
「買い取ればお前も勝手に作れんぞ」
「個人で使うぐらいは良いでしょ」
「人に見せるなよ」
「もちろんさ」
「よし、製法を教えろ」
「あれ、契約書は? 」
「くっくっくっ、油断も隙も無いのはどっちだよ」
「契約書は当然だよね」
「ああ、分かった。待っていろ」
(会長、本当に金貨500枚出すんですか? )
(良いじゃねぇか。あいつが見つけた製法だぞ)
(ですがあれはうちが開発している品のような気がするんですけど)
(だからだよ。あいつの製法を聞いて、役に立ちそうならお得じゃないか)
(値切れませんかね)
(おいおい、お前も目先の事ばかり見るんじゃねぇよ。あの年でそんな事を考えられる頭だぞ。絞ればもっと良い発案が出るかも知れんだろ)
(成程、先行投資ですか)
(馴染みになってのそれだ。もしこれっきりでも製法が助けになれば得。今後の付き合いがあればもっと得だろ)
(でしたらせめてギルド員にするべきでは)
(もちろんそうするさ。んで、金は可能な限り、預けてもらうつもりだ)
(それならお得ですね)
(そう心配するなって。オレも別に潰したい訳じゃないんだからよ)
(はいはい、社長様)
(そんな言い回し、この世界じゃ通用せんさ)
商業ギルド員になればギルドとの取引は非課税と言われ、余分な資金は預けておけば安全と言われる。
利息は付かないようだけど、確かに大金を持って歩くのは危険な話だ。
なので金貨20枚だけ手元に残し、480枚は預ける事になった。
「製法はどうなっているんですか」
「あのね、樽に乳を入れてさ、縄を付けて振り回すんだよ」
「まさかそんな方法で」
「ひたすらひたすら回していたら、何かゴロゴロする感じがするようになるんだ。そうして樽を開けたら底のほうにこれが溜まっていて、上の乳を他の入れ物に入れてやるとさ、これが取れるんだ。後は少しお塩を入れて乾かしてやると良いんだけど、ちょっと時間が無くてさ」
「成程ね。うん、確かにそれならやれそうだわ」
「あれっ、作った事あるの? 」
「いえいえ、作ろうと思ったけどまだ作れなくてね。だけど君の発案で作れそうだわ」
「金貨500枚の価値あったのかなぁ」
「ちょっとおまけね」
「じゃあさ、また何か思い付いたら持って来るよ」
「そうしてくれるとありがたいわ」
どうやら先行投資のつもりのようで、吹っかけた甲斐あったってものだ。
でも遠心分離の方法を言ってすぐに理解するとか、もしかしたら彼女もお仲間さんじゃないのかな。
もしそうでも今それを明かす必然性は無い。
もっと馴染みになってから、それとなくぐらいにしないと、もし違っていたら身の破滅になるかも知れないんだ。
何時からこの世界に居るのかは知らないけど、バターすら作れない知識とか大したもんじゃない。
いや、遠心分離の方法に行き詰っていたみたいだけど、そんな応用力が無いのは致命的だ。
だからもしかしたら年食っての参加な可能性もあるから、僕の事を知れば離してくれなくなるかも知れない。
だってこの王都にはまだ、バターはもとよりマヨネーズも無いのだから。




