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知恵の毒

 彼女がその孤児院に興味を持ったのは偶然だった。

 聖都に向かう貴族令嬢の護衛として旅をしてきた傭兵のリーゼは、とある街に滞在していた。

 護衛対象の令嬢、ミレアは先を急ぎたがっていたが、リーゼの恋人であり同じ傭兵でもあるカイルがそれに反対し、ここで傭兵を募るべきだと主張したのだ。

 この街は彼女が住んでいたジルベルト辺境伯領にある三つの街の一つで、この先は国境まで下級貴族の領地がいくつかあるだけである。

 中央集権を進めたこの国では、中央の治安が極めて良い代わりに、国境に近付くほど治安が悪くなっていく。

 その事から、ここから先はリーゼと二人だけでは人手が足りないとカイルは考えたのだ。ミレアについてきた修道士のナジルが戦えれば良いのだが、彼は馬車の御者を務めるのがせいぜいだ。

 ただ山賊の討伐をすれば良いのであれば、二人でもやりようがある。二人で背中合わせになって戦えば、死角を作らないようにすることができるからだ。

 だが、誰かを護衛するとなると二人では厳しい。最低でも三人いなければ守りきることは難しいのだ。三人いれば、三角形に布陣し護衛対象をその内部に庇うことができる。まあ、三人と言わず、多ければそれだけ戦い易くなるのだが。

 そこでカイルは一人で傭兵を探しに向かった。この街の傭兵の仲介をどこでしているかは知らなかったが、傭兵というのは酒好きが多い。酒場を回れば、どこかで傭兵を捕まえて話を聞けるだろう。

 リーゼもついて行きたかったがカイルに止められてしまった。傭兵の中には女に手を出そうとするならず者紛いの者も多い。ましてや余所者相手ならば、手を出すことに躊躇わない者はいくらでもいる。そんな傭兵たちの溜まり場にリーゼをつれていく事を避けたのだ。

 そこで、街を散策するミレアの護衛ついでに旅に必要な物資を仕入れることにした。

 その途中で、寂れた孤児院を見つけたのだ。


 リーゼはその孤児院がどこか奇妙に感じた。

 不思議そうに立ち止まったミレアを余所に、しばらく考え込んだリーゼは、ようやく何を奇妙に感じたのか理解した。

 教会がないのだ。

 大抵の孤児院は聖教会の支援で成り立っており、教会に隣接して作られることが多い。彼女が拠点にしていた交易都市でもそうだった。

 荷物持ちとしてついてきたナジルによれば、この街の教会は規模が小さいため、孤児院を経営していないらしい。おそらく貴族か商人の支援で成り立っているのだろうと言った。

 そこで、教会の関わっていない孤児院というものに興味をもったミレアが、中に入ってみたいと言い出した。

 中に入ってみると、敷地は酷く荒れているようだった。草があちこちに蔓延り、建物もボロボロだった。

 どうやら生活はかなり苦しいようだ。

 建物に近付いて、窓から中を覗くと、中では一人の老女が子供たちに文字を教えているようだった。リーゼの不作法に顔をしかめながらも、ミレアも同じように顔を覗かせた。

 中にいる子供は十人ほどで、ボロボロの布にしか見えない粗末な服を身に纏いながらも、目を輝かせながら老女の話を聞いていた。

 それを微笑ましい想いで眺めていたリーゼは、ふと隣のミレアの様子がおかしいことに気付いた。

 彼女は、酷く沈んだ顔をしていた。どこか痛ましげな瞳で子供たちの顔を一人一人確かめ、小さく首を横に振って目を逸らした。

 ナジルが正面から訪問しようとしたが、ミレアはそれを止めるとリーゼたちを促して孤児院の敷地から出ていった。

 そのどこか思い詰めたような面持ちに、リーゼは落ち着かない気持ちになった。横目でナジルの様子を伺うと、あからさまに困惑した様子でキョドキョドとミレアの顔色を伺っていた。

 宿に戻るまで、ミレアは無言のままだった。



 護衛と身の回りの世話を任されたリーゼは、ミレアと同室だ。夕食を終えて部屋に戻ったリーゼは、どこかぼんやりとしたミレアを見てどうしたものかと困惑した。

 理由は分からないがとにかく何か言って慰めようとしたリーゼは、後一歩のところで立ち止まった。

 ミレアが押し殺したような声で不意に話し始めたからだ。彼女は独り言のように言った。


 孤児院で文字を教えられていた孤児たち。あの子たちはあまりに不幸です。


 その言葉に、リーゼは孤児院の様子を思い出し、納得した。

 あの孤児院はあまりにも寂れていた。おそらく、まともな支援を受けていないのだろう。彼女は彼らの境遇を嘆いているのだ。

 そう、思った。

 だから、ミレアの続けた言葉が理解できなかった。


 勉強なんてしなければ、不幸にならないたのに。


 リーゼはただ、え?、という間抜けな声を漏らすことしかできなかった。

 この国では平民の識字率はかなり低い。リーゼやセトは元貴族のカイルと交友があった関係で、基本的な読み書きができるようになっていたが、村では村長の家以外は読み書きができず、その村長の家でさえ女性は読み書きができない。

 街に出て傭兵になってから、彼女たちと同じように一攫千金を目指して田舎から出てきて傭兵を目指す人たちに会ったことがあるが、契約書や依頼の覚え書きが読めずに苦労しているのを見たことがある。今回の依頼でも、聖都までの道のりを確かめるのに、ミレアの所有する本や教会の本に頼ったものだ。文字が読めなければ相当苦労したことだろう。

 リーゼには、勉強することが何故不幸に繋がるのか理解できなかった。彼女が理解できていない事に気付いたミレアが、苦笑して補足する。


 読み書きができるようになれば、自然に世の中のこともよく分かるようになる。そして、自分たちがこの社会でどれほど低い地位に居るかを理解するだろう。それは不幸なことなのだと、ミレアはそう語った。

 自分が不幸であることを知らなければ、それは当たり前のことだが、知ってしまえばずっとその不条理に苦しむことになる。

 何故なら、彼らにはそこから這い出すことはできないのだから。


 リーゼはそれを聞いて顔をしかめた。ミレアの言っていることが納得できなかったからだ。

 不幸であることを知らない方が良いというのは、言い換えれば不幸な人間は不幸なままで良いという意味にもなるからだ。

 だが、ミレアは薄ら寒い笑みを浮かべて首を横に振った。


 奴隷は奴隷。

 孤児は孤児

 農民は農民。

 貴族は貴族。


 そこから逃れる術は無いのだと。

 堕ちることはあっても、這い上がることはできない。

 変えられない不幸を知ってどうするのか、と。


 リーゼは不快さに頬を歪めたが、反論することはできなかった。

 彼女が言っていることは一面の真実であることを知っていたからだ。

 この世界には、身分というものを変える機会はほとんどない。傭兵になった彼女は、ある意味ではそうした身分から逃れたと言えるかもしれないが、戦乱の時代でもない限り、例えばリーゼが貴族になる可能性などない。彼女が女性だという事実に目を瞑ってさえもだ。

 商人になって成功するという可能性ならありえなくはないが、商売を始めるには元手が必要だ。それは容易なことではないし、物々交換が主流の田舎では貨幣を手にしたことがない人間も珍しくはない。商人として身を立てるなど夢のまた夢だ。


 それでも・・・リーゼには認められなかった。


 リーゼの脳裏に浮かんだのは、恋人であるカイルの姿だった。

 彼女はずっとカイルと一緒に生きていきたかった。いや、生きていくと決めていた。

 身分など関係はない。

 まるで身分が絶対のようなミレアの主張は、リーゼには到底受け入れられなかった。

 敵意の籠もった視線でミレアを睨み付けたが、恐らく彼女にはリーゼたちの関係をあげつらう意図はなかったのだろう、まるで気付かずに続けた。


 でも、聖教会は違う。確かに貴族などの後ろ盾の会った方が有利ではあるものの、教会に入った者にはその行いによりより高い地位に着くことができる。

 だから、ああした教育は、教会の中でのみ行うべきだ。


 彼女が主張しているのは、だいたいそのような意味だった。

 熱意を込めて語るミレアを見て、それが教会に入ることを決めた理由なのだろうかとリーゼは思った。

 貴族であるミレアは恵まれてはいるものの、女性という立場から色々と制限されることも多いだろう。

 彼女はそこから逃れたくて教会に入るのかもしれない。

 だが・・・何かが間違っている気がした。

 リーゼは頭を振ってそんな思考を振り払う。彼女の仕事はミレアを無事に聖都まで送り届けることであって、ミレアの事情に深入りするべきではない。

 適当に相槌を打ちながらミレアの話しに付き合った。




 ミレアがその間違いに突き当たるのは、まだ先のことだった。


ミレアが教育に否定的なのは、この世界の人間としては常識的な発想です。

身分制が当然の世界の常識と、この世界の常識は違うという話です。

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