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キキキタン  作者: 荒薙裕也
第一章、大江山の鬼
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道長と晴明

 太陽は既に中天に登りかけ、日も高くなっていた。

 時間の流れを感じながら、それでももう少し読んでいたかったと思うのは、道長が文化人であるからか。長い縁側を通って、広い玄関に辿りつく。

 そこには待ち侘びたかのように玄関先に座す翁の姿があった。


「待たせてしまいましたか。天文博士殿」


 白髪混じりの頭をした老爺と目が合う。


「――いえ、安倍晴明殿」

「なんのなんの、それほどではごじゃりませぬよ」


 老爺……安倍晴明は鋭い目つきで道長に視線を向ける。その様子を見れば、彼がただの気まぐれや偶然で、この屋敷を訪れたわけでないことは即座にわかった。

 浅沓を履きながら、道長は尋ねる。


「道すがら聞きましょう。何か大事があったようですね」

「えぇ、昨晩の凶行にちゅいては、耳に入っちょりますかな?」

「係累の屋敷で凶行が起きたと――。人づてに」


 石畳の玄関を出て、前庭を通り、屋敷の外へ。晴明の歩みの速度に合わせながら、道長は周囲に人がいないことを確認して話を続ける。


「当代随一の女流作家に傷でもつけられたらたまったものではありませんからね。実益も兼ねて、この屋敷を伺っておったのです。さすがに大事はありませんでしたが……。して、翁は私を探しておいでだとか」

「火急の用件がありましてなぁ」

「ふむ、どうやら、宜しくない案件のようですね」


 道長が歩みを止める。

 ついで、晴明もその歩みを止めていた。


「何がありましたか、天文博士殿」

「深淵の器が――」


 晴明の双眸が剣呑な光を放つ。


「賊によって、盗まれちょりました」


 秋風が二人の間を吹き抜け、道長は我を取り戻したかのようにごくりと唾を嚥下する。


「器が外に出たと?」

「左様にごじゃりまする」

「二重、三重の策で万全に囲っていると、そう仰ったのは――、翁、貴方ではございませんか」

「面目次第もござらぬ」

「翁……」


 深々と頭を下げる晴明の烏帽子を暗い瞳で睨みつけ、道長は静かに、だが深く心に染みるような低い声音で言葉を放つ。


「貴方は事の重大さを認識しておられるか」

「重々。元を正せば、私が権大納言殿に持ってきた話ゆえ、仔細承知で御じゃりまする」

「えぇ、えぇ。翁は大変素晴らしい話を私の元に持ってきてくれました。だからこそ、私は貴方を取り立て、天文博士になれるようにと、方々に手を尽くしたわけです。まさか、その恩義を忘れたというわけではありませぬでしょう」

「まさか――。権大納言殿には感謝しても、し尽くせぬだけの恩義を感じておりましゅる。背こうなどとは、とても、とても……」

「ならば、この失態、どう申し開きするつもりですか? かの器……藤原の恒久の栄華を築く礎……それをみすみす逃したとあっては、笑い話ではすみませんよ」


 蛇の如き鋭い視線で睨み据える道長。

 だが、晴明はゆっくりと面を上げると、凍てつく湖を思わせる寒々しい瞳で視線を返す。


「賊より取り返そうと思うちょります」

「たった一人でですか?」

「いえ、我が陰陽術の粋を集めたとしても、一人では器の確保どころか、賊の討伐もままならぬこと……」

「では、どうすると?」

「こんなこともあろうかと、昨夜の内に星を詠み申した」

「ほう」


 獲物を前にしたかのように、目を細める道長。その目の前で、晴明は抑揚をつけることもなく、淡々と寒空の如く続ける。


「白虎の方角より凶星が一際強く瞬いておるのが、確認できちぇおりまする。恐らく、その凶星の元に居るものこそが、今回の賊でありましょうぞ」

「西ですか……」

「そして、その凶星の輝きに抗するようにして、玄武の方角で徐々に光を強めちょる明星がありまする。権大納言殿の星を護るように配置されちゃ四つ星のひとつ……。この輝きは、恐らく源頼光(みなもとのよりみつ)殿ではないかと……」

「頼光殿ですか」

「はい。事件の解決を望みますなら、彼の者に任せるが吉であると、我が陰陽術は申しちょります」

「確かに、あの者であれば信がおけます。悪くない」


 源頼光といえば、宮中でも知らぬものがおらぬほどの武人である。頼光四天王という、腕っ節の強い四人の猛者を従えた、武勇伝には事欠かない男だ。藤原邸襲撃という凶悪な事件も、彼に任せれば、恐らくは解決の道へと向かって突き進むことであろう。

 そして、その合間を縫い、深淵の器をもう一度手中に収めることができれば……。


(何も問題はない。全ては順調に、か)

「権大納言殿」


 晴明の声が届く。


「私の陰陽術を信じろとは言いませぬ。ですが、もう一度だけ、私に汚名返上の機会を下さりませぬかのぅ」


 道長は晴明の動じぬ瞳を覗き込んでいた。何を考えているのか、まるで読めぬ瞳。だが、この策を元々持ってきたのは、この男なのだ。むざむざ横槍が入ったことで、頓挫させるのは、この男にとっても本意ではないだろう。

 道長は、ゆっくりと黙考すると――。


「分かりました。いいでしょう。やってみなさい」


 ――そう答えを返していたのであった。

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