頼光2
大江山の酒呑童子といえば、今、京の街を騒がせている悪鬼の名前である。
京の子供でも知っている恐ろしい化物――。
頼光は化物の存在など全く信じていなかったが、思わぬ大物の名が出たことで、その気を昂らせていた。
もしや、その大江山の悪鬼の仕業なのか?
だが、大江山の酒呑童子といえば、京の街では知らぬもののいない名。わざと語ったということも十分考えられる。踊らされている可能性も考え、頼光は思案を巡らす。
「ないのか? 大江山の酒呑童子と藤原邸の犯行を結びつけるようなものが……」
「残念ながら、見つかっていない」
何せ、犯行のあった藤原邸の家人は、ほとんどのものが口の聞けぬ体とされていた。被害を受けたものが証言できぬ以上、その時の犯人を特定するのはなかなかに難しい。調査が難航しているのも、ひとえにそれが原因である。
「頼光殿は、これが鬼の仕業だと思っておられるか?」
「鬼などおらんよ」
「ほう」
興味深そうに綱が目を細める。
それに対し、馬鹿馬鹿しいとばかりに頼光は嗤う。
「人の世に禍をもたらすのは、人の業によるもの。鬼が現れたのなら、それも人の業によるものよ」
「なるほど。然り」
カラカラと綱が笑う。
幽霊の正体見たり枯れ尾花。
市井の人間とは違い、頼光は肝の太い男だ。相手が本物の鬼であろうとも萎縮するような男ではなかろう。
となると問題は、犯人の実像が、はっきりとつかめていないことか。
黙りこみ、何かを思案する頼光を前にして、綱はこういう手もあるとばかりに策を呈する。
「大江山の鬼が怪しいのなら、無理矢理押し入って、鬼退治と洒落込んでみてはどうか? それで何か出れば良し、なければ、また探すというのは?」
「悪手だ」
頼光は断じる。
「私怨を晴らすのが目的ではない。朝家の威光を示すことこそが目的なのだ。もし、仮に大江山の鬼たちが外れであれば、それこそ、朝家は世間の嘲笑を浴びることになろう。それに――」
頼光は何処か渋い顔で言葉を続ける。
「戦をやるには銭が要る。政のための戦であり、戦のための政ではあるまい。朝家に不要な負担を強いるのは望ましくない。その辺も道長公は考えて、我らに期待を寄せたのだろう」
道長が頼光にこの仕事を任せたのは、彼を信頼しているからこそだ。行き当たりばったりのような調査を求めてはいまい。
欲しいのは、確実な成果――。
頼光は低く唸るような声音で呟く。
「証を探さねばなるまい」
「証……」
「人が駄目なら物だ。今回、藤原邸から盗み出したものを全て暮らしで活用しているわけでもあるまい。どこかしらで金子に替えよう。それを押さえることができれば、証となる」
「なるほど、売られたものが藤原邸のものであると断定できれば、それを売りつけたものが藤原邸に押し入ったものになるということか。少なくとも、関わり合いは知れる……」
妙案だ、とばかりに口元をつり上げる綱だが、その顔はたちまち曇り空となっていた。
「だが、どこで奴らは金子を得ている? 特定できねば探すのは苦しいぞ。……まさか、京の市で売っているわけでもあるまい? ならば、丹波国か?」
「その線はあるやもしれぬな。京のお膝元で金子と交換しようとすれば、その出を知るものもいようが、丹波国であれば咎められることも少なかろう」
「だが、相手も馬鹿ではあるまい。そうそう尻尾を出すであろうか」
「ならば、鬼の方から尻尾を出させれば良い」
「なに?」
「丹波国千代川の周辺で盛大に市を開く。さすれば、鬼たちも警戒せずにのこのこと大江山を下りてくるだろうよ」
「なれば、丹波守殿に報を入れねばならぬな。しかし、彼奴ら本当に出てくるだろうか? いつもと市の様相が違うとなれば、姿を隠すこともあるのでは?」
「なに、もうすぐ冬だ。物を手っ取り早く糧に変えようとするなら、彼奴らは必ず来る」
「なるほどな。だが、それが藤原邸の物であると、どうやって断定する?」
「襲われた藤原邸の主人は、贅に凝る性分だったらしく、品の多くには金字で工匠に名を彫らせていたらしい。見やれば、すぐ判ると卜部より聞いた」
「ならば、策さえ上手くいけば、事は容易に運ぶか……」
感心しきりとばかりに、綱は頷く。そして、そうと決まったからには、早めの用意に取り掛からねばならぬとばかりに口の端をつり上げる。
「では、早速私が早馬を出し、その旨をしっかりと丹波守殿に告げよう。それでいいか?」
「善は急げと言う。早速頼む」
力強く頷き、綱が屋敷を引き上げていく。
その後ろ姿を見ながら、頼光は、もし相手が大江山の鬼であるのならば、戦の準備もしなくてはならぬなと密かに思うのであった。