星の行方 参
薄暗い森の中を彷徨う刀哉。
さながら初めて幻想郷の地を踏んだ時のようで、そこかしこから向けられてくる妖怪の視線に何故か懐かしさを覚えた。あれから己はどれほど変わったのか、失われた記憶を探し求め、今ではすっかり馴染みとなった面々との出会い、戦い、そして宿命を想い、木々の間を分け入っていく。禍々しい気が立ち込める此処は災いをもたらすという凶星の住処として相応しいが、果たして此処にあるのかどうかは定かでなく、ただ歩き続けるより他に術がなかった。
健気にも立ち向かってくる妖怪たちも歯ごたえがない。
修練の場としても不足しているとあっては彼の不満も一入で、一旦朽ちた倒木に腰を下ろした。
「白刃がいれば斥候でも出すところだが……む?」
妙な気配を察知し、周囲を見渡す。濃厚な妖気の中に浮かぶ、さらにどす黒い気の塊。名うての妖怪が発するものよりも質が悪いもの。そんな直感が脳裏を過り、自然と、愛刀の柄を指先が撫でていた。一度刃に霊力を込めれば、森に立ち込める妖気を根こそぎ祓うこともたやすい。その後に待っているのは紫の苦言だろうが、どす黒い気は徐々に彼のもとへ近づきつつあった。
既に彼は抜刀の構えを見せている。
瞼を閉じ、五感を研ぎ澄ませ、指先に全神経を集中させる彼の耳に不自然な木々のざわめきが聞こえた刹那、青白い閃光が煌めいて森の巨木ごとどす黒い気を神刀の鋒が捉えた。
普段ならば確実に敵の首を刎ね飛ばす必殺の太刀筋だった。
が、彼の手先に肉を裂き、骨を断つ手応えが伝わることはなく、神刀の刃は虚しく空を斬るだけであったが、それでもどす黒い気は彼のすぐ側まで近づいている。
すぐに構えを解いて大きく跳躍し、気との間合いを開けて双眸を凝らし、其れを凝視した彼の総身が言い知れぬ不快感に震えた。
それは妖怪でもなく、ましてや人でもなく、そもそも生き物ですら怪しい、鮮血よりも生々しい紅の輝きを放つ禍々しくも美しい玉であった。玉はふわりと宙に浮いたまま静止しており、まるで彼を観察するかのように、彼の視線と同じ高さで対峙していた。
放たれる妖気の何と巨大なことか。威圧され、吐き気すら催す彼の足が震えだし、ありたけの霊気を纏って正気を保つ。
玉は彼の霊力が増すにつれて紅い輝きを強めた。
すると周囲に生い茂っていた木々は一気に葉を散らし、枯れ果て、やがて朽ちて倒れ始める。このままでは自身も『凶星』の妖力に喰われると危惧した彼は、神刀の刃に霊力を送り込み、青白い輝きを纏った刀身を脇に構え、身を低くした刹那、神速の打ち込みと共に風雷を吹き荒らして凶星の妖気を斬り裂き、刃が玉に迫った。
が、凶星は彼の頭上高く上昇して刃を躱し、流星のように尾を引きながら何処かへ飛び去ってしまった。
「待て!」
叫ぶ彼を無数の妖怪たちが取り囲む。誰も彼も眼を真っ赤に染め上げて狂気を全面に押し出し、ただの空腹ではなく、明確に刀哉への殺意を滲み出していた。
「凶星の妖気に当てられたか……邪魔をするな! どけ! お前たちの相手をしている暇などない!」
襲い来る妖怪の群れを相手に一歩も退かぬ刀哉の周囲が血に染まり、妖怪たちの断末魔がいつまでも森の中に響き渡った。
焦りで幾度も躓きかける。よもや凶星の力があれほどとは思っておらず、このままでは大変なことになると下唇を噛み、ようやく森から脱したときには既に日は西に傾き、されど空は暗雲に覆われて宵闇のように暗かった。返り血に濡れる彼が息を荒げていると、駆けつけてきた霊夢と神子が彼の腕を支える。
「全く貴方は無茶をする。凶星と対峙して、しかもあれほどの妖怪を相手に斬り抜けるなんて……」
「こいつが無茶するのはいつものことよ。それよりさっさと神社へ」
「すまない……不覚にも取り逃がした。この俺が気圧されるとは」
ギリっと奥歯を噛み締め、敗北感に打たれた彼は二人に支えられながら博麗神社へ赴く。その途上で魔理沙や妖夢と鉢合わせになり、共に博麗神社に来てほしいと願ったが、彼女たちは後日出直すと言って飛び去ってしまった。何やら複雑な顔をしており、城の方から出てきたあたりが気になる。もしや城で何かあったのだろうか。
と、首を傾げる刀哉は一先ず神社の縁側に腰を下ろし、霊夢が持ってきた濡れた手拭いで返り血を拭き取る。
「それで、どんな奴だったのよ? その凶星とかいうのは」
「分からない。俺が見たのは、出鱈目な妖気を纏った真紅の宝玉だった。握りこぶしくらいの大きさだったか。そいつは意志があるように俺を観察して、飛び去った。あの妖怪たちも凶星の妖気にあてられて自我を失ったらしい。一体あいつは……」
頭を抱える刀哉の傍らで霊夢が鼻を鳴らす。
「ふん、なんだろうと異変を起こすのなら容赦しないわ。大体、あんたがしっかり封印を管理していないからこんなことになるんでしょ?」
霊夢の小言に神子も項垂れる。
「申し訳ない。が、アレに関しては我々も扱いきれるものではなかった。霊夢も感じただろう? あの力はまさに、この世に災いをもたらすもの。決して見過ごすわけにはいかない」
「無論だ。このまま勝ち逃げされてたまるものか」
血を拭い終えた刀哉は手拭いを肩に掛け、おもむろに立ち上がった彼は首の関節を鳴らしながら凶星の妖力を思い出す。
決してこちらの霊力が負けているわけではなかった。
剣の腕が衰えたわけでもない。ただ球体を相手にすることが初めてだっただけのこと……と、妙な言い訳を心の中でつぶやいている間に霊夢が淹れた熱い茶を啜る。深手こそ負わなかったが、幾度と無く強敵を下してきた彼の姿に神子も不安げに寄り添ってくる。
「しかし貴方には驚かされた。まさか凶星の妖力に対抗出来るとは」
「なんだ、信頼していなかったのか?」
「いや、決してそういうわけでは……ただ、貴方があまりにも人間のように振る舞っていたもので、八雲から聞いていた話との違和感が拭えなくて」
「ははは。成程俺は周りから神であると言われているが、俺自身はあくまでも人の子として生きようと心がけている。ただ一介の剣客であろうと、な。今となっては縁あって城持ちになってしまったが」
「ふふ、可愛らしい奥方もいましたね?」
「あいつの力も必要になる。人手が必要なら尚更だ」
すると彼女は微かに首を傾げ、解せぬとばかりに眉をひそめた。
「でも、聞くところに寄れば、彼女はかつて異変を起こした張本人なのでしょう? 何故夫婦に?」
「わざわざ俺の家来にまでなるために、肉体を得てきたのだから無碍に追い返すわけにもいかん。それに――」
「それに?」
言いかけたところで彼は恥ずかしそうに頬を掻きながら視線をそらし、
「家族が、欲しかったからな……」
神子はぽかんと口を開けたまま固まってしまい、背後で聞いていた霊夢は笑いを堪えるのに必死で肩を震わせていた。我ながら柄にも無いことを言ったと顔が火照るが、決して嘘を吐いたわけではない。一端の男として何を恥じらうことがあろう。などと自身に言い聞かせつつ咳払いを鳴らし、一度白刃を連れてくるために城へ戻ることにした。このまま三人で協議に入り、その結果を報せても良いが、何分にも白刃の力を借りなければ収まりそうもない。
話し合っているうちに八雲がひょっこり顔をだすことも願い、城の居間の障子を開けると、白刃は部屋の片隅で嗚咽を漏らしていた。
「如何した?」
「うぅ、殿ぉー!」
あの白刃が嗚咽とは珍しく、声をかけた刀哉の胸に白刃が飛び込む。
「お、おい……どうした?」
「えぐ……うぐ……聞いてくだされぇ……魔理沙やら妖夢やらに打たれてしまったのでございますぅ」
「打たれた? ああ、確か二人が城の方から出ていたが、また何かいらんことを言ったのではないか?」
「そのようなことは決して! 殿の書状を見た者どもが城を訪れたので応接した際、殿の側室にならぬかと誘ったまでで――あだっ!」
途端に白刃の脳天に拳が振り下ろされた。
「阿呆! 言うに事欠いて魔理沙や妖夢になんてことを! 俺は側室などいらんし、あいつらは大切な友人だぞ。妖夢に至っては妹分だ」
「うぅ……だってぇ……殿には多くの世継ぎを残して頂いて、いずれは天下を」
「天下なんぞ要らん。第一、俺にはお前がいれば十分だ。子も、俺と白刃の血を継いでいればいい」
「と、殿……殿ぉ!」
強く抱きしめてくる白刃の頭を優しく撫で、後で魔理沙たちに詫びねばならないとため息を吐き、彼女を伴って博麗神社へ戻った。