質問攻めときまぐれランチ
一時間目の数学が終わり休み時間に突入すると同時に、涼太郎の周りは黒い頭の人だかりに覆われていた。転校生という新たに加わったクラスメイトに興味が湧くのは多感な少年少女にとっては当たり前のことだ。
更に加えて言うならば、涼太郎が転校してきた二年C組は基本的に温和でノリの良い者ばかりで構成されていた。
そのせいもあり、涼太郎は度重なる質問という名の嵐に見舞われている。
「前は何処に住んでたんだ?」
「五月に引越してくるなんて珍しいけど、親御さんの都合なのかい」
「転校前の学校に、彼女は居たの?」
「運動が好きならば、野球部に入らないか!」
「明日って曇りだったっけ?」
プライベートな質問から始まり果ては部活の勧誘。更には質問が思い浮かばず天気の話題を口走る者まで現れて収拾が着かない状態となってしまうが、二時間目が始まるチャイムが鳴り響くと、クラスメイト達は蜘蛛の子を散らすかのように、自分の席へと帰って行った。
その後に残されたのは、新品の制服がヨレヨレになった涼太郎のみ。
「つ、疲れた……」
「お疲れ様」
疲労困憊な涼太郎を隣で労う加奈子。
休み時間が始まると同時に、離脱していた加奈子は先程の質問嵐の被害から逃れていたので、特に疲れた様子も無い。
その姿を恨めしく見えた涼太郎だったが、既に文句の一つも言う気力すら残されておらず、溜息を一つ吐き出し授業に集中することにした。
午前の授業が終わると、生徒達は昼食を取るためにそれぞれ行動を開始する。
そのまま教室で弁当を広げる者もいれば、弁当袋を片手に友人と廊下に出る者。弁当箱を持つ者以外にも、ビニール袋から市販の惣菜パンを出して談笑しながら食べる者もいた。
「……困ったな」
周りが食事を始めた中で、涼太郎は空っぽの鞄を見ながら呟いた。
「どうしたの? 涼太郎君」
「うん。実は今朝は急いで家を出たもんだから母さんからお弁当を貰うのを忘れちゃったんだよ」
既に多くの転校を経験しているエキスパートとは言えど、やはり初日は無意識にでも緊張していたのか、普段であればしないミスを犯した涼太郎。更に今朝は涼香に痛い所を突かれたせいで焦っていたというのも大きい。
「それじゃ、お昼は学食か購買だね。良かったら案内してあげるけど」
「ありがとう加奈子。助かるよ」
「私的には今から購買に行くと混むだろうから学食がお勧めだけど、涼太郎君はパンの方が好きだったりする?」
「いや、今日はもう人垣の中に突っ込むような気力は無いから、学食で良いよ」
休み時間の度に周囲を囲まれ、度重なる質問という総攻撃を受け続けた今の涼太郎には、既に新たな戦場へと向かう戦力は残されている訳も無かった。
「了解。それじゃ早く移動しよっか。購買ほどは混まないけど、学食もこの時間は人が多いからね」
加奈子の案内で、涼太郎は学食へ移動を開始する。
向日葵学園の食堂は一階校舎から繋がれた別館にあり、テラスのような作りとなっていて、オシャレなカフェの雰囲気を醸し出していた。しかしそれでも役割は、基本的に成長期の飢えた学生達の利用場所となっているため、食券の販売機にはうどんに丼物、ラーメン等とおよそカフェには存在しないであろうメニューが並ぶ。
「色々メニューがあるんだな」
「向日葵学園の学食はお昼から下校時間まで営業してるからね。殆ど大衆食堂みたいな感じで使われてるのよ」
「お昼の時間以外にもやってるのか?」
「この学食は一般にも開放されてるから、近くで働いてる人がお昼を食べに来たり、近所のおばさん達がお茶しに来るのよ」
加奈子が指を示した方向には、涼太郎達学生が使った通路とは別にガラス張りの扉があり、私服の人達が出入りしていた。
今まで多くの学校に転校して来て、珍しい風習や施設を目にしてきた涼太郎も、これにはそれなりの驚きを見せる。
「ここのお勧めメニューとかって何かあるの?」
「う~ん。ここの料理は皆それなりに美味しいけど、珍しいものが食べたいなら、このきまぐれランチなんてどうかな」
「きまぐれランチ?」
学食では聞きなれない言葉に、思わず声を上げながら販売機を見ると、確かに右下のボタンには、加奈子の言う通り、手書きの文字できまぐれランチという文字が書かれていた。
「ここの学食で25年勤めてるベテランのトメさんが始めたメニューなんだけどね。若い内は好き嫌いしないで色んな料理を食べて欲しいって意見が採用されて作られたメニューなんだよ」
「食育って奴か」
現代っ子をやっている涼太郎としては、コンビニ弁当やファーストフードにインスタント食品なんかで済ませてしまう場合が多かったりするので、トメさんが僕達生徒のことを考えてこんなメニューを考えてくれたんだろうなと、勝手に想像して野菜を大量に使ったヘルシーな料理を思い浮かべる。
「興味があるんだったら頼んでみたらどうかな? 偶にだけど値段に見合わない高級食材が使われる日もあるらしいし」
加奈子は涼太郎に提案しながらも、販売機に小銭を投入して本日のBランチ生姜焼きセットのボタンを押す。
「そうだな。折角だしこれにしてみよう」
ちょっと冴えない見た目の涼太郎だって、それなりに興味心旺盛な年頃の男の子である。こういった小さな日常の中に潜む冒険にワクワクしてしまうのはしょうがない。
それに数百円の出費だけで、高級食材が食べられる可能性があるのならば、頼んでみる価値がある。
食券を買った涼太郎は意気揚々とカウンターのおばちゃんに食券を渡すのだが、それが悲劇の始まりだった。
「……ほう。まさかこの学園にまだチャレンジャーが居るとはね。久々に燃えてきたよ」
先程まで優しい笑顔を振りまいていたおばちゃんが、涼太郎から食券を受け取った瞬間に獲物を前にぎらついたナイフのような鋭さを持った凄みのある笑顔へと変貌してしまう。
「え?」
きまぐれランチ。それはここ向日葵学園の名物の一つである。
学食の従業員であるトメさん考案の下に、様々な食材を使った創作料理が日替わりで提供されるのが、このきまぐれランチの実態なのだが、トメさんは妥協をしない職人気質でチャレンジ精神旺盛なちょっとお茶目なおばちゃんだったのだ。
そして本日のきまぐれランチの正式な名称は、『チキングリルのドリアンソース仕立て』という加奈子の言った通り、高級な食材を使用したメニューであり、本日学食では数名の生徒が昏倒したという話である。
当然その数名の生徒の中には、涼太郎の名前もあったのは言うまでもない……。
※ドリアン:果物の王様。高級食材で美味。ただし強烈な臭気を放つがそれが好きだという人もいるらしい。