後輩がやってきた
―――日本支部、国家公認機密組織、王立魔道図書館―――
とある都会の郊外に建設された全十四階の地下組織、『王立魔道図書館』。
その名の通り、王立魔道図書館は"魔道書"を管理し、巷に出回った"魔道書"を回収する役目がある。
ここは日本支部の本拠地であり、現在保有する魔道書は四千五百万冊程度。
実際には人類の数ほど創造されている魔道書ではあるが、これでも魔道書保有数は三位に入る程の所有をされている。
『王立魔道図書館』の名目は"世界を歪ませる程の魔道書の隔離と保有"。
魔道書は一つ手順を間違えれば、世界を歪ませる程度の力を有し、魔道書を持つ者にはそれ相応の能力も付加される。
その魔道書の正体は、"生"を行き、一度"死"を経験した者の膨大な遺書の塊、その者の生前の行いが描かれた自伝でもある。
魔道書の製造方法は未だに不明、何処の誰かが作っていると言われているし、空から落ちてくるとも言われている。
そう言う噂が飛び交う中でもこうして魔道書は新しく製造されていくのだが。
「士護帳、帰ってたか、どうだった、仕事は?」
そうした思考回路の隅に深く深海していた矢先、特に釣り目が目立つ、黒く艶のあるショートヘアを靡かせながら、気だるそうに欠伸をして、その女性は声をかけて来た。
五年間毎日顔を居合わせているためか、その女性の名前を、士護帳荒哉は知っていた。
地下三階、男子寮であるこの階層は、男子職員が持つクリアライセンスカードが無ければこの階層に入る事は出来ない――無論、男子が女子寮へと入ることも出来ない――のだが、どういう訳だが、その女性は俺の部屋の前で袋詰めの煎餅を食べながら待っていたらしい。
煎餅を齧りながら此方に向かう女性、目前に迫り距離を縮めてくる白師静江の名前を、俺は嫌でも覚えている。
彼女は、この王立魔道図書館の"第六図書長"の位置に立ち、俺の上司として君臨している。
「あぁ、終わったさ、相手は俺を"怪物"に仕立て上げたがな」
ぶっきら棒にそう告げて、強制的に会話を閉ざす。
時刻はもう朝の八時、昨日の任務により約十八時間寝ずに仕事を行ってきた為か体がうまく動かない。
睡眠欲は無いが、眠らなければ体が壊れる事を数年前に発覚したために、三日に一度は睡眠を摂らなくてはならない。
千鳥足のまま、壁を伝って部屋へと移動する、途中白師は俺のクリアライセンスカードを胸ポケットから引っ手繰ると、俺の部屋の前でライセンスカードをセンサーに翳し、扉を開ける。
気前がいいなこの上司、と想っていた矢先、白師は俺の横の壁に手を添えて、壁を背にした俺と向かい合わせになる。
「あのな、士護帳、今日、お前の後輩が来るんだ」
と、唐突に白師はそう告げた。
後輩が来る、と云う事は、新しい王立魔道図書館の職員がやって来て、俺達の部署に入る事となるらしい。
「そうか、じゃあその話は俺が起きた後だな」
身体を引きずって、白師の腕を剥がして、そのまま部屋に直行する、何か言われる前に颯爽と部屋に入り扉を閉める。
基本王立魔道図書館は防音となっているので、外からの声も、中からの声も聞こえて来ることは無い、その上鍵は俺の持つクリアライセンスカードしかないので、外側からは開ける事も出来ない。。
玄関を抜けて、リビングに設置した簡易ベッドで横になろうとして、
「あ、センパイ、おはようございます」
―――何か、小動物的な少女と目が合った。
紫がかった灰色の髪、一部の髪を編みこんでいて、後ろ髪には少し赤めのリボンで結んでいる。
その瞳は茶色で少しばかりの垂れ目、じっと見る姿はリスの様で愛いらしい。
俺は一度眠い身体を振り絞って玄関前へと直球、予想では白師が三歩前に立っているだろう。
「おう、士護帳、またあったな」
ピッタリドンピシャ、煎餅のカスを頬一面に引っ付けながら、煎餅を齧り続ける姿が目に見える。
頭が痛い、何でこんなにも、疲れなければならないのだろうか、俺はただ、眠りたいだけなのに。
「部屋の中に居た奴、あれが後輩か?というかどうやってこの部屋に侵入した?」
白師は煎餅の袋に突っ込んだ腕を抜いて、俺の隣の部屋を指差す。
隣の部屋は八橋と言う男で、白師の弟子だとか何とか言っていた気がする。
「昨夜、お前が任務で第二部署から引き抜かれる事は知ってたからな、八橋に頼んで、お前が外出した直後に開いた扉の隙間に、指を突っ込んでもらったのさ」
何と言うべきか……言葉にならない。
いや、賞賛の意ではなく、あまりにも馬鹿ばかしい絶句の意味でだ。
確かに、オートロック式の部屋と言うのは、クリアライセンスカードでロックを解除するか、内側からそのまま開けるかでしか開かない。
けれど、ロックが解除され、扉が開いた状態では、扉の間に物でも置けば鍵無しでも部屋に侵入できる。
「……一体何がアンタを此処まで頑張らせるんだ?」
「無論サプライズだ、驚いたか?」
あぁ、驚いた、アンタの馬鹿さ加減に。
「―――あ、あの、お邪魔、でしたか?」
リビング先から声がする、言わずもがな、先程の少女だろう。
白師は煎餅の無くなった袋を折り畳みながら、ついでだと言わんばかりに、少女の自己紹介を始める。
「あー、そいつ、名前は古衛リシアと言う、一応出身地はお前の地域らしくてな、リシアの方は、お前の事を知ってるんだと」
「は、はい、センパイ、覚えてますか?一応センパイと同じ高校だったんですけど………」
同じ学校、四之宮高等学校か、あぁ覚えてはいるが、こんな後輩、俺は会った事も無い。
単に記憶が無いだけか?と考えていればいるほど、少女の笑顔に曇りが見える。
最終的には、
「や、やっぱり、覚えてませんよね………すいませ、すいません、私、自惚れちゃって………」
瞳には今にも溢れそうな涙の粒、別に、覚えていなくても、其処まで落ち込むことは無いだろうに。
白師はあーあー、泣かしたー何て言って茶化してくる、覚えていないものは覚えていないのだ、仕方が無いことだろ、と心の内でそう叫んだ。
如何なる厄介ごとでも一番面倒なのは、女性の涙だ、男の性はどうしてもそれには逆らえないらしい。
古衛の肩に手を乗せて、慰めの言葉を掛ける。
「………まあ、俺なんか覚えてくれて、ありがとな」
昔、俺は孤立していた人間だった、一際目立つ事もしてないし、何も成し遂げることはしなかった。
影の薄い、というよりかは、存在をなかった事にされていた、と言えば正しい。
士護帳荒哉と言う人間を知っている奴は、本当に一握りしか居ないというのに。
その言葉が功を奏したのか、涙目の彼女は少しばかり笑って、目に溜まった涙を零す。
「第六図書長、俺ぁ寝ます、午後の三時頃には起きますんで、用事があれば三時以降に電話を」
白師は了承し、不意に、古衛の頭に触れて、またな、と言った。
扉がきちんと閉まっているのを確認すると、身体はもう動かない。
玄関先で死んだように眠った後には、もう誰も起こすものは居なかった。




