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幻想剣客伝  作者: コウヤ
星の行方
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星の行方 伍

空の彼方からスキマを開き、突如として火蓋が切られた戦場を眺める八雲紫の顔は非常に険しかった。神霊廟から解き放たれた古の大凶。存在そのものが異変のような代物が、よりにもよってこの幻想郷に解き放たれたと聞いた時、冬眠の支度も忘れ、自分を見失う程に狼狽した。


彼女の式である八雲藍もまた、物言わぬ主人の背を不安げに見守っている。いつもなら、異変となればすぐにでも何かしらの指示を下すはず。それが真剣であろうと、面白半分であろうと、とにかく紫が干渉しないことなどない。否、干渉自体はしているのだが一向に動こうとしないことに藍は普段と違うと考えた。


 神霊廟の神子に人里の半神を推薦し、後は終始この有り様。

 ただスキマから一連の流れを伺っているだけ……。

 傍観者を決め込むにしても、紫の恐れはかの剣客に宿った神に対するそれに匹敵していた。ならば導き出される答えは……。


「来るわっ……」


 不意に紫が小さく叫び、ハッと我に返った藍がスキマの外に視線を向けると、地上を覆い尽くす闇の中に一際輝く真紅の宝玉が浮かんでいた。


 見覚えのある禍々しい気配に刀哉が黒い空を見上げ、続いて霊夢を始めとした幻想郷の面々も凶星の輝きに言葉を失った。


 ある程度の力を持つ早苗でさえ凶星の妖気に目眩を起こし、霊夢の額にも冷や汗が滴る。そんな中、空を飛ぶ鳥を射落とすような気迫を形相に浮かべた守矢の神が凶星に向かって一歩踏み出す。


「こりゃぁ、たまげたねぇ。こんなにも清々しい邪悪は神代でもそうそう拝めるものじゃぁ無かったよ」


「早苗や皆は下がっていたほうがいいよ。アレは、私達と同じ類だ」


 諏訪子の言葉が示した凶星の一面に誰もが絶句する。


 スキマから事の次第を覗き見る紫もまた憎々しげに頬を引き攣らせ、藍もまた珍しく動揺の色を隠せなかった。

 一方で彼女は新たな疑問にぶつかる。


 凶星とは一体、何者なのか。


 紫から曖昧に凶星のことを聞いた時、はじめは単なる呪詛の類、あるいは怨念の塊のようなものとしか考えていなかった。


 が、実際はそんな生易しいものではなく、凶星とは、この幻想郷において存在そのものが一つの勢力である『神』、あるいはそれに類する何かであることは間違いない。


 藍とて歴史に名を刻みつけた大妖怪の一角だが、九尾をもってしてもあれほどの妖気は出せるものではない。


 力なき妖怪たちが操られるのも無理はなかった。


 否、理性ある妖怪でさえ、あれほどの力から逃れるのは至難の業。

 地を、空を覆う暗黒の中に浮かぶ凶星がゆっくりと彼らに近づくと、その輝きの向こうに揺れる金色の髪と鮮血が滴る薄白い口元が闇の中に現れた。右手に真新しい髑髏を携え、左手に生き血の滴る黒黒とした両刃の剣を握り、凶星をその細くしなやかな胸元に掛けた幼き人喰い妖怪が。


「なっ……」


 驚愕と絶句が刀哉の太刀を鈍らせた。刹那、彼の眼前に、かつて彼が初めて幻想郷で出会った少女の顔が近づいた。文字通り目と鼻の先にまで彼女の顔が近づき、仄かに甘い彼女の香りと、濃厚な血糊の臭気が鼻をつく。


「わはー! 久し振りだね、トーヤ。わたしのこと覚えてる?」


「……ルーミア。その刃は、その胸にぶら下がった物は、何だ?」


「ふふふ、お星様がね、わたしにくれたの。素敵でしょぉ? これからはお腹いっぱい食べるの……もう、お腹がペコペコで耐え切れないの……ねえ、トーヤ。貴方は食べても良い――」


 ルーミアは高々と凶刃を振り上げ、刀哉の脳天めがけて振り下ろす。


「人間だよねぇえ!」


 凶刃を神刀が受け止めた途端、辺りの妖気と霊気が吹き飛んだ。


 無邪気にして邪悪、純粋にして混沌、ただ空腹を癒やさんが為に、ただ新鮮な獲物を求めて、凶星に魅入られた幼き人喰いは妖怪としての本能をむき出しにし、古の神刀と競り合う邪剣を振るっている。


「あいつ……封印のリボンが外れてる!」


 霊夢が里人を食い荒らしていたルーミアを退治した際、彼女の食欲を封じるために結った紅いリボン。ルーミア自身の手では決して解けない術式を施し、我ながら中々に強靭な封印をやってのけたと自負していたが、ルーミアの封印は解け、際限のない食欲と凶星の妖力によって幻想郷に名だたる連中に匹敵する力を得た。


 身に合わぬ力は己を滅ぼす。力に支配されていることに気づかず、力を支配していると思い込む故に。されど元から力への欲求が無く、本能に従って生きている者は違う。


 凶星の妖気に侵されて尚も純真無垢。空腹だから獲物を狩り、獲物が抵抗するから殺す。ただそれだけのこと。目的が単純ゆえに迷いも無い。迷いの無い剣は鉄をも断つ。技術も技量も無く、邪剣の切れ味と妖怪の膂力だけで振るわれる刃を受け流すことは容易いが、刀哉はルーミアを『敵』として斬ることが出来ない。


 斬るだけの非情さがあればどれだけ楽だったか。


 これはルーミアの意思ではない。凶星に操られ、利用されているに過ぎないと考えれば考えるほどに、彼は防戦一方となった。


「あの馬鹿……っ」


 怒気を孕んだ霊夢が飛び出そうとした矢先、先に出たのは守矢のニ柱だった。諏訪子は鉄輪を、神奈子は御柱をルーミアに向かって投げつけ、轟音と共に土埃が舞い上がった。とっさに身を翻して御柱を避けた刀哉は舞い上がる土埃にむせつつも眼だけは決してルーミアから離さず、神気をかき消され、二つに裂けた鉄輪と御柱がルーミアの足元に落ちた。


「うへぇ、私達の力がかき消されちゃったよぉ」


「相殺……というよりは、取り込まれたみたいだねぇ。あの星に」


「なら封じ込めればいいでしょ!」


 博霊の札を構えた霊夢に続いて神子もまた布都たちに封印の術式を構築させ、同時に発動させた。大地に巨大な八卦の陣が描き出され、それに加えて霊夢の二重結界がルーミアを束縛する。


「これなら逃れられないはず!」


「そーなのかー」


 にこりと笑ったルーミアが邪剣を一閃すると、彼女を拘束していた術式が断ち切られた。驚くほどに呆気無く、まるで、内に眠る神が目覚めた際の刀哉のように。


「あはは、残念でしたー。ええと、一人、二人、三人……あ、神様もいるのかー。人間は食べたことあるけど、まだ神様は食べたことないんだよねぇ。美味しいのかなぁ? 美味しいに決まってるよね? だって神様だもんねぇ!」


 邪剣を振りかざすルーミアが諏訪子と神奈子に飛びかかる。


 普段ならば指先一つで相手になるところだが、凶星の輝きが増すに連れて神気が薄れていく。メチャクチャな太刀筋だけに動きを読むのも困難。されど伊達に神代から諏訪に君臨した二柱、鉄輪と御柱が嵐のようにルーミアを襲い、次々と打ち落とされていく。


 ルーミアは愉快そうに笑っていたが、不意に視線を胸元の凶星に落とした。


「どうしたの? お星様? え? もう遊びは終わり? 遊んでいたつもりはないよぉ? まあいいや。お星様の言うことは聞いてあげる」


 すると彼女の四肢から漆黒の闇が吹き出し、その場に居た者の眼から一時的に光を奪った。


「じゃあね、トーヤ。今度は絶対に食べてあげるから……フフフ」


「ルーミア!」


 闇が晴れ、里を取り囲んでいた妖怪の群れも霞のように消え去り、今までの騒ぎが嘘だったかのような静けさの中で刀哉は空高く吼えた。


許しておけるものか。一度ならず二度までも敗北を喫し、馴染みまでも奪われたのだ。沈黙する彼の中で業火の如き怒りが胸の奥底を焼き焦がす。敵が引いたので軍勢を引き払わせ、急ぎ主君の元へ駆けてきた白刃が出しかけた言葉を思わず引っ込める。


 それほどまでに彼の背中は近づき難かった。


 が、彼の怒りを知ってか知らずか、神奈子は気さくに肩に手を掛けた。


「怒りは剣を鈍らせる。そなたが、一番よく心得ているはず」


「神奈子……俺は記憶を取り戻してから、生き甲斐を見失っていた。家族を得て、弟子たちを育てる日々も好きだったが、物足りなさもあった。怒り? 否、喜びだ。再び俺に剣を握る理由が出来たのだからなぁ」


 神奈子に振り向いた彼の顔がどんな表情だったのかは定かでないが、彼女たちが後の世になってもその時の顔について語ろうとしなかったという。


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