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キキキタン  作者: 荒薙裕也
第一章、大江山の鬼
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藤原邸襲撃5

「分かった。百歩譲って、お前さんが化け狐の血を引いている物の怪だとしよう。それで? お前さんは何でこんなところに囚われているんだ?」


 酒呑の言葉に、女は真摯な表情で返す。


「器だからです」

「はぁ?」


 先程から出てきている、この器という言葉が酒呑には全くといっていいほど理解ができない。


「お前は人間だろう? いや、半分は物の怪か? 兎角、皿や碗には見えねぇぞ」

「形が、というわけではありません。器とは容器。私は『あるもの』を溜めるために、ここに囚われているのです」

「その、あるものってのは何だ?」

「それは……」


 女は静かに首を横に振る。


「私にも良くはわかりません」

「自分でも分かんねぇもんを溜め込んでやがるのか、お前は!?」


 思わず頓狂な声を出す酒呑。

 その声量に身を竦ませながらも、女は怖ず怖ずと首を縦に振る。


「はい」

「はい、ってなぁ……」

「まぁまぁ、酒呑の君。彼女を責めるのは筋違いというものだ。彼女が言うには、彼女は謀られた側。真に責めるべきは謀った側じゃないかな」


 事情もそちらの方が知っているだろうよ、と茨木は続ける。ついでに、彼女が言っていることが真ならばね、とも。


「信じて……、もらえないのですか?」


 どこか縋るような目つきで器が見上げてくるが、火皿を受け取った茨木は醒めた視線を返すだけだ。


「ボクは疑り深い性格でね。酒呑の君のように単純にはできていない」

「なんだそりゃ? 俺が単純みたいに言うんじゃねぇよ」

「違うのかい?」

「違、わねぇな……。くそ」


 さすがに、自身の行動を省みて言い返せないか。

 とにかく、この器の言っていることは不明瞭な部分が多く難しい。それを、いきなり信じろ、という方が無理があるのだろう。だが、藤原邸の隠し部屋に軟禁され、こんな扱いを受けているのもまた事実。わざわざこんな状態で、嘘や冗談を言うとも思えない。

 酒呑は彼女の言葉の真偽をはかるため、質問を重ねる。


「本当に何も分かんねぇのか? 器だとか、溜め込んでいるものだとか? 誰がこんなことをやったんだとか?」


 すると、聞かれるのを待っていたわけでもないだろうが、器がぽつりと呟く。


「ひとつだけ分かっていることもあります」

「ほう」

「私の中に溜まっているものは、世に出してはならぬものだということです」

「……。どうして、そう思う?」

「私の体を用い、器とした方の目の輝き――」


 今思い出してもぞっとするとばかりに、彼女は身震いする。


「尋常ではありませんでしたから」

「どうも、きな臭くなってきたな」


 酒呑は眉根を寄せる。これでは真かどうかもはかれない。

 器。化物の体を使った容器。その容器に溜まっていくのは世に出してはならぬもの。

 普通に考えれば、ありえない話だ。

 だが、状況が――、この状況がそれを嘘だとは思わせない説得力に溢れている。

 何よりも酒呑は女の目が嘘を言っているようには見えなかったのだ。自身の直感を信じるなら、彼女の話を信じるべきだと、そう本能が訴えかけてくる。だが、信を得るにはまだ足りない。酒呑は思い返す。


「先程言っていたな。お前は自分を『割れ』と」

「はい。世に出してはならぬものゆえに。今なら、まだ溜まりきってはおりませぬから、危険も少なかろうと思いまして、お頼み申しました」

「割るってぇのは、具体的にどうすることを言う?」

「その刀で」


 恐れも迷いもなく女は言い放つ。


「私の首を落として下さいまし」


 絶句する。

 彼女は、それがどういうことなのか、分かっていて言っているのだろうか?

 これでは、酒呑たちを口八丁で丸め込んだとしても、自身が助からないではないか。もし、これが嘘であるならば、そこまでする必要はないはずだ。酒呑の中で思いがぐるぐると回る。

 結論としては、やはり彼女は嘘を言っていない、というものだ。

 だが、この女をどう扱っていいか、決めかねたのもまた事実である。


「そこまでする必要があんのか?」


 酒呑は恐る恐る尋ねる。

 彼女の言う事が仮に真実であるとするならば、器を割るということに多少の危険が内包されるのではないか。

 それを懸念しての言葉であったが、彼女の瞳は既に決意の色に染まりきっていた。


「私には、これが溜まりきった時、恐ろしいことになるという確信があります。それが、百年先か、千年先かは分かりませぬが、早いにこしたことはありません」

「遠い先の話じゃねぇか。別に、今割らなくてもいいんじゃねぇのか」

「長い短いは関係ありません。私は既にこの世に必要のない存在なのです。だからこそ、終焉を迎えなくてはならない」

「必要のない存在だから、殺してもいいって……?」

「はい。どうか、御慈悲を」


 それは、彼女の中では決まりきっていたことなのか。彼女は強かに目を瞑り、生の緞帳が降りる瞬間を待ち受ける。

 握っていた刀を軽く振るい、酒呑は憮然とした面持ちを器に向けていた。


「おい、お前、名前は?」

「父には、泰葉(やすは)と呼ばれておりました」

「そうか」


 言って、酒呑は彼女の体に手を伸ばし――。

 ばちんっと鼓膜を震わせる音と共に、雷光が空間を駆け抜ける。衝撃は酒呑の指先より神経を通じて彼の脳に痛みという名の電気信号を飛ばす。空間に弾けたのは激しい火花。闇夜を明るく照らし出したそれは、どうやら女……泰葉に対する侵入者避けの罠であるらしい。

 酒呑は、もう一度ゆっくりと手を伸ばす。

 泰葉の周り、一寸ほどか。

 僅かばかりのところに対流が渦巻き、小さな稲光が舞っているのがみえる。ちりちりとした痛みが酒呑の指先を嘗め、彼は思わず手を引いていた。一寸より近づこうとすると、稲光が異物を焼く仕組みらしい。


「生身のものを焼くよう呪がなされております。ですのでどうぞ、その刀にてひと思いに呪ごと私をお斬り下さいませ――」


 泰葉の言葉に酒呑は彼女の肌に書かれた墨字を睨みつける。随分と面倒くさい呪をかけてくれたものだ。だが、彼はそれに怯むことなく、泰葉に向けて手を伸ばす。


「なにをッ!?」


 光が薄暗い洞の中を輪舞を舞うかのように踊り狂う。指先が焼け、肉を焼く香ばしい臭いが辺りに漂い始め、皮膚が泡立ち、紅い飛沫が噴出し、泡と紅が混ざり合ってぶつぶつと薄紅色の斑紋が練られていく。それでも、酒呑は手を伸ばすことを止めない。痛みが指先を通して、全身を貫く。


「駄目です! そんなことをしてはあなたの手が!」

「うるせぇッ!」


 押し寄せる激痛に額に大量の脂汗が浮かぶ。だが、それでも酒呑は退かなかった。

 彼は怒っていたのだ。それも、とてもとても強く。

 その怒りが、痛みも、光も、音も、全てを無視して彼を突き進ませる。


「言ったな、てめぇ……」

「え?」


 稲光が激しく轟音を響かせる中、凄みの利いた声が耳元で聞こえた気がして、泰葉は身を強ばらせる。本来ならば、小さ過ぎて聞き逃していたかもしれない声。

 だが、彼女の耳には、はっきりと聞こえていた。


「必要のない存在だから殺せと……っ!」


 黒い煙が酒呑の指先より発せられようとしていた。それは、彼の指先が余りの熱量を受けて焦げ始めていることを如実に告げていた。火傷では済まない傷。このままでは、彼の指は――。


「駄目です! 今すぐ、私から手を離し――」

「馬鹿にすんじゃねぇッ!」


 一喝――。その一喝で酒呑を弾き返そうとしていた稲光が一瞬で消し飛ぶ。

 いや、そうではない。酒呑の指先が、泰葉の白い肌に達していたのだ。


「フザケやがって、くそっ!」


 荒い息を隠そうともせずに、酒呑は血に濡れ、焦げかけた指先を投げ落とすようにして離す。

 そこには、血に塗れて読めぬようになった墨字の文字が一列――。


「呪いの文字も一字欠けりゃあ、ただの文字ってな。しかし、痛ってぇ……。茨木、お前さん唐物の塗布薬持ってたよな。後でくれねぇか?」

「いいけど、火傷に効くかは知らないよ」

「薬呑んで、酒呑んでりゃ、大方の病気は平癒すんだ。むしろ、今までこれで平癒しなかったものはねぇ」


 無茶苦茶なことを平気な顔をして言うものだから、茨木もやれやれとばかりに肩をすくめるしかない。


「しかし、無茶が過ぎるよ、酒呑の君。さすがにボクも肝を冷やした」

「へっ、そう言うなって。今回はお前さんの我を通して仕事してるんだ。こんくらいは俺の我を通させろよ」


 言って笑う。

 だが、一方で真っ青な顔をしているものもいる。泰葉だ。


「なんで……」

「あ……?」

「なんで!? どうして!? 私を斬らないのですかッ!?」


 干物のような体のどこにそんな力があるのか。彼女は激昂した様子で、酒呑につかみかかる。


「危険なんですよ! 存在していてはいけないのです! それなのに――」

「うるせぇッ!」

「う、うるさいって……。あなたの気分次第で左右されてはならないことなのですよ、これは!?」


 叫び、泰葉は酒呑の手から刀を奪い取ろうとする。だが、痩せ細った彼女の力と膂力自慢の鬼では勝負にならないか。適当にあしらわれ、泰葉は床に転がる。


「なんで……。なんで、分かってくれないのですか!? 私はこの世に存在していてはならない存在だというのに……。生きていてはならない存在だというのに……」

「それが馬鹿にしてるってんだ!」


 酒呑の言葉に泰葉は顔を上げるが、その瞳に理解の色は現れてはいない。あるのは、意固地なまでの決意の固さだ。そんな状態の人間に何を言っても無駄であろうことは、酒呑も経験からよく知っている。それが分かったからこそ、酒呑は口を噤む。


「馬鹿にしているのは、あなたの方でしょう!?」


 泰葉の声が震える。体中の体液が枯れ果て、流すものなど何もなかったはずなのに、彼女が泣いているようにみえたのは酒呑の幻視であろうか。泰葉は肩を震わせて叫ぶ。


「覚悟していたのに! 決めていたのに! 怖くないって、仕方ないって、やらなきゃいけないことだから、いつかやらなきゃいけないことだから! 覚悟を決めていたのに!」


 固めていた決心――、それが、思わぬ出来事に氷解していく。この決意が、また同じ堅さを堅持するのはいつの日になるのか? 明日? ひと月後? それとも、数年先?

 とにかく、挫けてしまった勇気は戻らない。それが、一心に思っていたことなら尚更だ。

 そして、泰葉は挫けてしまった勇気を拾い集められるほどに器用な性格をしてはいない。


「それなのに……、何で? 何で私を死なせてくれないんですか? 私には存在する価値なんてなかったのに、存在する価値のない者に生きる資格なんてないのに私は――」

「存在する価値がない、か……」


 刺すような視線で酒呑を射る泰葉。

 酒呑はしばらくその瞳を睨み返した後で、倒れていた彼女の体をひょいと助け起こすと、そのまま小脇に抱えるようにして提げる。その姿はまるで即身仏を盗む賊だ。


「な……、何をするのですか!?」


 当然、泰葉は暴れるが、酒呑は聞く耳持たずの構えで、持っていた刀を茨木に預け寄越していた。


「へっ、今のお前には何を言ったってきかん坊だからな。気づかせてやるんだよ」

「な、何を!?」

「器だ、妖狐だ、なんだかんだと小難しい話よりも、もっと簡単で基本的なことだ! いいから黙ってついてこい!」


 荷物のように運ばれ、抵抗する泰葉ではあったが、酒呑の膂力に抗っても無駄だと判断したのか、やがて大人しく身を預ける。その顔は当然、むくれてはいたが。


「やれやれ、今回のお宝は酒呑の君にしては、随分と実入りの少ないものを選んだものだね」


 暗い洞を希望の灯火のようにして照らす火皿を片手に、茨木はそんなことを呟くのであった。

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