別れ行く者
リーゼは周囲の緊張した空気に息を飲んだ。
原因は部屋の中央のテーブルで向かい合って睨み合う一組の男たちだ。
同じテーブルに座っている恋人のカイルと、今回の仕事の当事者である少女がおろおろとしていた。
彼女たちがいるのは、教会に併設されている宿舎の一室だった。この交易都市サーヴェイはこの辺りでは一番大きな教会があり港も有するので、聖都に巡礼に向かう人々はこの街に逗留することが多い。そこで巡礼に来た人たちの為に教会が提供しているのだ。
睨み合っているのは、リーゼの仲間のベネトと、この教会の責任者でもあるカフマン司祭だ。まるで親の仇に会ったような敵意を剥き出しにしていた。
緊張した空気の原因は今回の依頼だ。
リーゼはテーブルに座る少女を見てため息をついた。彼女の名前はミレア・サーヴェイ。この街の領主の姪であり、今は修道女の服装をしている。
彼女は修道院で行儀見習いをしていたが、正式に修道女となることが決まり、聖都で大司教から洗礼を受けることになった。
その聖都までの護衛として、リーゼたち傭兵団『不朽の剣』に声がかかったのだ。
そこまでは良かった。
いや、実はリーゼにとって個人的には問題があったのだが、仕事としては問題がなかった。
いざ教会の責任者と打ち合わせという段階になって、司祭が口を出してきたのだ。
曰く、スラム出身の人間を教会が雇うのは問題があると。
スラム街の人間は多かれ少なかれ犯罪を犯しているというのが、一般的な認識だ。ベネトはそのスラム街の出身だった。
実際、ベネトが昔犯罪に関わったことがあるのもリーゼたちは知っていた。
今はもうスラム街を出た身としても、元犯罪者を教会が雇うのは教会の威信に傷をつけるというのだ。そして、護衛からベネトを外すように要求してきた。
依頼人の意向はできる限り尊重すべきだ。
それはリーゼたち傭兵にとっては常識なのだが、いきなり仲間の一人を排斥するような真似は受け入れ難い。
これまでにも同じようなことがなかったわけではないが、大抵は信用できるかが問題であって、今回の様に面子のみを理由に拒絶されたことはなかった。
手配されている犯罪者でもない限り、傭兵の経歴自体を問題にすることはないのが通例なのだ。そもそも傭兵の経歴など自己申告で、信用などできないものだからという事情もある。
傭兵は良くも悪くも実績と実力だけで判断されるものなのだ。今回のような問題は異例と言える。
しかも、護衛対象との顔合わせも終わって、既に旅の準備も終えたところでの横槍だった。
ベネトが司祭から譲歩を引き出そうとするが、司祭はベネトと言葉を交わすのも嫌だと言わんばかりに聞く耳を持たない。粘り強く説得していたベネトもだんだんと苛立っているのが背中から見ていて分かった。
結局、司祭は明日返事を聞くと言って、一方的に話を打ち切って出ていってしまった。
護衛対象のミレアは申し訳なさそうに一礼してから、司祭の後を追って部屋を出ていった。
後に残されたリーゼたちは、重い雰囲気の中、ため息をついた。
教会の宿舎を出たリーゼたちは部屋を取っている宿の一階の酒場に場所を移した。
この宿はスラム街のぎりぎり一歩手前といった場所にある安宿だ。この辺りは治安が悪いが、その分安く宿が取れるので、腕に自信のある傭兵などがよく使う。
今もリーゼたち以外にも傭兵だろうグループがいくつか食事をしていた。
周りに聞かれないための奥の角の席を取ったリーゼたちは、今後の相談を始めた。
端的に言えば、3つの方針がありえる。
一つ目は、あの司祭を説得できる材料を揃えることだ。
だが、あの司祭はまともにこちらの話を聞こうともしなかった。ミレアを経由すれば少しは耳を貸すかもしれないが、そもそもそれだけの材料を揃えられるかが疑問だ。
二つ目は、司祭の要求を飲んで、ベネトに残ってもらうことだ。
だが、斥侯の役目をしていたベネトは誰よりも早く敵の襲撃を察知できる。安全確保の観点から言えば、ベネトの不在は大きな痛手だ。
それに別行動している間、一人残されたベネトはどうするのかという問題がある。他の傭兵と組むという手もあるが、それは実質的にリーゼたちと別れるということだ。
これまでに仲間として一緒に戦ってきたことを思うと、どうにも納得し難い。
そして、最後の三つ目は、この仕事を断ってしまうという選択肢だ。
契約違反だと違約金を請求される可能性はあるが、そもそも難癖を付けてきたのは向こうだ。駆け引きの余地はある。
だが、この案にはカイルが難色を示した。
カイルには、病気の妹がいる。彼は妹を助けるための優秀な薬師の伝を得たがっていた。この街の領主の姪であり教会との繋がりもあるミレアは、彼にとって何としても近付きたい相手だ。
この依頼はカイルにとって絶好の機会だった。
話し合いは難航し、決定的な方針は決まらなかった。結局、司祭を説得できる案を考えておく、という当面の方針を確認するだけで終わってしまった。
リーゼは思い詰めたような顔をしたカイルが心配だった。リーゼが彼女の部屋に誘うと、カイルはおとなしくついてくる。
カイルは勧められてベッドの端に座ると、大きなため息をついた。今回の仕事は大きなチャンスだと思っていただけに、間際になってのトラブルに疲れているようだった。
リーゼはそっとカイルの隣に座って、背中をさする。
カイルを慰められればと思うのだが、どうすれば良いのか、リーゼにも分からない。
あの分からず屋の司祭も問題だが、リーゼたち『不朽の剣』にも問題があった。
自分が原因である以上、はっきりとは口にしないが、ベネトは今回の仕事は断りたいように感じられた。
セトも司祭の態度を不快に思っているようだ。当事者のベネトが言わないので黙っているが、ベネトが断ることを主張したら反対はしないだろう。
その気持ちはリーゼにも分からなくはない。何故なら、リーゼもまた、女性でありながら武器を手に取っていることで、司祭の疎ましげな視線に晒されたからだ。
聖教会では、女性は家庭の中で夫を支え子を産んで育てるのが理想とされ、一般に推奨していたからだ。例外と言えば修道女だが、どちらにしても武器を取って戦うなど、聖教会の人間の目から見れば異端だった。
はっきり言ってしまえば、カイル以外の三人にはこの依頼を積極的に受ける理由がない。リーゼとベネトは明らかに疎まれているし、セトは何故かは分からないが聖教会を忌避している。
カイルは絶好の機会を逃したくないが、だからといって仲間を蔑ろにはできない。カイルは自分の望みと仲間たちの絆の板挟みになっていた。
ただ、一つだけ、リーゼはカイルに伝えるべきことがあることに気付いた。
カイルにそっと寄り添い、リーゼは伝えた。
カイルがどんな選択をしたとしても、
私はカイルと一緒だよ。
カイルはハッと振り返ってリーゼの顔を見つめ、しばらくしてから、嬉しそうな顔で頷きリーゼの肩に頭を預けた。
リーゼはそっとその頭を撫でた。
二人はその日、ずっと二人で寄り添い語り合った。
カイルたち男性陣の部屋で、リーゼたちは顔を突き合わせてこれからの方針を相談していた。以前はカイルとリーゼは同じ部屋だったが、今はミレアの苦言により男女別の部屋割りになっていた。
部屋の中央に立ったカイルが、思い詰めた表情でベッドの端に座ったベネトの顔を見つめていた。その顔には強い懇願の色がある。ベネトは無表情にカイルを見上げていた。
今回の仕事をどうしても受けたい。
ベネトには悪いが、この街で待っていて欲しい。
カイルがベネトにそう頼んだのだ。
無論、聖都まで往復するのにかかる時間を考えれば、それは実質的な別離の勧告に等しい。
リーゼはカイルの傍にいたかったが、部屋の隅ではらはらしながら見守ることしかできなかった。カイルから、口出ししないように念押しされていたからだ。
セトは扉にもたれ掛かり、カイルたちよりも部屋の外が気になっている様子でチラチラと背後の扉の方に視線をやっていた。
どれくらいそうしていただろうか。
ベネトはフッと肩を落とすと、カイルの頼みを受け入れた。カイルはあからさまにホッとした顔をし、見守っていたリーゼも緊張が抜けて安堵のため息をついた。
だが、ベネトが自分の荷物を持って立ち上がると、リーゼの心にはざわめくような焦りが浮かんだ。世話になったと言い残して部屋を出ようとするベネトの背中に思わず声が出そうになるが、言うべき言葉が思い浮かばない。見ればカイルも同じような葛藤に苛まれているのだろう、苦しそうな顔をしていた。
部屋を出ようとしたベネトと、扉に背中を預けていたセトの視線が一瞬絡まり、すっとセトが脇に退くとベネトは扉を開けて出ていった。
ベネトが後ろ手に扉を閉めようとした時、不意にセトが手を伸ばして扉を止めた。
何事かと振り返るベネトを無視し、セトは部屋の中のリーゼたちの方へ振り返り、唐突に告げた。
悪いけど、僕も抜けるよ。
え?
リーゼは頭の中が真っ白になった。横でカイルも呆然とした顔をしている。
リーゼは信じられなかった。
セトはリーゼとカイルの幼馴染だ。村を出た時も、リーゼたちとは違い、セトには村を出る積極的な理由はなかった。それでもセトは幼馴染であるリーゼたちと一緒に村を出ることを選択した。
セトが自分たちと別れようとするなんて考えたこともなかったのだ。
それに、今回の仕事で風当たりが強いのはベネトとリーゼだ。セトが聖教会に不快感を持っていたのは知っているが、ある意味で一番抵抗がないと思っていた。
リーゼたちの中では一番ベネトと仲が良かったが、自分たちよりもベネトを取るとは思えない。
実際、ベネトもセトの決断に驚いているようだった。
カイルやリーゼだけでなく、ベネトさえも止めようとしたが、セトは耳を貸さなかった。
何故なのかと詰め寄るリーゼに、セトは肩を竦めて答えた。
これ以上、一緒にいても仕方がない、と。
リーゼにもカイルにも、セトが何を言っているのか分からなかった。ただ、ベネトがリーゼとカイルの顔を交互に見て、仕方なさそうな顔をしたのが印象的だった。
引き留めようと懇願するカイルに背を向け、セトはベネトの背中を押して部屋を出ていった。
二人を見送ったリーゼとカイルは動揺を隠せず、顔を見合わせた。カイルは不安そうに顔を歪めていた。
その顔を見れば、リーゼにはカイルの気持ちが痛いほど分かった。
ずっと一緒だった仲間との別れ。
自分の判断が間違っていたのではないかという後悔。
そして、セトに裏切られたという悲痛な悲しみ。
それを見たリーゼは、思わず駆け出していた。
階段を駆け降り、宿を出ようとしていたセトの肩を掴んで引き留める。
セトは驚いたように目を見開いた。困ったような顔でセトがベネトを振り返ると、ベネトは小さく頷いて懇意の傭兵仲介屋の所で待っていると告げて去っていった。
部屋で話はついた筈だと嘯くセトに、リーゼは詰め寄って問い詰めた。
リーゼは必死だった。カイルにあんな顔をさせたくなかった。何が嫌だったのか。どうすれば残ってくれるのか。最後には残れと命令するように言い切った。そこで残って欲しいとすがりつかないのがリーゼのリーゼたる由縁である。
セトは悲しそうな顔で必死になったリーゼを見詰め、彼女の言葉が途切れるのを待って告げた。
君はカイルの事しか頭にないんだね、と。
リーゼはその言葉に絶句した。そして、次に浮かんできたのは怒りだった。
幼馴染のセトがいきなり別れを切り出して、自分とカイルがどれほどショックを受けたのか、この仕事を受ける決断をするのにどれほど悩んだのか。
想いの迸るままにセトにまくし立てた。
ありったけの想いを叩きつけられながら、それでもセトの悲しそうな顔は変わらない。
ただ一言。
それはカイルの気持ちだと。
一瞬、リーゼは言葉に詰まったが、自分の言葉が間違っているとは思わなかった。ベネトやセトの事を大切に思っているからこそ、悩み衝撃を受けたのだ。
睨みつけるようなリーゼの視線と、悲しそうなセトの視線が交差する。
そして、先に目を逸らしたのはセトの方だった。リーゼはこちらをきちんと見ろと詰め寄ったが、改めて視線を合わせたセトの眼差しは冷めていた。
セトの目には罪悪感や負い目のようなものは感じられなかった。ただ、深い落胆の色があった。その無機質な眼差しに、思わずリーゼは息を飲む。
思わずリーゼが気圧されたその隙に、セトは身を翻した。
リーゼは思わずセトの名前を叫んだが、セトはもう振り返らなかった。
リーゼが部屋に戻ると、カイルは消沈した面持ちでベッドの端に座っていた。
リーゼの姿に気付くとハッと目を輝かせ、リーゼの背後に誰かの姿を探して視線をさまよわせる。そして、セトの姿が無いことを理解すると、再び肩を落とした。
リーゼはカイルを慰めながら想う。
一体、何が悪かったのだろう?
リーゼにとって、セトは自分の子分のような存在だった。これまでも無茶な事を押しつけた事は多々あったが、セトは呆れながらもそれに応えてくれた。そのセトが自分に反抗して別れるなど想像もできなかった。
リーゼが思っていた以上に、セトとベネトの間には強い絆があったのだろうか。幼馴染であるリーゼたちよりも強い絆が。
リーゼはカイルを慰めながら、胸中に冷たい風が吹いたような空寒さを感じた。これまで当然のように隣にいたセトがもういない。
リーゼはカイルにより強く身を寄せ、必死に慰める。
でも本当は、リーゼの方がその心細さから逃れるために、カイルの体温を欲していたのかもしれない。
弟ですらなく、子分扱いでした。