星の行方 陸
人里でのいざこざが一旦鎮まり、幸いにも収穫前の田畑への被害も最小限に抑えられた。それでも収穫量はいつもより下がってしまうが、田畑を潰された農民も里が無事であれば何とかなると前向きに考え、皆が無事であることを喜んでくれたのは何よりだった。
守矢神社の面々も山に暮らしている豊穣神に取り計らうことを約束し、戦に参加した全員が城の大広間に集った。
刀哉の計らいで全員にささやかな膳と酒が供されたが、勝ち戦ならば盛大な宴となったであろうが、今回は少なくとも笑って盃を傾けられそうもない。女中らが拵えた料理にも箸が伸びず、ただ頭の中ではあの凶星を如何にして砕くかだけを考えていた。
無言で酒を薦めてくる白刃に応えて酌を受け、飲み下す。
「今宵は酔えそうも無い……」
気がつけば、刀哉の膳だけ料理が残っていた。
他の連中は悩み苦しむどころか料理も酒も存分に堪能しており、どちらかといえば自棄になって飲んでいる感もあるが、これからどんな災いが起きるのかわからないというのに笑っていられる連中の気楽さが羨ましかった。むしろ粥も喉を通らない程考えている自分の方が情けなく思うほどだった。いっそ神奈子たちのように酔えればどれ程良かったか。ため息を吐いた末に持て余していた料理を無理やり胃袋に収め、酒で流し込むと、今更ながら戦いの疲れが一気に肩にのしかかった。
「はぁ、肩が重い……やはり疲れているのか?」
「と、殿! 肩! 肩!」
叫ぶ白刃につられて視線を肩に移すと、疲労で猫背になった刀哉の肩に紫が腰をおろしていた。
「はぁい、剣客さん。スキマから出たらちょうど貴方の肩に座っちゃったわぁ。失敬」
と、全く悪びれた様子もなく彼の肩から腰を離した紫は適当な席に座り、扇を開いて皆の様子を伺っていた。
疲れて怒る気も出ない。ただ、今まで沈黙を保っていた紫がようやく姿を現した安心感もあり、同時に彼女が出張ってきた緊張感も場の空気を一瞬にして塗り替えた。
「こほん……ごきげんよう、皆さん。お楽しみ中に悪いのだけど、ご存知の通り、由々しき事態が起きているわ」
「なぁにぃがぁ、由々しき事態よぉ! 今まで黙りこんできて今更出てきちゃってさぁ! いっつもいっつもぉ!」
呂律の回らなくなった霊夢の抗議を一切聞き流し、紫は続ける。
「あの禍々しい星は今、ルーミアに取り憑いて多くの妖怪から力を吸い上げているわ。唯でさえ馬鹿馬鹿しい力を持っていながら、更に力をつけようとしている」
「八雲さん、貴女はあの星の正体に心当たりが?」
神子の問いに紫は首を横にふる。
「あれは私が生まれる以前から在るもの。神代より以前から世に災いをもたらし、神代より以前に、その力を恐れた神々によって封じ込められた。私が知るのはそれだけ」
「へぇ、妖怪の賢者と謳われたあんたでも知らないことがあるとはねぇ」
「茶化さないでくださる? 山の神さま? あなたたちこそ、あの星に何か心当たりがあるのではなくて?」
「うーん、今は何ともねぇ。私が言えたことじゃないけれど、祟りだとか、災いをもたらす神は結構いるんだよねぇ。そもそも神とは荒ぶるもの。人間はその御魂を信仰によって鎮めてきた。ま、私達のように人間に寛容な神もいれば、刀哉に宿った経津主神のように結構情け容赦のない神もいる。八百万とはよくいったもんだよ」
「それで、これからどうすればいいのですか? 私、怖いです」
震える早苗を諏訪子が宥め、刀哉が閉じていた唇を開く。
「要するにあの星を砕き、ルーミア諸共幻想郷を救えばいいわけだ」
「簡単に言うわねぇ。でもまあ、概ねその通りよ。もはやアレを封じることは至難。いえ、不可能と言っていいわ。封印の術式を組むだけで数ヶ月を要するから、手遅れになる。彼の言うとおり、元凶を断つしかない」
「いいわねぇ。実に私好みだわ」
にやりと笑う霊夢が腕を撫し、刀哉も何処からか取り出した打ち粉を神刀の刃にくれている。考えてみれば凶星がルーミアに取り憑いたのは僥倖といえる。拳大の星に飛び回られては見つけるのが厄介であるが、ルーミアは幻想郷の殆どの者が知っている。
いくらか探す手間も省けるというもの。
先刻は意表を突かれて刃が鈍ったが、次こそは砕いてみせる。
固い決意を胸に彼は紫に問う。
「ルーミアはどこだ?」
「……今は妖怪の山にいるわ。そう、天狗の里に向かっている」
「天狗の妖気を狙っているわけか。急ごう。紫、送ってくれ」
立ち上がろうとする彼の頭に紫の扇が抑える。
「今日だけは休みなさい。気づいていないでしょうけど、あなた、結構霊力を消費しているわ。それに天狗の屈強さはあなたもよく知っているはず。そう簡単に落城しないわ。だから今夜は、ゆっくり休みなさい。私が見張っていてあげるから」
「だが……」
「あなたは私達の切り札なの。それとも、無理矢理にでも眠らされたいのかしら?」
有無をいわさぬ紫の視線に気圧された彼は上げかけた腰を再び下ろし、夜も徐々に更け、守矢神社の面々は天狗の里の監視のために神社へ帰り、残る霊夢と神子は城に泊まることになった。
二人を客間に案内し、自身と白刃は普段通りの寝室に入って床に就いた。蝋燭の明かりを消して暗い天上を見つめるものの、疲労感だけのしかかって一向に眠気が訪れない。
「眠れん……もっと飲めば良かったか」
「殿、拙者で良ければ――」
「今宵はそんな気分になれない。ま、話し相手くらいにはなってくれ。そのうち眠れるだろうし、黙っていたら色々と考えてしまう」
「御意……」
と言ってみたのはいいものの、気の利いた話題も見つからず、お互いに黙りこくってしまう。口を開けば凶星について詮索してしまうだろう。先のような席ならばともかく、家族と、愛おしい女と二人きりの時に無粋は話はしたくない。されど彼は本心を隠せるほど器用な話術を持ちあわせていなかった。自らの不器用さを内心で嘲笑う彼の心情を察してか、白刃は昼間に魔理沙たちといざこざを起こした経緯を語り始めた。
曰く、白刃は三人娘に刀哉の側室にならぬかと誘ったのは既知のことであるが、その後、魔理沙たちは暫し白刃の言を理解することが出来ずに呆然としていたらしい。やがて、側室の意味を真っ先に理解した妖夢が途端に顔を真赤に染め上げて刀に手をかけ、白刃を威嚇したが、当の白刃は慌てふためき、あるいは呆ける彼女たちの初心さを笑ったという。
「成程殿には既に拙者という正室がおる。されど、城の主が側室を迎え、より多くの子を作ることは世の倣い。しかも拙者の腹には殿の御嫡男が宿っており、側室が孕んだとて妬むことなど無い。故に、殿を慕うならば誰に遠慮することもなく側に来れば良い」
と、世が世であれば通じる理屈も文明開化した彼女たちの世代には通用せず、結果として人の心を弄んだと言われ、魔理沙や妖夢に制裁を喰らったのだと苦い顔で呟いた。
「全く、人が好意で言ったというにあの生娘たちときたら」
「お前はそれでもいいのか? 仮に魔理沙たちが側室として城で暮らすようになり、俺があれらと寝床を一緒にして、お前は耐えられるのか?」
「拙者の知る殿方とはいつもそうしておりました。それに、拙者のように貧相な体では、殿もご不満で御座いましょう?」
「なんだ、そんなことを気にしていたのか?」
「一応拙者も女で御座いますし……気になります」
すると刀哉は珍しく声をあげて笑った。
刀としての誇りを持ち合わせ、男顔負けの忠義者が、よもや女としての悩みもしっかり持ち合わせていると思うと笑わずにいられようか。
「何故お笑いになるのですか!?」
「いやな、お前も存外に可愛いところがあるのだと思うとな」
「むむぅ! 殿は意地が悪ぅ御座います」
ぷいと寝返りを打った白刃の頭を彼の手がぐしゃぐしゃと撫で回す。
「そう拗ねるな。さっきも言ったが、俺にはお前が居てくれるだけで十分だ。友は友。家族は家族。俺は魔理沙や妖夢とは、いつまでも良き友でありたい。それに……これ以上、俺は荷を背負いたくはない。背負うものが重たければ重たいほどに、迷いも大きくなり、剣も鈍る。俺が目指すのは至高の剣だ。この胸に宿った刀神に恥じぬようになりたい。ならねばならない。でなければ……大切な友を救うことも叶わない。ルーミアのように、な」
「殿の所為では御座いませぬ」
「だが、森で対峙したときに砕いていれば……そう思わずにはいられないのだ。無念でならない。己の未熟さが悔しい。如何なる相手と対峙しても平静であろうとしてきたのが、アレを前にすると足が震えた。我ながら、情けない限りだ」
深い溜息を吐く刀哉が、今度は白刃に頭を撫でられる番となった。
腹に子を宿して母性にでも目覚めたのか、あるいは刀哉が彼女の母性に安堵したのか、どちらにしても、二人は心地よい安らぎの中で静かな眠りの淵に落ちていった。
この先に待つ波乱を予感しながら……。