まつろわぬ者 肆
八雲紫の焦りは今までになく高ぶっていた。
人里での戦いにおいて刀哉がルーミアに取り憑いた凶星を砕き、天に紅い星が輝くようになってからというもの、普段ならば大抵の事件や異変など放り出して冬眠に勤しむはずの彼女が、あらゆる労力を惜しまずに藍や橙といった自身の式に下知を飛ばし、スキマを用いて方方へ足を運んでいる。
特に取り憑かれていたルーミアを捕まえてからは彼女自ら質問……というよりは尋問が繰り返され、藍は藍で古の文献をわざわざ紅魔館の大図書館に赴き、魔法使いに下げたくもない頭を下げてまで数多の書物を借り受けた。
しかし地上の記録に目ぼしい一文は遺されておらず、ルーミアはルーミアで記憶が曖昧で、ただお星様の声が聞こえたとしか証言しない。行き詰まった紫は地上の記録に見切りをつけ、渋々ながら月の知識に頼ることにした。
永遠亭の知恵袋、かつて月から地上へ降りた、おそらく幻想郷で最も知識の豊富な賢者の一人、八意永琳。
主である輝夜も含めて凶星騒ぎについて聞き及んでいた永琳は、紫以上に深刻な面持ちで彼女を迎えた。
「思ったよりも早く来たのね。妖怪の賢者といえども、宇宙についてはお手上げってところかしら?」
「悔しいけれど、形振りかまっている暇もないの。あの星についてご存知ならご教授願える?」
「ええ。私も、こんな日が来るだなんて思っていなかった」
永琳の口から語られる古の異変。人類が生まれるよりも遥か以前、神代と呼ばれる世界での出来事を聞いた紫の顔が、益々険しくなっていく。神々によって天地が開闢し、太陽神の下、森羅万象に宿る八百万の神が天に従う中、唯一服従しなかった者。
大地に棲まう神魔を平定し尽くした、かの刀神と雷神が唯一下し得なかった者。
世にまつろわぬ者の名は――
「天津甕星。天に煌く星々を司る悪しき神。月の都でさえ遂に封印という手段を以ってしか対処しきれなかった……」
永琳の組んだ腕が小刻みに震え、顔色も青ざめていく。
紫は鋭い目で永琳の胸中を見通す。
「まさか、あなたもアレに関わっていたの?」
「ええ。封印を提案したのは、他ならぬ私だもの。月の技術の粋を集めて、二度と蘇らないようにしたはずなのだけれど……」
「そう。やはり、あの時無理にでも彼を止めるべきだったわね。まだ地上に居てくれたほうが対処のしようもあったけれど、天に戻られては……」
「過ぎたことを悔やんでも仕方ないでしょう? 星神が復活したことは月でも観測されているはず。こちらはこちらで何かしらの手を打たないとマズイわ」
「何か案でも?」
「一応ね。かなり無茶を強いることになるわ。特にあなたと、彼に」
「無茶は承知の上よ。それが無理でなければね。彼には……また苦労をかけてしまうわね」
「そこまで肩入れする理由は、彼が神だから? それとも人間だから?」
「両方よ。だって、あまりにも哀れじゃないの。ここに来てから、いいえ、ここに来る前も、彼は救いのない人生だった。血の池の中を必死で泳ぎまわるような生き方……私は彼を救うための糸を垂らすどころか、さらに血の池を深め、広げている。恨まれても文句は言えないわね」
ため息を吐く紫の肩に永琳が手を添えた。
「異変はあなたの所為ではないわ。彼に関しては……そうね、心苦しいけれど、彼の力が、いえ、彼に宿った神の力が不可欠なの」
「わかってる。きちんと説明するつもりよ。まずは、皆を集めないとね」
八雲邸へ戻った紫は直ちに方方へ橙を使者として送り出し、博麗神社にて集会の支度を整えた。
かくして博麗神社に招集された面々は、天に座す悪しき神の名を聞いて様々な反応を見せた。とくに守矢の二柱は普段の気楽さが顔から消え失せ、逆に日ノ本の神話に詳しくないレミリア等は首を傾げている。
「質問。そのナントカという神、一体何者なのかしら?」
レミリアの問に紫は永琳から聞き知った太古の知識を語り、それを傍から聞く刀哉は静かに瞼を閉じて敵の素性と異変の顛末、何よりも、刀神が下せなかった唯一の難敵と知って不敵に口の端を吊り上げた。
が、他にも聞かねばならぬことがある。
すっと手を挙げた刀哉を見た紫は、無言で頷き、問を促す。
「先日俺を襲撃した連中、一体何者なりや? 橙に言伝したはず」
「伺っているわ。あれは人でもなければ妖怪でもない。いわば亡者の類。妖怪に喰われ、あるいは病に朽ちた者たちの思念が凶星によって形を与えられた。そう、あなたの伴侶のようにね。はっきりしていることは、敵は貴方を狙っているということ。人里の襲撃、友人への憑依、全ては貴方の怒りを買い、自身を封じ込めていた玉を砕かせて天へ還るため。そして力を取り戻した今、自身を下し得る存在を消しにかかっている」
すると魔理沙が無遠慮に口を開いた。
「でもさ、刀哉の中身もそいつに勝てなかったんだろ? わざわざ勝てる相手を付け狙う必要があるのか?」
「違うわ、魔理沙。刀神は勝てなかったんじゃない。下し得なかったのよ。つまり、そもそも勝負にすらならなかった。刀神と雷神は地上を平定する前に凶星を下そうとした。けれど相手は天のに輝く者。どう足掻いても、刀や雷が届く座ではなかった。故に凶星は月の勢力と太陽神によって封じられた」
「じゃあなぜ刀哉を?」
「彼が……神を殺す力を持っているからよ!」
未だ合点がいかない魔理沙がさらに問うと、少しばかり間を開けて、紫が閉じた扇の先端を刀哉の鼻先に向けて強く断じた。
「神や精霊、そして私達妖怪はいわば天然自然や概念が意思を得た姿よ。彼はそういう概念だとか法則だとか、そういった類を断ち切る力がある。だからこそ地上の神々を平定し、天地が一つとなった。逆を言えばね、彼はその気になれば、天をも平定しうるということよ。凶星はその力を恐れている。もしも彼が何らかの方法で天へ昇り、対峙するような事態になれば……とでも考えたのでしょう」
呆れたような口調で語り終えた紫が乾いた口を潤すために茶を啜っていると、次に身を乗り出したのは幽々子だった。
「紫、勿体ぶるのもいいけれど、彼をどうやって星の神と対峙させるというの? かつて貴方が月へ攻め込んだ時と同じ方法かしら?」
「いいえ、もっと大掛かりになるわ。月に行くことは然程難しいことではないけれど、相手は月じゃない。しかも彼は肉体が人間だから、むしろ、星の方を地上へ引きずり落とすくらいでないと無理」
あまりにも突拍子もない話に刀哉も白刃もすっかり置いてけぼりになってしまい、ただ黙ってことの成り行きを聞く以外に術が無かった。そもそも星を相手にするということ自体が途轍もない話で、しかも星を引きずり落とすとは想像もつかない。
酒の席ならば一笑に付すところだが、生憎と此処は酒宴ではない。
ともあれ斬らねばならない敵の素性が知れたことは勿怪の幸いであった。また、紫の物言いから察するに、既に策は練っている様子。
誰もが彼女の秘策が何であるか待ちわびていると、彼女はするりと立ち上がって刀哉の前まで移動し、鼻と鼻が当たりそうなほどに顔を近づけてきた。
「最後に問うわ。これは、あなたの肉体と精神に相当の負荷がかかる儀式となる。凶星に勝てるかどうかも一切分からない。これしか方法が無いけれど、私はコレ以上貴方に無理強いをさせたくない。最後の決断はあなたに任せるわ。もしも貴方が否というのなら、また別の方法を考える。どんな手を使うことになってもね」
今までにない紫の物言いに暫し呆然とした刀哉であったが、やがて呆けた顔に笑いが浮かび、喉から音を出すように笑った後に彼女の肩に手を添えて優しく押しのける。
「今更、何を水臭いことを言う。ここで引き下がっては俺の面子にも関わるし、何よりも俺に宿った刀神に顔向けできん。今も武者震いがしている。神と、いや、かつて下そうとしても下し得なかった宿敵が出てきて、俺の中の神が闘志を燃やしていることが胸に伝わってくる。もとよりこの身体も、命も、この地に埋める覚悟はとうに出来ている」
清々しく、それでいて聞く者の胸に迫る覚悟の言葉に紫は黙って頷き、一同を見渡して自身が月の知恵を借りて練るに練った策を告げた……。