夢の終わり 結
それから幾度となく季節は巡り、幻想郷は今日もつつがない日々を送る。
寺子屋から元気よく子供たちが飛び出し、慧音に大きく手を振ってさようならと挨拶をして各々の家に帰っていく。その内の一人もまた母が待つ家に向かって疾走していた。
小さな身体に白い道着と紺色の袴を穿き、腰に脇差しを差した齢十になる男児。
背まで伸びた黒髪を母が昔していたように和紙で結い、年老いた女中たちに礼儀正しくただいまと帰宅を告げて階段を駆け上がる。
「母上! ただいま帰りました!」
部屋の障子を開けた先には、彼の母親が慈愛溢れる顔で我が子を迎えた。
「おかえりなさい、幸二。ささ、すぐに支度をなさい」
「はい! すぐに着替えて参ります!」
支度を整えた母と幸二は互いに手を繋いで人里を離れ、人里を一望出来る小高い丘の上を目指す。涼しい風が吹き抜ける新緑の丘の上に佇む、小さな墓標。多くの花が供えられ、二人も持参した白い花を墓で眠る家族に捧げる。
幸二は瞼を閉じて合掌する間、心の中で顔も知らない父に語りかけた。
父上は今どこにいますか……と。
母から聞かされた父の生き様。否、母だけではない。寺子屋の慧音からも、かつて父が開いていた道場で剣を学んだ里の用心棒の面々からも、たまに城に遊びにくる魔法使いからも、誰からも父の姿を聞き、その度に、実の父の顔も声も知らない幸二は寂しく想い、また悔しかった。何故もう少し長く生きてくれなかったのかと父を恨んだこともある。
母に寂しい想いをさせたことを怒ったこともある。
が、幸二はそんな蟠りを決して表に出すことはなく、母の為、そして里の為に勉学に励み、鞍馬天狗の下で剣術の鍛錬に励んでいた。それが父が書き遺した遺言であったからだ。
「母上……父上は、今、どこからボクたちを見ているのでしょう?」
「殿は何処からでもなく、拙者たちのことを見守ってくれています。そういう御方で御座いましたから……」
墓参りも終わり、小袖を翻しながら丘を下っていく母の背を見る幸二。
「父上……」
誰にでも無く呟いたとき、不意に、誰かの気配が幸二の背後に現れた。
「っ! 何者だ!」
振り返り、腰の脇差しに手を掛けたが、視線の先には誰もいなかった。
そのとき一陣の風が吹きすさみ、草花が舞い上がって幸二の視界を一瞬奪った。
風が止み、再び瞼を開けた彼は我が目を疑う。
父の墓の前に一振りの刀が突き立っていた。柄は蒼く、鞘は黒い、刃渡り三尺ばかりの神々しい気を放つ古の神刀。幸二は見えない糸に引かれるように刀に近づき、その柄を握ると、目の前に見知らぬ男が立っていた。
男は幸二の髪を優しく撫で、にこりと微笑んだ後に彼の小さな肩を掴んで背を向けさせ、強く手で押した。
危うく転げそうになったのを踏みとどまって墓を伺うと、男の姿は影も形も無かった。
一体今のは誰だったのか……。
考えこむ幸二の耳に母の呼び声が聞こえ、刀を抱えて丘を下る。
スキマから去りゆく母子を見送った八雲紫は天を仰ぐ。
雲は流れ、空はいつまでも変わらない。
かの剣客が愛したこの世界も、かの剣客を愛した幻想も、いつまでも変わることはない。
今はただ、そう信じていたい。