想いの向く先
「見えざる壁の向こう側」はこの話の後です。
設定ばっかでまだ短編の体裁を成してません(汗)
駆け出しの傭兵カイルには、ファナという3つ年下の妹がいた。
彼女は9つになった時に急に胸を押さえて倒れた。
慌てたカイルたち家族は村の薬師に診せたが、村の薬師の手に負えるものではなかった。心の臓の病であることは分かったが、村の薬師の扱える薬では発作を押さえるのが精一杯で、根本的な治療はできなかったのだ。
彼女を助けられるような薬師の当ては二つしかなかった。
一つは宮廷のお抱えの薬師だ。
しかし、彼らは高位貴族の紹介でもない限り、診てもらうのは不可能だった。
もう一つは、聖教会のお抱えの薬師だ。
彼らは平民でも診てくれる。だが、その為には途轍もない額のお布施が必要だった。
どちらも今のカイルたちには手が届かなかった。
カイルの家は元貴族だったが、没落してしまった彼らには高位貴族の伝はなく、必要なお布施を払えるほどの財産もなかった。
途方に暮れるカイルは、ある日、幼馴染のリーゼからある誘いを受けた。村を出て傭兵にならないかというのだ。 カイルはそれに一縷の望みを託した。傭兵となってお布施を払えるだけの金を稼ぐか、高位貴族の目にとまって伝ができれば妹を救える。
家族を説得するのは簡単だった。
彼の家は権力争いに負けて没落し彼の村に落ち延びてきた。彼の両親は平民暮らしに慣れて、傍目からは元貴族とは思えない気さくな人柄をしていたが、彼の祖父母はいまだ貴族の誇りが捨てられず、彼にお家再興の夢を託していた。両親は自分たちで何とかできないかと渋ったが、祖父母がカイルを後押ししてくれたのだ。
そしてカイルは幼馴染のリーゼと、何故か一緒についてきた同じく幼馴染のセトと共に村を出た。
街に出てきたばかりの頃は大変だった。当時は14才で辛うじて成人していたが、傭兵として彼らをまともにとりあってくれる者はいなかった。カイルは内心、村を出たのは間違いだったのではないかと思っていた。
状況が変わったのは、ベネトというスラム街の青年が仲間になった時からだった。
ある仕事でスラム街に行った時、深手を負って倒れていた彼を助けた。お人好しのリーゼが強く主張した為に助けたが、カイルは彼を仲間にするつもりはなかった。スラム街に住む者たちが犯罪者であることは誰でも知っていたからだ。流石に最初から何か企んで接触してきたとは思わないが、いつ裏切るか分かったものではない。
だが、セトが強硬に仲間に誘うことを主張した。仕事を受ける為の交渉役として、自分たちよりも年上の、周りから大人と受け取られる人間が必要だと主張したのだ。
最後にはカイルが折れたのだが、結果的に言えば、セトの意見が正しかった。ベネトは言葉巧みに交渉し、商人から商品を安く仕入れ、仲介人から仕事を取り付けてきた。
ベネトへの不信感は薄れ、彼のことを本当の仲間のように思うようになっていった。
ある日、近郊の村のとある討伐依頼を受けたカイルは村へ向かいながら憂鬱なため息をついた。どうしたのかと心配するリーゼにも、何でもないと返すのが精一杯だった。
カイルが憂鬱になった原因は故郷の村から送られてきた手紙だった。差出人はカイルにとって何よりも大事な妹だ。
その手紙にはカイルを気遣う言葉と共に、一緒に村を出たセトのことも書かれていた。単なる付き合いとはいえ、妹の手紙に自分以外の男の名前が書かれているのは不愉快だった。今度、稽古と称してヤキを入れようと決心する。
いや、それは本題ではない。
一番の問題はリーゼだ。
妹の手紙からはいっそわざとらしいくらいに、リーゼに関することが書かれていなかった。
小さな頃、カイルはよくリーゼに連れ合わされて、村中を飛び回っていた。彼らよりも小さく、リーゼとは違って男の子たちと一緒に遊ぶような活発な子供ではなかった妹はカイルたちについていけなかった。
残された妹が心配で家に帰ろうとすると、リーゼはセトにカイルの代わりに妹の相手をするように命じたものだ。
妹が病気で倒れた時、ちゃんと妹と一緒にいてやれば良かったと後悔した。今でも、あの頃のことを思い出すと、どうしようもない後悔に襲われる。
何にせよ、そういった経緯から、昔はリーゼは自分から兄を引き離す相手として妹に嫌われていた。
無論、リーゼには悪意はなかったし、彼女がカイルと一緒に傭兵をやっているのも妹のためだ。
妹もそれは理解しているのだが、一度植え付けられた苦手意識はなかなかなくならない。
それが、今のカイルの悩みの種だった。
何故なら、そのリーゼが今のカイルの恋人なのだから。
山賊討伐に参加したその討伐前夜、初めて人に向かって剣を振るうことへの緊張から、かなり酒を飲んでしまった。
剣を学ぶ過程である程度覚悟を決めていたカイルでさえそうなのだから、元は狩人の娘だったリーゼは浴びるように酒を呷って不安を打ち消そうとしていた。
酔い潰れて正体を失っていたリーゼに肩を貸して彼女の部屋まで運んだが、彼女は一人ではベッドまで歩くこともできない状態だった。
カイルは彼女を支えてベッドに寝かしつけようとした。
しかし、ベッドに着いても彼女はカイルにしがみついて離れなかった。それどころか、腕により一層力を込めてきた。
どうやって引き剥がそうか。
困惑したカイルが気付いた時には、眼前にリーゼの顔があった。カイルの良く知っている日に焼けた健康美にあふれたリーゼの顔は真っ赤になり、目が潤んでいた。
驚きのあまり硬直したカイルの唇に、そっと柔らかな感触がした。
呆然としたカイルにリーゼが抱きつき、気付いた時にはベッドの上に二人して転がっていた。
石のように固まったカイルの耳元で、リーゼが囁いた。
愛してる。
カイルは顔が真っ赤になるのを自覚した。ぎこちなく首を巡らせると、リーゼと視線が合う。
これまで見たことのない、女の顔をしたリーゼがそこにいた。
カイルはいつしかその唇に吸い寄せられていた。
その夜、カイルはリーゼと共に一夜を過ごした。
といっても、ただ隣で寝ていただけだが。
正直に言えばその先の進みたかったのだが、諦めざるを得なかった。リーゼが身重になり子供ができたとなれば、傭兵稼業を続けるのは不可能だ。
カイルは傭兵を辞めるわけにはいかなかった。そうなれば妹を助けることができない。
それに、外の世界は何もかもが新鮮でカイルの心を魅了した。没落する前には大きな街に住んでいたが、貴族としての暮らしとは全く違った。
リーゼは子供が欲しいらしく不満だったようだが、セトたちが気を効かせて宿では同じ部屋にしてくれたので、今はそれで妥協してくれている。
セトとベネトには本当に感謝していた。
村へ向かう途中で、ふとベネトが立ち止まった。
ベネトはカイルたちの中で一番感覚が鋭い。これまでもその特技を生かして斥侯の役目を務めてくれていた。何事かとカイルたちは周囲を窺ったが、何も分からなかった。
カイルたちの視線が集まると、ベネトが争うような物音と血の臭いがすると告げた。
それを聞いてカイルたちは気を引き締めた。ここは街道だ。ここで争い事が起きるとしたら、野盗の類である可能性が高い。
ベネトとセトが目配せして何かを言おうとするが、カイルがベネトに詰め寄る方が早かった。
どちらから聞こえるか訊ねるカイルにため息をつきながらベネトが答えた。
駆け出したカイルの後を、慌ててリーゼが追う。セトとベネトは頭を抱えたが、仕方なく後を追った。
カイルの視界に、街道から外れた場所で立ち往生する馬車と、それを囲む四人の野盗たちの姿が見えた。一人は大きな鉈のような剣を持ち、もう一人が粗末な槍を、そして残りの三人は棍棒を持っている。
馬車の周りには御者と護衛の戦士、そして返り討ちにあった野盗の死体がいくつか転がっていた。
カイルは気合いと共に駆け寄り、棍棒を持った野盗の一人に切りかかった。
予想外の乱入者に驚いた野盗は何もできずにそのままカイルに切り伏せられた。
続けて切りかかろうとしたが、野盗たちが立ち直る方が早かった。横手から切りかかってきた野盗の剣を舌打ちして防ぐ。
三人が一斉に切りかかってこようとしているのを見て、カイルは内心で焦りを覚えた。
そこへ、一本の矢が野盗に向かって飛んできた。リーゼだ。
矢は当たらず野盗たちの間をすり抜けてしまったが、野盗たちを牽制する効果はあった。しかし、その隙に切りかかろうとしたカイルの動きに野盗たちの一人が辛うじて反応し、カイルもまた反撃の機会は得られなかった。リーゼも援護する機会を窺うが、カイルと野盗たちが近付き過ぎてしまったため弓を放てない。
だが、代わりの援護があった。
リーゼとは別の方角から近付いてきたベネトが槍を持った野盗にナイフを投げつけ、そこへセトが飛び込んでいく。相手が怯んでいる内にセトは槍の間合いの内側に入り込み、最近買い換えた剣を振り降ろす。
槍と剣では圧倒的に槍の方が有利だ。懐に入り込んでしまえばその優位性は失われるが、余程の実力差がなければ懐には入り込めない。だからセトとベネトは最初の奇襲で槍を持った野盗を狙ったのだ。
二人の想定通り、槍を持った野盗は辛うじて槍の柄でセトの剣を受け止めたものの、防戦一方だった。槍術には懐に入り込んだ相に対処する技術もあるが、ただの野盗にできることではない。決着がつくのは時間の問題だった。
残りの野盗たちが助けに入ろうとするが、カイルと、遅れて飛び込んできたベネトが間に割って入る。
そして、槍を持った野盗が倒されれば、後は一方的な戦いだった。1対1では野盗はカイルの敵ではない。他の野盗をセトたちが抑えている間にカイルが切り伏せてしまう。
そこで残りの野盗たちが逃げ出し、カイルとリーゼは追いかけようとしたが、セトとベネトは反対した。カイルが二人を説得しようとする間に、野盗たちは姿が見えなくなった。
カイルは舌打ちしそうになった。
野盗を逃せばまた誰かが襲われる。他に仲間がいたら報復しようとするかもしれない。確実に倒すべきだった。捕らえられれば最善だろう。
だが、セトとベネトの仕事でもない危険を冒すことを嫌がった。自分の命を守ることを最優先にすべきだと主張したのだ。
向こうが報復してくる可能性を指摘したが、どんな根拠があるのかは分からないが、二人は野盗たちにそんな余裕はないと断言した。
リーゼが青筋を立てて問い詰めようとしたが、カイルはため息をついてそれを止めた。二人の意見は、傭兵としては正しい。それが分かっていたからだ。
確かに、野盗がわざわざ個人への報復をする可能性は低い。野盗が護衛などに返り討ちに遭うのは日常茶飯時だ。いちいち報復していたら、本業をする間もないだろう。
他の人が襲われる可能性はあるが、それは傭兵にとってはむしろ飯の種である。街で手配されているほどの相手でない限り、懸賞金も期待できない。
そう、傭兵としては正しくとも。
カイルは胸の奥の凝りには目を逸らして、襲われていた馬車に注意を向けた。
馬車の中を覗くと、身なりの良い令嬢とその侍女と思われる二人が馬車の隅で縮こまっていた。
その令嬢の姿を見て、カイルは目を見開いた。
そこにいたのは、カイルがこれまで見たこともない美貌の少女だった。カイルと同じ金髪碧眼。まるで女神像のような掘りの深い、整った容貌。
村では金髪碧眼はカイルの家族だけだった。街に出てきてからも、金髪碧眼の人間はいたものの、くすんだような色をしていた。
それらを全て含めても、これまで彼女ほど美しい少女は見たことがなかった。妹なら、成長すれば彼女より美しくなるだろうが。
一瞬、カイルは魅入られて我を失っていたが、はっと気付いて彼女たちに話しかけた。
彼女たちはカイルを見て怯えていたが、カイルが説明して自分たちが助けられたということを理解すると、ほっと安堵の息をついた。
それからまた一悶着あった。
助けた令嬢をどうするかだ。彼女たちはカイルたちが拠点としている交易都市に向かっていたらしい。郊外の村に向かっていたカイルたちとは逆方向だ。そして、魔物の出没する村に彼女たちを連れていける筈がない。
議論の末に、カイルだけが彼女たちについていき、リーゼたちは村に向かうことになった。
彼女たちにカイルがついていくことになったのは、カイルだけが馬車の御者をすることができたからだ。馬は貴重なので田舎の村では乗る機会がない、カイルにしても、知識として学んでいただけだが、彼らの中では一番マシだった。
リーゼもカイルと一緒に行きたがったが、魔物討伐の戦力を減らさないために説得した。
こうして、カイルはこれまでの人生の中で、最も美しい少女と共に、街へ戻ることとなった。
街に戻る道すがら、彼女たちから色々なことを聞いた。
彼女の名前がミレア・サーヴェイといい、驚いたことに彼らの拠点とする交易都市サーヴェイの領主の姪なのだという。
今までは行儀見習いの意味もあってとある修道院にいたが、正式に修道女となることが決まり、一度実家に戻ることになったのだという。
ずっと修道院にいただけあって清冽な気配を纏っており、教養が豊かで見識に明るかった。
昔語りに聞く聖女とは彼女のような人間だったのかもれない。
カイルは街に辿り着くまで、彼女と語らった。
それはカイルにとってとても心躍らせる時間だった。カイルは彼女との短い旅を心から楽しんだ。
それが一つの破綻の契機とも知らず。