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キキキタン  作者: 荒薙裕也
第一章、大江山の鬼
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正月の鬼御殿1

 明けて、正暦六年一月。

 新年明けましておめでとうございます――。そんな挨拶もそこそこに大江山の鬼御殿では、年中行事よりも更に激しさを増した酒盛りが行われていた。

 まさに闘争のような、地獄の呑み会。

 呑んでは休み、休んでは呑み、胃に優しくない生活が続く。連日の強行軍に吐いて倒れぬものは一人もおらず、かの酒呑でさえも気分が悪いと二日酔いに陥ったほどだ。

 そんな生活が通常の落ち着きをみせたのは、凡そ二週間ほど後のこと。

 さすがに二週間も呑んでいては飽きてくるか。

 彼らは元来の仕事を思い出したとばかりに、通常運行へと頭を切り替える。盗みと土いじり、狩猟に採取の生活――、とはいえ、まだまだ寒気厳しい一月のことだ。農作物を作るわけにもいかず、自然、その作業は盗賊行為が主体となっていく。

 正月で浮かれる民草の懐の締まり具合の緩さを利用して財布を盗んだり、詣でで空となった屋敷に忍びこんだり――。凡そ、正月というめでたい空気に背くかのようにして、彼らは散々たる悪事を働く。

 豪奢に過ごした分、懸命に働く。手段は誉められたものではないが、理としては適っているか。そのように荒稼ぎを行った一月後半のある日――。

 日中にも関わらず、肌を刺すような冷気が漂う鬼御殿の廊下を忙しなく歩くものがいた。白を主体とした衣装は、どの色にもすぐ染まってしまいそうな儚さを彷彿とさせ、その衣装を纏う少女には自然とよく似合う。この屋敷の中で、そんな衣装が似合うものなど、ひとりしかおるまい。

 そう、泰葉である。

 彼女は時折足を止めては各々の部屋を覗き込み、何事かを確認しては、ぺこりと頭を下げて回るという奇行を繰り返す。どうやら、何かを探している様子ではあるが、見つからないようだ。広い鬼御殿の各部屋を回り終えた泰葉は、これが最後とばかりに鬼御殿の心臓部ともいうべき空間に足を向ける。ゆうに五十人以上が詰められそうなその場所は、鬼たちの間では集会場と呼ばれる場所だ。そこには、この鬼御殿でも数少ない囲炉裏があり、本日も大勢の鬼たちが暖をとるために集まっていた。

 いや、暖をとりにきた鬼たちだけではない。

 よく見ると、暖をとりに集まってきた鬼たちとは別に、一心不乱に何かに打ち込んでいる鬼たちもいる。食事に使う膳の上に板を敷き、硯と筆を持って紙に何かを書き連ねている姿。何とも珍しい光景に泰葉が目を丸くしていると、彼女はようやく目的のものを見つけたかのように小さく声をあげていた。


「あっ、やっと見つけました。茨木さん!」

「おや、これは泰葉君」


 泰葉の声に驚いたように鬼たちは身を強ばらせ、そんな鬼たちを監視するかのように向き合っていた女が気楽な様子で手を上げる。そんな彼女の手にも鬼たち同様に筆が握られており、勢い良く振られた手につれて墨が床に散ってしまっていた。


「や、失礼。僅かな油断が大惨事となってしまったか」


 やってしまった、とばかりに舌を出す茨木は手元にあったボロ布で床を拭き、墨の跡を消していく。

 そんな様子を見た泰葉は、普段は見られぬ珍しい光景に戸惑ったように尋ねていた。


「皆さん、何をやっておられるのですか?」


 本当は質問している場合でもないのだが、尋ねてしまうのは彼女自身の若さゆえか。

 逆に老獪さを思わせる落ち着いた佇まいで返すのは茨木だ。


「文字を教えていたのさ」

「文字を?」

「あぁ、ウチの連中は大半が農村の出だからね。文字を書いたり、読んだりができないんだ。だから請われて教えているのさ。去年の暮れから始めているんだが、泰葉君は見たことがなかったかな?」


 その場に集う男衆が、へへっと照れたように愛想笑いを浮かべる。文字を学んでいることが気恥ずかしいのか、手元を隠す様子は彼らの小さな自尊心が仄見えるようだ。


「それは、知りませんでした」

「そうかい。ちなみにつかぬことを窺うが、君は読み書きができるのかい? やれぬようであれば、教えるが――」

「難しい漢字は分かりかねますが、ひと通りはできると自負しております」


 泰葉の脳裏に幼い時分の記憶が蘇る。常に泰葉の世話をしてくれた乳母は彼女に文字を教え、その覚えの早さに感心していたものだ。かなを学び、カタカナを習得し、漢字を覚える。そのまま伸びていったのであれば、稀代の女流作家として後世にまで名を残していたやも知れぬ才は、だが、芽を出すよりも先に刈り取られてしまっていた。

 そう、藤原邸へと幽閉されてしまったのだ。以降、泰葉が文字に触れる機会はない。


「そうかい、読めるのかい。そいつは僥倖だ」

「え?」

「なに、こちらの話さ。それで? 君はボクを探していたのではなかったかな?」

「あ、そうでした!」


 忘れていたのか、泰葉は声を跳ね上げる。忙しなく各所を回っていたのも、彼女を探すためだ。本題をすっかり忘れてしまうところであった。


「酒呑さんが、茨木さんを連れてこいと仰っておりまして、できればついてきて欲しいんですけど……」


 泰葉の表情が僅かばかり翳ってみえた。

 その表情の変化の理由を茨木は鋭く察する。


(これは、多分、ろくなことではないな……)


 内心で半ば確信する。


「ふぅん。ボクをねぇ」

「はい。お忙しかったり、お嫌だったりするようでしたら、無理にとまでは言いませぬが」


 暗に拒否することを勧めてくる。

 それをみて、茨木は先の意見に確信を持つに至っていた。自身の頭領のろくでもない行動は今に始まったことではないが、これを拒否すると、その矛先が泰葉に向かうであろうことは明白だ。それは、この弱々しい少女を酒呑という名の毒牙にかけるようなものであり、気乗りがしないのも事実であった。


 さて、どうするか――。


 逡巡する茨木。

 その脳裏に、茨木の料理を美味しいといって食べる泰葉の笑顔が過ぎる。


「いや、構わないよ。彼らには、既に教えるべきことは教えたしね。丁度お払い箱だったんだ。行こうじゃないか」

「あの……、いいのですか?」

「いいか、悪いかでいえば、多分悪いだろうね。でも、ボクが行かないと君が困るだろう? 借りを返すには絶好の機会だし行くよ」


 何とも頼もしい言葉。万夫不当の豪傑が助っ人に来てくれたかのような安心感に浸り、泰葉は思わずじぃんと胸の内が熱くなるのを感じる。


(ですが、借りとは何でしょう……?)


 さすがに、料理を美味しいと言って食べてくれたことを貸しにしているとは思いもつかない。少々戸惑う泰葉ではあったが、それも僅かのことである。深々と茨木に向かって、彼女は頭を下げる。


「ありがとうございます。助かります」

「何、気にしなくていいさ。それに、わざわざ彼らの気を散らすこともないだろうしね。さぁ、行こうか」


 そう言うと、茨木はおもむろに立ち上がり、泰葉の先導を待たずして集会場の出入口へと向かう。

 おいていかれた泰葉は、集会場にいた面々に向けて、お騒がせしましたとばかりに深々と頭を下げると、茨木の後を足早に追っていく。

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