冴えない転校生とグルグル眼鏡
転校初日というのは、これから始まる学園生活において重要な要素の一つだと涼太郎は考えている。
何故ならここで失敗してしまうと、ただでさえ転校生というハンデを背負っているのに、クラスの輪に加わることが困難になってしまうことが確実だからだ。
自己紹介というアピールタイムにおいて、特技や趣味を言えば同じ趣味思考を持つ友人が出来易い傾向があると容易に想像できるが、残念なことに涼太郎は特別何かに秀でた特技は無く、趣味は人並みに漫画やゲームを少し嗜む程度で、暇な時はテレビを視るくらいで特にこれだというものは無い。
そんな涼太郎にも一つだけ特異な才があるのだが、それを言ってしまうと即転校ルートが待っているので、涼太郎は無難な挨拶が妥当であると、度重なる転校生活で実感している。
「それじゃあ自己紹介をしてくれるかな」
クラスの担任教師。数学を担当する田中有吉、三十六歳、独身。現在結婚を前提とした恋人募集中の言葉を合図に涼太郎は、なるべく印象良くしようと笑顔を作り自己紹介。
「初めまして。今日からこのクラスに転入する新木涼太郎です。どうぞ宜しくお願いします」
これぞ自己紹介の基本だとでも言うべき挨拶をした涼太郎は田中の指示に従い、空いている席に座る。
宛がわれた席は、窓際後ろの日当たり良好な場所。勉強の成績、やる気が共に上昇志向に無い涼太郎としては、中々に良い条件の場所だと言えよう。
本日一時間目の時間割は数学の為、このまま田中が朝のHRを終えてからそのまま授業に入り、睡眠効果のありそうな公式という名の呪詛がクラス全体に響き始めてから数分ほど経った頃。
涼太郎の二の腕にツンツンと、細い棒状の何かで突つかれる感触。
一体何なんだと思い、振り向くとペンのノック部分で突つき続けるお隣さんの姿が涼太郎の視界に映る。
涼太郎が転校してきたこの学校の名前は、私立向日葵学園。
なんだか幼稚園の組み分けみたいな名前ではあるが、これでも立派な高等学校である。
偏差値も特別高くない上に、理事長が大富豪で趣味で始めたと言われているこの向日葵学園は、この不景気な時代において、経営者の潤沢な資金に恵まれたおかげで下手な公立の高校よりも学費が安くリーズナブルだ。
そんな向日葵学園の席順は、男子と女子で一列ずつ並ぶ形になっているので、必然的に涼太郎のお隣さんは女子生徒となる。
ペンのノック部分でツンツンしていた女子生徒は、オカッパ頭を彷彿とさせる短めの黒髪。
それぐらいならば、まだ珍しくもないがこの女子生徒の最大の特徴はそこではなかった。
まるで牛乳瓶の底のような分厚いグルグル眼鏡。
今は技術も進み、凄く度がキツイ眼鏡でも薄くオシャレなデザインが殆どだということは、眼鏡族ではない涼太郎だって知っている。
それを承知の上で、きっとこの女子生徒はそのグルグル眼鏡を掛けているのだろうと涼太郎は考えたが、何故そんな眼鏡を掛けているのかと初対面の相手に、聞けるほど図々しくも無い。
「えっと……何か用かな?」
なので涼太郎は、眼鏡に言及する代わりにこのツンツンしてくるオカッパグルグル眼鏡にどういった了見で、ツンツンしてるのかを聞いてみることにした。
「やっと気づいてくれましたね」
涼太郎が反応すると、鈴の音のような声で女子生徒は口元に笑みを作る。
「初めましてこれから宜しくね。転校生君」
「はぁ……こちらこそ宜しくお願いします……グ、えと」
咄嗟に見たままグルグル眼鏡さんと口走りそうになった涼太郎だったが、目の前の女子生徒の名前を知らない涼太郎は、どう呼ぶべきか判断に迷う。
「そう言えば、自己紹介がまだだったわね。私は笹月加奈子だよ。気軽に名前で呼んでくれて良いから」
見た目は絵に描いたような文学少女っぽい加奈子だったが、思ったよりもフランクな対応に涼太郎は苦笑いする。
名前で呼んで良いと本人が言ったとしても、彼女いない暦がイコール年齢な涼太郎にとって、それは中々に高いハードルだった。
例えるならば、最近になって歩くことを覚えた赤ん坊が、オリンピックに出場出来る実力を持つ陸上選手と100メートル走で互角の戦いを演じるようなものである。
ただでさえ困った体質のおかげで転校を繰り返し、女友達すら皆無な涼太郎にとって、いきなり下の名前で呼ぶのは酷だと言えよう。
「……その、僕って転校が多くてあんまり同年代の人を名前で呼んだことが無いから、笹月さんって呼ばせてもらって良いかな?」
「せっかくお隣さんになったのに、それじゃなんだか他人行儀だよ」
涼太郎の答えに渋る加奈子だが、どう考えても二人が他人なのは間違いない事実である。
「これを機会に、呼んでくれれば良いよ。私も転校生君のことは、これから涼太郎君って呼ぶからさ」
「そ、それじゃあ加奈子さん」
「さん付けも禁止」
「……か、加奈子」
しかし毎日会話を交わす相手が母親の涼香ぐらいな涼太郎では勝負にすらならず、強引な加奈子議員の交渉により、要求は通された。
「えへへ。男の子に名前で呼んでもらうのってなんだか新鮮で良いね」
無邪気にそう告げた加奈子の言葉に照れながらも、涼太郎は心の中でこれからの学園生活は楽しくなると嬉しいなと期待に胸を膨らませた。