まつろわぬ者 伍
紫は次なる者たちを抜擢し、博麗神社の境内の中央に巨大な祭壇と魔法陣を描いた。
刀哉をはじめとして、霊夢、幽々子、レミリア、そして早苗。彼女が皆に示した策は途方もなく、それでいて至極単純とも思えるようなものだった。要するに彼女は天と地を繋げようとした。
万物の境界を操る能力を持つ彼女ならでわの、一世一代の大儀式。
天地開闢以来の奇跡を起こすためには、膨大な霊力、妖力はもとより、運命、あるいは因果をねじ曲げるほどの奇跡を以てしか到底かなわない。
そんな出鱈目な、下手をすれば幻想郷はおろか外の世界をも崩壊しかねない博打に、はじめは反対する声も多かった。
当然のこと。もしも失敗したら・・・・・・考えるだに恐ろしい結末が待っている。しかし紫は頑としてこの方法以外に無いと断言した。
霊夢も暫し考え込んだ後に彼女に賛同し、早苗も自分の力が役立つならばと一歩進み出た。守矢の二柱がありたけの神力をそそぎ込んで作られた祭壇の中央に刀哉が立ち、四方を霊夢、早苗、レミリア、そして幽々子が紫の合図を待つ。天地を邂逅させるには、まず天と地を切り離さねばならない。その為に彼女は、かつて幽界の白玉楼で行われた儀式を再現しようとしていた。すなわち刀哉のなかに眠る神を引きずり出し、万物の境界を断ち切る力を行使する。むろん、刀哉に神の力が制御できるかはわからない上に、神がこの場に集まった妖怪に敵意を向ければ一巻の終わりである。が、彼女は神を、彼を信じた。
「はじめましょう」
厳かな一声によって、幻想郷の命運をかけた儀式が始まった。地に描かれた魔法陣がそそぎ込まれる霊力によって淡く輝き、二重、三重に強力な結界が張り巡らされた祭壇の上で、肉体と魂の境界を操られた刀哉の背後にぼんやりと青白い人型が浮き上がり、肉体と魂の摩擦によって巻き起こる雷鳴と暴風が祭壇ごと結界を吹き飛ばそうとしている。
また、うめき声をあげる彼の前で浮遊している神刀から放たれる閃光が、妖怪たちの妖力を蝕むように浄化していた。紫は未だ涼しげな顔で耐えているが、レミリアは軽い目眩と頭痛を覚え、ぎりっと奥歯を噛みしめる。
かつて彼が紅魔館を訪れた時のことを思い出す。暴れ出した妹フランを鎮めたあの力は、忘れようにも忘れられない。
やがて荒んでいた暴風が弱まり、三度幻想郷の面々の前に姿を現した刀神フツヌシは、無機質で感情の無い声色を発した。
「我は経津主なり。我はこの世総ての刀剣を統べる者なり」
すかさず紫が深々と頭を下げ、刀神の前へ進み出た。
「お久しぶりですわ、刀神様。八雲紫、幻想郷を代表し、此処にかしこみかしこみお願いを申し上げます。あの天をご覧あれ。紅く輝く不吉の星、天地に逆らい、まつろわぬ悪しき神が見えましょう。名は既にご存じのはず。どうか我らと共に、あの星を征伐するお力を貸して頂きたい」
刀神は沈黙したまま返答せず、紫に続いて交渉に臨んだのは守矢の二柱だった。
「経津主命よ、我らのことを覚えているか? かつてそなたが天より降り、我ら国津神を平らげたこと、よもや忘れたわけではあるまい。我が名は八坂神奈子、大国主が子、諏訪の神なり」
「同じく諏訪が土着神、守矢諏訪子。またの名をミシャクジ神なり」
旧知の再会、というにはあまりにも荘厳な神の名乗り合いに、場の空気が一気に張りつめた。風も、草木も、時の流れさえも息を潜めたかのような緊張の中、刀神の幻影が微かに揺れ、案山子のように立ち尽くしていた刀哉の体が背筋を伸ばして胡座をかいた。
「どうなってんだ?」
魔理沙が永淋に訪ねると、彼女は微かにほほえむ。
「彼も話す気になったわ。一時はどうなることかと思ったけれど、きちんと筋と礼節を通せば話せない相手ではない。結構、似たもの同士なのかもしれないわね。あのコンビは」
「永淋はどうするんだぜ? 交渉に参加しないのか?」
「交渉には順序があるのよ。まあみていなさい」
自信満々に目配せした永淋は真っ直ぐに三柱の様子を伺い、魔理沙は不安げに刀哉を見つつ、ふと気になって白刃の方へ視線を移すと、彼女はこれでもかというほどに額を地に押しつけて平伏していた。もはや顔を見ることすら畏れ多いと言わんばかりで、ただただ平伏す彼女の姿があの上から目線で腹立たしい物言いをする普段の態度と違いすぎて、魔理沙は思わずにやりとしてしまった。
「おいおい、随分と神妙な態度じゃないか」
「は、話しかけるでない。気絶してしまいそうだ」
「自分の旦那だろ?」
「阿呆なことを言うな。おでましになられた刀神様に殿と同じように接するなど、考えただけで身が砂鉄に戻りそうだ」
「くくく、おまえ、結構おもしろい奴だな」
と、魔理沙が白刃のことを弄くり倒している間にも、刀神への交渉は続いていた。交渉というよりは懇願といったほうが近いかもしれない。天地の境界を操ること自体は、身を滅ぼす覚悟で臨めば紫にも出来ないことはない。しかし、幻想郷を管理する八雲が力つきてしまえばそれこそ何のために異変を鎮めたのかわからなくなる為、是が非でも彼の力が必要不可欠だった。神にとって最大の供物は人々の信仰である。元より刀神は外の世界において多くの人間たちから信仰を集めているが、彼が望むのならば八雲自身が信仰を捧げてもよいとさえ思う程の勢いで、理路整然と自身の策を並べ、神奈子も諏訪子も地上の平穏の為にと助力を請うた。
しかし彼は依然として沈黙したまま、応とも否とも言わず、苛立った霊夢が怒声をあげた。
「ちょっと! 人がこれだけ頭を下げているんだから何か言いなさいよ」
らしいといえばらしいが、一同がギョッとしていると、刀神の声が響いた。
「我に命ずることが叶うは大神のみ」
紫はあっけにとられた。よもやここまでの堅物とは思いもよらず、内心で己の身を滅ぼすことを視野に入れようとしたとき、魔理沙がつかつかと祭壇に寄って刀神の前に立ち、平伏する白刃を指して怒鳴った。
「おい! この頑固者! あいつを見ろ! あいつはおまえの家族なんだろう? あいつの腹にはおまえの子が宿っているんだろう? 刀哉の中に入って全部見てたんだろ! 刀哉の覚悟だって全部知ってるんだろ! おまえ自身だって刀哉に救われたんじゃないのかよ! こいつは自分の命を捨ててまでおまえの願いを叶えてくれたんじゃないのかよ! だったらこいつの、私らの願いの一つや二つ聞いてくれたっていいじゃないか!」
感情が高ぶり、言葉がしどろもどろになりながらも叫ぶ魔理沙を紫が背後から強く抱きしめ、畳みかけるように最後に言った。
「もしあなたがお力を貸して頂けぬのであれば、この幻想郷も、外の世界も、そして天でさえ、あの星の思うがままになることでしょう。それであなたは大神から与えられた使命を果たしたといえましょうか。世を乱す者を鎮めてこそ刀剣の意があるのではないでしょうか」
すると刀神は大きく揺れ、同時に意識を神に預けていた刀哉の手が神刀の柄を強く握った。
「俺は・・・・・・白刃を、皆を、守る。かつて幸二が望んだように、人の為に、剣を振るうと誓った・・・・・・頼む、俺に、皆に力を・・・・・・!」
刹那、目映い閃光と共に刀神の幻影が彼の体を包み込み、青白い光を四肢から溢れさせる刀哉は刀を低く構え、天に輝く紅い星を睨んだ。
「願い・・・・・・聞き届けたり!」
そのとき四方八方から凶星に絆された悪霊や妖怪たちが一斉に儀式を阻止せんと群がり、その総てが刀哉が一閃した一太刀によって消滅し、彼を拘束していた結界がはじけ飛び、幻想郷の空が大きく震えた。
「来るわ・・・・・・この世の理が崩れ、天地が邂逅する・・・・・・早苗! レミリア! あなたたちの奇跡と運命、あの星に見せてあげなさい」
「はい!」
「・・・・・・フッ、見えるわ。彼の運命、私の運命、そしてこの世界の運命が」
そして紫はスキマを開き、彼の手を取って中へ誘った。
「さあ、行きましょう。遙かな因縁に決着をつけるために」
スキマへ足を踏み入れた刀哉を白刃の声が呼び止める。
「殿! 御武運を・・・・・・」
応えようと振り返った瞬間、二人を飲み込んだスキマは閉じられた。