チート魔道書
士護帳荒哉はこの"魔道書"が最強であると信じて疑わなかった、それ故に、命を賭した戦いも随分と退屈なものへと変わっていった。
漆黒の髪、漂白よりも真っ白なロングコートに、不釣合いな黒の指輪。
非常に大人びた表情で、最低でも二十代後半に見られる程。体格は平均男性の身長よりも一回り大きい。
「かっ、はっ!!」
全身血だらけになった小柄な青年は、血に塗れた魔道書を片手に必死になってもがいている。
彼がオペレーターからの任務の話が告げられた数時間後、Y県郊外に建てられた屋敷にて、魔道書らしき書物を持って逃げ出した青年を追いかけた結果、青年は士護帳の手に
よって無残な姿へと変貌していた。
その瞳に写る怪物は役目は終えて、魔道書の能力が消失する。
体内に潜む怪物も、その英雄達ももう蠢く事は無い、相変わらず冷めた表情で、小柄の青年の持つ魔道書を乱暴に奪うと、電子端末機で本の回収をした事を告げる。
『よし、本を持ったまま撤収だ、その魔道書を離すなよ』
「……いや、その必要は無い」
一つ、言葉を囁く、体の隅に小さく蠢く怪物を感じながらも、やがてその行動は治まる。
手元にあった魔道書は既に無い、当たり前だ、"先程、魔道書を本部へと送った"のだから。
電子端末機を一方的に切って、地面に倒れこむ、哀れな青年を目にする。
既に致死量の血を流している、放っていても死ぬだろう。
けれど、その青年は曲がりなりにも、魔道書を所有していた、その魔道書が何の役割をするのか知っていなければ、ここまで残骸になる事も無かっただろうに。
全ては、己が執着したその魔道書を恨め、と冷めた感情を内に出だして、ゆっくりとその帰路を歩き出す。
「失礼、足元にお気をつけを」
けれど、その足は、まるで地面に固定されたこの様に、動くことが無い。
瞬時に発せられたその言葉の意味が具現化するように、自らの足の支配を剥奪される。
「大変申し訳ありません、背後からの名乗りをお許しください」
老いた老人の様に老いた口振りで颯爽と自らの名前を語り継げる。
「我が名はユースクリッヒ・アドロマシウム・ペンダブルズ、一応、貴方と同じ同業者です」
「同業者―――あの馬鹿が集まる、適わぬ夢を掲げる魔術結社か、それとも――――――哀れなり、魔道書を解体し、人造品を作る造会か?」
この世界に置いて、魔道書を廻るのは『王立魔道図書館』だけではない。
魔術結社と呼ばれる"魔道書による世界改革"を目的とする秘密結社。
造会と呼ばれる"魔道書の真理を解体し、魔道書の原理を創造する"事を名目にした暗部。
どちらにしても、王立魔道図書館の目的とは遥かに掛け離れている。
「どちらも違いますよ、そうですね、私達は"宗教"、とだけ言っておきますか」
「宗教―――――クハハハハハ!!"魔道書"を神として崇めるのか!!アレを、あの人の冒涜書物を、神とだと!?本気でそう思うのならば実に見当違いだ、あれは神に勝るものではない、ましてやその逆だ、神を冒涜し、神の行った事全てを綴る恥辱の代物だ」
持続する魔道書の影響なのか士護帳の口調が乱暴に変わる、その口振りからして、士護帳が魔道書とは何なのかを知っているかの様だった。
微かに存在するユースクリッヒは、その言葉を侮辱として、暴言として受け取って静かに告げる。
「えぇ、知っていますとも、故に魔道書の回収に勤しんでいたのですが………案の定、我が同胞は殺されてしまいましたがね」
同胞、と言うのは、残骸と化した小柄な青年の事だろう。
つまりは、その青年は"宗教"の一人である事は間違いは無い。
月明かりが照らす、足元の状況がどうなっているのかを士護帳は視認する。
自らの足はまるで石の様に硬化していた、しかし、月明かりを反射するこの輝きは、決して石としては呼べない。
「鉄―――――いや、黄金か、これは錬金術の類か?」
足は黄金へと変わっていた、しかも、ブーツも半径三メートルに渡って、誰もが羨む黄金郷が展開されている。
足の神経や感覚がないと云う事は、足自体が黄金に変わっているのだろう、血流が脹脛の付け根から流れが止まり、皮膚が青く染みを作っているのが目に見える。
「同業者でもあり、同胞の敵でもある貴方に、教えるとでも?」
まさしく正論を吐いて、ユークリッヒは士護帳の背中に触れる。
その瞬間、背筋が凍るように肌寒さが神経を逆撫でる、痛みは無い、氷結するように背中は黄金へと変貌していく。
「あぁ、本当は、私は安堵しているのですよ、限りなく、王立魔道図書館の"切り札"として類似される貴方を、今この場で仕留める事が出来て」
身体に黄金の毒が回る、既に胴体は彫刻に成り下がっている。
まだ顔が残っているが、それも後数秒も持つ事は無いだろう、しっかりとユースクリッヒの安堵の声が聞こえる。
「まあ、欲を言えば、貴方の"魔道書"も回収しておきたかった、体内に内蔵された魔道書は、黄金に変えれば取り出すことも難しい」
「―――少しばかり、お喋りが、過ぎたな」
「えぇ、お休みなさい"王"よ、目覚める事の無い、黄金の夢を延々と観続けなさい」
優しい言葉と裏腹に、その冷めた言葉は実現する、全て構築された黄金、士護帳の死が完成された。
それこそ、自らの墓に建てられるような自画像、最早士護帳は動く事の無い金塊へと―――
「"お喋りが過ぎたな、ユークリッヒ"」
直後、ユークリッヒの左腕が宙を舞う。
その左手は、先程士護帳の背中に触れていた部位、その左手を刈り取ったのは、黄金へと変貌した筈の士護帳だった。
「何だ、声だけ聞けば老父だが、実に良い男じゃないか?ユークリッヒ・アドロマシウム・ペンダブルズ!!」
黄金が剥がれ落ちる、筋肉も、血も肉も内臓の、体余す事無く全て黄金へと変貌させた筈なのに。
それなのに、金箔を剥がすように顔を此方に向け、いつの間にか手元に存在する鋼鉄の片手剣に血が濡れる。
「が、あぁあああああああああああああああああ!!!!」
予期せぬ事態だ、これ程までに絶望感を味わった事は無い。
自らが殺したと確信し、安堵した直後に、リビングデッドの如く復活するなど、夢物語でしか聞いた事しかない。
痛みは絶頂を向かえ、アドレナリンが分泌する、痛みを堪え、まだ残る右手で左腕の切断面を"黄金"に"変える"。
「クッ……何故だ、どうやって抜け出した。あの黄金から、どうやって!!」
「なあに、大した事ではない、これでも"数世紀前"に"錬金術"をマスターしている、よもや自らの肉体を人体錬金するなど、思いにもよらなかったがな」
嘘だ、如何なる魔道書を使っても、この男の命は確かに"停止した"。命亡き者が、魔道書を使うなど、在り得ない。在り得てはならない。
「さあて、貴様らのその宗教の情報を吐かすとしても、お前は確か、"私"に対してこう言ったな?」
「"王"と、この意味から察するに、私の魔道書を知っているのだろう、なあ、"何処まで知っている?"。"私が何者なのか。誰が知っていて何処まで暴いた"?全て吐け、洗いざらい、血反吐が出ても、ゲロを撒き散らそうと、己が知りえる全ての情報を吐き出せ」
最悪の結果が訪れた、たかが肉体を黄金に変貌しただけで、それだけで慢心していた。
彼は人間ではない、魔道書を持たなくとも、彼はれっきとした"怪物"だった。