星の行方 質
天狗の里は騒然としていた。人里での一悶着は白狼天狗によって既に天魔を始めとした首脳部に伝わり、鞍馬大天狗を大将とした防衛陣を迅速に構築していく。木々の陰に白狼天狗、空に烏天狗、そして山城の門を残り七人の大天狗が守りを固めた。
伝令として飛び回る射命丸は凶星の輝きを上空から確認し、逐一鞍馬へ報告する。地酒が満たされた瓢箪を傾け、軍配代わりの芭蕉扇で火照った顔を扇ぐ真紅の高鼻がそそり立つ堕ちた修験者。
幻想郷でも三本の指に入る剣の達人、次期天魔に最も近い実力者でありながら、時折ふらりと山ごもりをしては行方を眩ませ、ふらりと戻ってきたと思ったら花鳥風月を愛でる自由気儘な毎日を過ごす。天魔でさえ彼を服従こそさせているものの、束縛することは既に諦めていた。
いわば風。移りゆく時代を山の中から傍観し、あざ笑い、そしてこの地に流れてからも人間と妖怪の生き様を酒の肴にしてきた。そんな彼が、自らの住まいを守るためとはいえ、幻想郷の表舞台に顔をだすようになったのは、人里の剣客と出会ってからだと射命丸は考えている。鞍馬が天狗界の中でも特に人間好きなのは有名な話。かつて源氏の子を弟子とし、最近は口を開けば刀哉の話ばかり。弟子自慢とでもいえばいいだろうか。とにかく彼に対する期待感は並ではなかった。
臨戦態勢という緊張状態である今でさえ、射命丸に最近の彼がどう過ごしているか聞く始末。
「ほう! あの小僧が凶星とやらを取り逃がしたとな? それは心してかからねばなるまいのぉ。拙僧も久々に武者震いがするわい」
「楽しそうですね、鞍馬様。刀哉さんに会うまでは御隠居のようでしたのに」
「カッカッカ! まだまだ、お主ら若輩には負けぬよ。さて、そろそろ頃合いじゃろうて」
程よく酒が回り、しゃらりと錫杖を鳴らしながら立ち上がる鞍馬の背からカラスの其れとよく似た黒翼が現れ、天空へと舞い上がる。
「天よ聞け! 地は耳を傾けよ! 我こそは鞍馬山が大僧正、鞍馬天狗なるぞ! 星霜より堕ちたる大凶を祓わんが為、いざ同胞どもよ、我ら天魔一門の武を知らしめてやれぃ!」
剣と盾を携えた白狼天狗たちが木々の陰から一斉に飛び出し、凶星を胸元に輝かせる幼き人喰い妖怪に斬りかかる。
雨のように降り注ぐ天狗の鮮血、地に転がる無数の骸、高らかに笑い、喰らい、邪剣を振りかざすルーミアが真っ直ぐに鞍馬を見据えた。
「うぅ……化物め……」
虫の息でありながら意識を保ち、せめて一太刀浴びせんと彼女の足にすがりつく若き白狼天狗の頭蓋を彼女の小さな足が踏みしめる。
「ぐぁあ! し、死にたく……な……い――」
「そーなのかー」
嗜虐的な笑みを浮かべた彼女の足が頭蓋を砕き、飛び散った脳症を舐め、歩を進めていく。おぞましいその光景を拒むかのように空が雲に覆われ、雷鳴が轟き、冷たい雨が山に降り注ぐ。
翼を広げて行かんとする射命丸が鞍馬の錫杖によって進路を阻まれた。
「鞍馬様!」
「命令。天魔様を安全な場所へ移動せしめよ。然る後、博霊の巫女と小僧を連れて参れ」
「しかし鞍馬様は!?」
「拙僧は――」
鞍馬が付きだした錫杖の先端がルーミアの邪剣を受け止める。
「この阿呆と暫し戯れようかのぅ」
飄々とした口調であるが、老練な瞳の奥に、青白い怒りの炎が燃え盛っていた。
さて、人里である。
未だ日の昇らぬ朝方、誰に起こされることもなく目覚めた刀哉は既に出立の支度を整えていた。古の神刀をしっかりと整え、肌寒い風の通りが良い天守閣に座して体内に流れる気を練り、徐々に明るくなりつつある妖怪の山の頂をジッと見つめていた。
疲労は多少残っているが、体調は良好。
腹もくくった。間もなく霊夢たちも起きるだろう。
後は命を燃やすだけ。
背後にスキマ妖怪の気配が現れた。
「相変わらず早起きなのねぇ。ちゃんと休んだのかしら?」
「人間、短い時間でも熟睡すれば十分だ。天狗の里は如何に?」
「先程、射命丸が報せてくれた。苦しいところね。天魔は既に山城を逃れ、大天狗たちが凶星を食い止めているわ。急いだほうが良さそうね。霊夢は……まだ起きてないか」
ため息を吐く紫はスキマを開き、腕を突っ込んで、未だ寝息をたてている霊夢の頭を小突いた。目覚めの悪い霊夢の不機嫌な唸り声が聞こえ、同時に事情をある程度知る女中たちも早起きをして飯炊きを始めていた。立ち昇る炊煙は正に戦の前触れを告げる狼煙であった。日の出の時を迎え、質素な粥と漬物で腹ごしらえを進める。 誰も喋らなかった。
私室にて白刃に手伝われながら動きやすい戦装束に着替え、同行を願い出る彼女に留守を申し付けた。凶星は数によって勝てる相手ではない。いつ妖怪の群れが再び人里を襲うかも分からない。
刀哉の言葉に白刃は渋々承知した。
「ご武運を……」
「三度目の正直だ。次こそは砕いてみせるさ」
主君を案じる白刃に優しく笑いかけた彼は蒼い陣羽織を翻し、霊夢や神子、そして紫と共に妖怪の山へ赴く。
スキマを通して天狗の里の門前に降り立った全員が、凶星の濃厚な妖気に辟易する。身を晒して気持ち良いものではない。
幻想郷屈指の実力を持つ紫でさえ、眉を顰めていた。
辺りから漂う死臭、地に転がる無数の天狗たち、そして上空で繰り広げられる壮絶な一騎打ちに刀哉の心底が震えた。
黒翼から羽を散らし、永き時の中で練り上げた仙術がルーミアの視界と意識を惑わせ、鋭い錫杖と太刀が電光石火の如く彼女の急所を捉えては邪剣によって切り払われていく。
既に打ち合うこと数百合を超え、四肢に負った傷口が純白の装束を赤黒く染め上げていた。
「鞍馬殿!」
師の名を叫ぶ刀哉に、鞍馬は普段と同じ飄々とした笑いを向けた。
「カッカッカ、ようやく来たか。なんとなんとこの小娘め、年寄り相手でも手加減をしてくれるのでな。ちぃと骨が折れておる」
「キャハハ、霊夢やトーヤまで来てくれたのぉ? 嬉しいなぁ。お星様は天狗は食べてもイイって言ってたけど、やっぱり私はそっちを食べたいなぁ!」
真紅の瞳を輝かせる彼女は鞍馬の胸ぐらを蹴飛ばし、刀哉に向かって真っ直ぐに降下する。すかさず霊夢と神子が両者の間に立ちはだかり、豪雨の如き弾幕を以って牽制するも、彼女は軽々とそれらを避けて邪剣を振りかざし、刀哉に向けて振り下ろす。
ルーミアにとって其れは肉切り包丁以外の何者でもない。
どれだけ切れ味があろうと、どれだけの業物であろうと、ただ綺麗に肉が切れて食べやすくなればそれでいい。刀剣を統べる者としては一言申し上げたいところであるが、ともかくも神刀を鞘から抜き払って彼女の刃を受け流す。体勢を崩したルーミアに追撃を加えようと紫の手が微かに動いた刹那、刀哉の声がそれを制する。
「手出し無用!」
全身の節々に霊力を送り込んで地を蹴り、脇に構えた愛刀が真円を描く。すんでのところで体勢を立て直した彼女は切っ先を避けるも、さらに横一文字に一閃した神刀から鋭い鎌鼬の群れが放たれ、襲いかかる。
大声に気圧されて好機を逃した紫は訝しげに彼を睨む。
何故止めたのか。なんのために霊夢や神子、そして自分まで同行したのか。あの凶星を止めるためには連携が欠かせない。
単なる剣術で勝負がつくのなら苦労はないのだ。
だというのに、彼は霊夢にも神子にも手出しする暇を与えようとしなかった。猛烈な剣戟を打ち込み、相手の攻撃は全て受け流しつつ隙を突く。その背に浮かぶ感情は怒り、焦り、そして殺意。
呼応するかのように凶星が輝きを増す。巨大な妖気の震えが唸り声をあげているようだ。
ルーミアの言を信じるならば、凶星の目的はあくまでも天狗の殲滅であったはず。幻想郷の勢力の一角を倒し、足場を得ようとする意図ははじめから見えていた。凶星も封印が解けたばかりで本来の力が発揮できないはず。故に御しやすいと判断してルーミアに取り憑いた。辻褄は合う。
しかし……と、紫は妙に引っかかった。
何故凶星は一番に刀哉と接触したのか。
森に迷い込んだ彼と森に潜んでいた凶星が偶然行き当たった、そんな偶然があるだろうか。もしもあの接触が凶星による意思であったならば、今までの考えが全て覆りかねない。
もしも……ルーミアが彼にとって幻想郷で初めて出会ったことを知っていたとしたら?
もしも……彼が人里を故郷としたことを知っていたとしたら?
もしも……天狗の里に彼の師がいることを知っていたとしたら?
もしも……彼を怒らせ、戦いを挑んでくるように仕向けているのだとしたら? 彼の能力を、彼に宿る神の力を知っていたとしたら?
否、そもそも、凶星が未だ封印されている状態なのだとしたら?
ハッと紫は己の計算違いに気づき、霊夢と神子に向かって叫ぶ。
「彼を止めなさい! あの星を砕いてはダメ!」
「何を言うのですか! あと一歩で凶星を倒せるのですよ?」
神子の言うとおり、迷いを捨てた刀哉の太刀筋は確実にルーミアを追い詰めていた。ありたけの霊力を駆使し、剣術だけでなく、かつて紫から譲り受けたスペルカードまで持ち出し、いざとなれば内に宿る神さえも引きずり出さんばかりの総力戦。
たとえ此処でルーミアが傷つき、あるいは己の手で命を落としたのだとしても、これ以上彼女が凶星に弄ばれる姿は見たくなかった。 だが彼の想いを他所に紫はスキマを開いて二人の間に割ってはいろうとしており、紫の行動が理解できない霊夢が問い詰める。
「あんたは何を考えてるのよ! 凶星を倒すのか倒さないのかはっきりしなさい!」
「説明は後! 全てが裏目に出る前になんとかしないと――っ!?」
そのとき甲高い金属音が鳴り響き、ルーミアの手にあった邪剣が遂に宙を舞って大地へ突き刺さった。脳天に向かって振り下ろされた邪剣が、身を翻した刀哉の腰に差された鞘の先端によって弾かれ、勢いを失ったところに渾身の一太刀が打ち込まれ、邪剣は禍々しい妖気を孕んだまま大地に突き立つ。
得物を失ったルーミアは爪と牙をぎらつかせて刀哉に食いかかる。
が、柄頭が彼女の鳩尾に打ち込まれ、苦しむ彼女の小さな体を組み伏せた刀哉は神刀の切っ先を凶星に向ける。
「俺の友人を返せ!」
「やめなさい!」
神刀の切っ先が凶星を穿つ。ひび割れ、邪を祓う霊気が注ぎ込まれていくと、凶星は音を立てて粉々に砕け散った。
途端、凶星から放たれていた真紅の輝きが一層強まって全員の眼を眩ませ、光は柱のように天に向かって伸び、やがて消え失せた。
辺りに立ち込めていた妖気も徐々に薄まっていき、静まり返る中、ルーミアのきょとんとした顔が刀哉の俯いた表情を覗きこむ。
「トーヤ……?」
操られていたことを覚えていないのか、それとも純粋な好奇心からか、ルーミアの屈託のない声色に刀哉の目頭が熱くなる。
「ルーミア……痛くはないか?」
「ちょっとだけ、痛い。でも、トーヤの方が痛そうだから平気」
ルーミアの指が溢れかけた涙を拭う。
「初めて会った時から、トーヤは全然変わらないね?」
「そうか?」
「うん。優しくて、強くて、ちょっぴり意地っ張りで、可愛い」
「そんな風に言うのはルーミアだけだ」
「えへへ、オトモダチだもん」
「そうか。そうだな……友達、だからな」
かくして幻想郷を騒がせた凶星は砕かれ、妖怪たちも正気を取り戻して事態は沈静化の一途をたどる。天魔も天狗の長として山城に帰還し、後日、鞍馬と刀哉に労いの謝意を伝え、白狼天狗たちによって美剣城の蔵が一杯になるほどの米俵や金銀が送られた。
米はともかくとして、金銀までは受け取れないと遠慮する刀哉であったが、天魔のメンツもあるので是非にと天狗たちは半ば置き去りにする形で彼に受け取らせた。
一方で肉体の許容量をはるかに上回る妖力を得たルーミアの負担は大きかったが、再び霊夢によって封印のリボンが結われ、無事に森へ帰っていった。
先の騒ぎから一転して里は収穫祭を迎え、山から降りてきた豊穣神の姉妹のために奉納祭が盛大に開かれ、活気づく里の提灯行列を天守閣から見下ろす刀哉と白刃は、二人静かに杯を交わす。
「賑やかで御座いますね。殿の勝ち戦、賀詞奉りまする」
「勝つには勝ったが……少し、呆気無くも思える。あれほどの妖力を持っておきながら、こうもあっさりと砕くことが出来るとは」
「もう、殿は気負いが過ぎまする。ささ、もう一献」
白濁とした酒が漆塗りの盃に注がれ、一息に飲み干した。
引っかかるのは凶星だけはない。その後の紫の態度だ。
里に戻った刀哉は一先ず神子から篤く礼を述べられ、また霊夢からは相変わらず無茶をすると小言を聞かされたが、どちらも互いに無事に戻れたことを喜んでいた。だが紫はすぐさまスキマを開いてそそくさと何処かへ消えてしまい、一言も言葉を交わすことも無かった。また碌でもないことにならねばいいと願いつつ酒に酔う彼を、夜空を綺羅びやかに彩る星々が見守る。
煌々と一際目立つ紅い星を加えて……。




