貴人たちの集い
目の前の冴えない風貌の男を睨み付けながら、オラン・サーヴェイは苛立たしげに鼻を鳴らした。
目の前にいる男はオランにとっては本家に当たる、ジルベルト辺境伯だ。本来であればオランの方が立場は下だが、オランはそれで引き下がるような男ではない。それだけの胆力を彼は備えていた。
だが、目の前の男もまた、一族を束ねる男だ。
火を吹くようなオランの険しい視線を何事もないかのように受け止めていた。
そして、何でもないことのように繰り返す。
イーズレー子爵家の娘を妻にする気はない、と。
辺境伯の答えに、オランは苛立たしげに下唇を噛みしめた。
イーズレー子爵家は下級貴族にも関わらず大臣を輩出したこともある、この国でも歴史ある名門だ。中央、すなわち王都の宮廷へ顔を繋ぐには理想的な相手だ。
オランはその子爵家の次女と辺境伯の縁談を進めようとしたが、偏屈な辺境伯はこの縁談を頑なに拒んでいた。
オランは貴族の典型的な金髪碧眼の端正な顔立ちをしていた。今年でもう50を数えるが、初対面の相手には30代と間違われることも多い。
それに対して、目の前の男、オランにとっては本家にあたるジルベルト辺境伯はくすんだ金髪と濁った碧眼をした冴えない風貌をしていた。まだ30代の筈だが、オランよりも老けて見える。
ただ、それは老いを感じさせるものではなく、背は低いが鍛えられた鋼のような体をした歴戦の戦士の風格が、実年齢以上の歳月を感じさせるのだ。
今から300年程前、一人の平民出身の戦士が隣国との戦争で活躍し、当時の国王からジルベルトの名を授けられた。後に貴族に列せられたその男は、国王から授けられた名を姓としてジルベルト伯爵家が誕生した。
そうした経緯からジルベルト伯爵家は武勇を尊び、身分に関わらず武勇に優れた者を一族に取り込んだ。その結果、ジルベルト伯爵家は貴族らしからぬ風貌をした者が多く、中央の長い歴史を誇る貴族から軽んじられることが多い。
オランが縁談を進めようとしているイーズレー子爵家は典型的な官僚貴族であり、ジルベルト伯爵家が望む武勇とは無縁の一族だ。辺境伯がこの縁談に否定的なのはそれが原因だろうとオランは判断していた。
蒙昧な辺境伯に、オランは苛立っていた。
ジルベルト伯爵家に嫁いできたのは、ここ数代は地方貴族の令嬢ばかりだ。中央との繋がりはだんだんと薄れ、ますます中央の貴族から軽んじられつつあった。
この縁談はその傾向を退ける絶好の機会だ。辺境伯はそれを理解していない。
結局、その日もオランは歯噛みして引き下がるしかなかった。
辺境伯とオランが睨み合っている頃、ジルベルト辺境伯家の屋敷では、一組の男女が揉めていた。
二人の言い争い、というより20代の男が一方的に10代の女に責められているのを見て、屋敷の使用人たち一瞬足を止めるが、またすぐに自分の仕事に戻る。この屋敷では、春と秋の一時期になるとよく見る光景だからだ。
傲然と胸を反らして詰め寄るのは、オランの娘のメネゼア。そして、詰め寄られているのは、辺境伯の年の離れた弟のセオドアだ。
彼女は年に二度、辺境伯に挨拶に来る父親についてこの屋敷にやって来て、セオドアに難癖を付けるのが恒例だった。
難癖の理由は何でもありだ。彼女の愛用する香水が用意していなかった。部屋に飾られた花が気に入らなかった。理由は何でもよいのだ。ただ、彼女はセオドアを毛嫌いしていた。
彼女は親に似て貴族であることに誇りを持ち、従姉妹のミレアと同じ自分の金髪碧眼を自慢している。それに対し、セオドアは父親に似て髪も瞳も金髪碧眼と呼ぶにはくすんだ色合いをしている。
故に、貴族らしからぬセオドアが自分より上の立場にいることが気に入らないのだ。
無論、辺境伯の弟と分家の娘では、セオドアの方が立場が上だ。サーヴェイ家は、辺境伯領にある三つの都市の内の一つを任せられた分家の筆頭だが、本家たるジルベルト伯爵家の一員であるセオドアには及ばない。本来なら彼女がセオドアに難癖をつけるなど許されないのだ。
セオドアが咎めてくれれば屋敷から追い出せるのにと歯噛みする使用人も多い。だが、当のセオドアがそれを咎めようとせず、何故か辺境伯も黙認しているため、誰も文句が言えなかった。
そうして今日も、メネゼアの我が儘が炸裂するのだった。
その日の午後、セオドアとメネゼアは街の中央にある城の尖塔に登った。
ジルベルト伯爵家の本宅のあるこの街は城を中心に築かれたが、平和な時代になり城の必要性が低下してくると、利便性の観点から城の外に設けられた屋敷が本宅となっていた。
その為、この城は一部をこの街の衛士の屯所に使っている他は使われていない。もっとも、最低限の手入れはされているが。
メネゼアはこの尖塔から見る街の風景がことのほか好きだった。普段は張りつめた彼女の表情が、この尖塔にいるときだけは穏やかに緩んでいる。
目を細めうっとりと街を眺めるメネゼアの横顔を、セオドアはこっそりと眺めた。
セオドアがメネゼアと初めて会ったのがここだった。
成人して衛士たちの訓練に参加するようになったばかりのセオドアが、気分転換のためにこの尖塔に登った時、膝を抱えて泣いている、まだ5才ほどの幼子だったメネゼアを見つけたのだ。
あの頃のメネゼアはまだ父親のような偏った貴族意識に染まってはいなかった。彼女は周囲の奇異な視線を正直に受け止め、周囲の人間に怯えていた。
彼女が奇異な視線に晒されたのは、元はと言えば、父親のオランの見栄が原因だ。
この国では、都会に住んでいる者ほど、そして身分の高い者ほど名前が長くなる風習がある。人口の少ない村なら2文字の名前で区別がつく。重なっている場合には~村の~、~の息子~、という区別の仕方をする。街に住む者なら3文字、王都などの大都市に住む名士なら4文字くらいだ。5文字の名前は国王に与えられる場合がほとんどだ。
貴族の場合はまた違う傾向があるが、身分の高いものほど名前が長いのは同じである。
そして、メネゼアのように分家筋の人間でありながら4文字の名前を持つのは異例だった。
無論、ただの風習に過ぎず、それに反したところで何も問題はない。この国だけの風習なので、他国と縁故のある貴族などでは無視されることも多い。
だが、オランの上昇志向の高さから野心の現れと見る者も多く、彼女はよく眉を顰めて見られた。
泣いている幼いメネゼアを見捨てることができず、しばらくセオドアは彼女の面倒をみていた。それをきっかけに彼女はセオドアに懐いて、彼の後をついて歩くようになった。
しかし、彼女は成長していく内にだんだん父親の貴族思想に染まり、二人の関係は歪んでいった。
貴族的風貌を持たないセオドアに対する侮蔑と、彼の方が身分が高いという現実に対する不満。そして、その相手をかつては慕っていたという認めがたい過去が、セオドアに対する攻撃衝動という形で噴出していた。
メネゼアがどんな想いでこの尖塔から街を見下ろしているのか、その横顔を盗み見ているセオドアには分からなかった。
メネゼアの艶やかな朱を塗ったような唇がそっと開き、彼に囁いた。
ねぇ、セオドア。見て。
セオドアは釣られて彼女の視線を追って街を見下ろした。
街の中央を貫く大通りには商店とは別にいくつもの露店も開かれ、多くの人々が行き交っていた。
セオドアは視線を街に注ぎながらも、彼女の声を聞き逃すまいと耳を澄ます。
そして、彼女が囁いた。
人が地を這う蟻のようね。
・・・・・・
セオドアはどこか遠い目をしながら街を眺め続けた。
セオドアが辺境伯の執務室に入ると、辺境伯は顔も上げずに羊皮紙をめくっていた。
視線も向けずにオランたちが帰ったのか訊ねてきたので、この街にある別宅に戻ったことを伝える。
辺境伯は頷くと無造作に手にしていた羊皮紙をセオドアに差し出した。それを受け取って目を通すと、セオドアはため息をついた。
オランは、サーヴェイ家はどうしても野心を捨てられないらしい。
セオドアにとって必ずしも悪い知らせではなかったが、呆れが混じるのは止められなかった。
それはオランの姪が洗礼を受けるために聖都に向かった旨の報告だった。
上昇志向の強いオランは中央に進出することに拘っていた。中央集権を進めるこの国では、地方貴族は田舎者と見下されることが多い。
しかし、オランは理解していないが、ジルベルト伯爵家は確かに地方貴族に分類されるものの、その地位はそんな軽いものではない。
ジルベルト伯爵家の当主は辺境伯とも呼ばれるが、正確にはこの国に辺境伯という地位はない。伯爵位を持ちながら、中央に役職を持たず地方に留まっていることから呼ばれる称号のようなものだ。
伯爵よりも上の公爵家と侯爵家は例外なく中央の大臣を務めているので、辺境伯は地方貴族のまとめ役を果たしている。
地方貴族は一つ一つは小さな勢力だが、それら全てを合わせれば侮れない影響力を持つ。特に軍事力について言えば、この国の兵力の約6割を地方貴族に依存している。
それらをまとめるジルベルト伯爵家を含めた辺境伯は、最高位の貴族である公爵や国軍を率いる将軍と比べても見劣りしないほどの軍事的影響力を持っているのだ。
もっとも、中央の貴族たちにはそれを理解していない者は多く、オランだけが視野が狭いという訳ではない。中央集権を進めていた王家も、中央の貴族たちが地方貴族を軽んじた結果、地方貴族が中央から距離を置きつつある現状に頭を悩ませていた。
ジルベルト伯爵家もその現状を憂慮していたが、不用意に中央に近付くわけにはいかなかった。中央の貴族たちが危機感を持っていない現状でこちらから歩み寄れば、中央の貴族たちはさらに地方貴族を侮るだろう。それで地方貴族たちがジルベルト辺境伯家に失望し、求心力を失ってしまえば元も子もない。
オランはそうした現状を理解せず、ただ中央に憧れていた。いや、憧れているだけならまだ良かったのだが、中央に進出しようという野心に取り憑かれていた。
野心が強いのはオランだけではなく、サーヴェイ家はその名を名乗るようになるより昔から野心の強い者が当主になることが多かった。
これはジルベルト伯爵家にとっても悩みの種で、伯爵家はサーヴェイ家の野心を抑えるために様々な策を打っていた。
例えば、サーヴェイ家の先祖を交易都市サーヴェイに封じたのもその一つだ。
サーヴェイの人口はおよそ3000人。その内、1000人ほどが都市部で生活し、残りの2000人ほどが外縁の農村部で生活している。この人口比は都市として少々偏っている。
都市部の人口を養うには、農村部にはその10倍近い人口が必要だとされている。農村部の人口が都市部の2倍しかいないサーヴェイでは、常に食料を輸入しなければ成り立たない。これはサーヴェイ家が力を付け過ぎないように、この地に封じる前に意図的に土地を分けたものだ。
もっとも、それがサーヴェイ家の不信を買い、余計に彼らが中央への進出に拘る原因となったのだが。
今回のイーズレー子爵家との縁談にしても、本当は自分たちサーヴェイ家が中央に進出するために持ちかけた話だ。
オランは隠そうとしているが、イーズレー子爵家との縁談は、元々はサーヴェイ家の人間に娶ろうとしていた。
しかし、サーヴェイ家はイーズレー子爵家に相手にされなかったため、ジルベルト伯爵家との間を取り持ってイーズレー子爵家に恩を売ろうとしているのだ。
それについては、辺境伯が断ってしまえばそれまでのことなのだが、オランの打ったもう一つの手は辺境伯にとって悩みの種となった。
それが、今回の洗礼だ。
中央に進出するためには、中央の貴族との縁故を築くという方法以外にも、もう一つの方法がある。
それが聖教会だ。
王都には聖教会の大聖堂があり、多大な政治的影響力がある。オランはそれに目を付け、自分の姪を聖教会に送り込むことで中央への足掛かりを築こうというのだ。
一見理に叶っているように見えるが、辺境伯から見れば無謀としか言いようのない話だ。
だから辺境伯は聖都への洗礼の旅にオランの私兵の同行を認めないなど圧力をかけてオランに諦めさせようとしたが、彼は傭兵を雇って今回の洗礼の旅を強行してしまった。
辺境伯には、オランが聖教会を甘く見ているようにしか思えない。
地方には素朴な聖職者が多く、居ても金を集めて出世しようという聖職者しかいない。
だが、大聖堂や聖都の司教以上の上位の聖職者は、そこらの貴族など及びもつかない老獪な政治屋だ。オラン程度が近付けば、甘言に惑わされるか弱みを握られるかして、散々利用された挙げ句に使い捨てにされるのがオチだ。
それで被害を受けるのがサーヴェイ家だけなら自業自得だが、サーヴェイ家は不本意ながらジルベルト伯爵家の分家の筆頭だ。伯爵家にも累が及びかねない。
実際、聖都に向かったオランの姪は、早速問題を起こしている。
苦虫を噛み潰したような顔をしている辺境伯を余所に、セオドアは面白そうな顔をして一枚の羊皮紙を手に呟いた。
銀髪の魔女・・・ですか。
それはオランの姪の一行が討伐したという魔女についての報告書だ。
辺境伯が初めてそれを知った時、思わず報告書を破り捨てそうになった。サーヴェイ家は本当に禄なことをしない。
辺境伯は面白がっているセオドアに、矢を射るような視線を向けたが、この年の離れた弟は意に介さない。
しばらく睨み付けていたが、全く効果がないことを悟ると、辺境伯は諦めて視線を伏せた。
そして、負け惜しみのように問いかける。
サーヴェイ家が自滅すれば、メネゼアも全て失うことになる。それでも良いのか・・・と。
そして、辺境伯は聞いたことを後悔することとなる。
彼はこう答えたのだ。
セオドアは辺境伯と同じように目を伏せて呟いた。
全てを失ったら、プライドの高い彼女はどんな顔をするでしょうね。
・・・本当に楽しみです。
あれは獲物を狙う肉食獣の目だった。後に、辺境伯はそう述懐する。
まあ、メネゼア、頑張って生きろ。
遠い目をした辺境伯の胸中の呟きを余所に、セオドアは恍惚とした笑みを浮かべて囁く。
全てを失った彼女に手を差し伸べたら、彼女はどんな顔をして僕の手にすがりつくんでしょうね。
それとも、誇り高く僕の手をはね退けるでしょうか。
まあ、どちらにしても逃さないけど。
話の裏側です。
暗い話が多いので軽い話にしようとしたら、変な話になりました。
名前の文字数は完全な創作の設定です。
今回の話に出てくる人々は、主人公たちと直接会う機会はほとんどありませんが、別視点ではまた出てくる予定です。