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幻想剣客伝  作者: コウヤ
命蓮寺 
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命蓮寺 壱

 寺内から木魚の音と共に読経の声が聞こえてくる。


 命蓮寺を訪れた人間や妖怪は互いに会釈を交わし、本堂に上がっては本尊に向かって合掌していた。成る程博麗神社や守矢神社に比べてみると信心を集めている様子で、現状を目の当たりにした霊夢も早苗も悔しそうに歯噛みしている。一方で刀哉は綺麗に清掃された境内を興味深げに眺め、石畳の上を歩む信者の男性に声をかけた。


「もし、この寺の本尊は如何なる仏なのか」


「ああ、毘沙門天様ですよ」


 毘沙門天といえば仏界を代表する武神である。


 幻想郷のこと、かの有名な毘沙門天がすぐ近くに居ると思うと居ても立っても居られず、霊夢と早苗を尻目に本堂の中を覗きこんでみたが、肝心の本尊は武将の姿をした仏像と鉢が鎮座しているだけであった。期待が大きかっただけに残念に思う刀哉が唸っていると、不意に傍らから穏やかな声色が耳に響いた。


「参拝をご希望ですか?」


 振り返ると、そこには蒼い頭巾に法衣を纏った尼僧らしき女人が刀哉の顔を伺っていた。冷やりとした雰囲気の中にも微かな妖気を含んでいるあたり、彼女もまた妖怪の一人であるようだ。


一先ず頭を垂れて礼を交わし、己の名を名乗る。


「経津主刀哉と申す。此度はあちらの巫女らの付き添いで人里より参った次第。住職殿とお見受けする」


「命蓮寺で仏道を修めております、雲居一輪と申します。私は住職ではなく、未熟な尼に過ぎません。刀哉さんのご活躍は噂で常々聞いております」


「いや、未だ剣の極地には程遠い故、大したことはしていない」


「それにしても博麗神社と守矢神社のお二方が来られましたか」


 彼女が正門の近くにいる二人を一瞥すると、二人の巫女は寺の参拝客を何とか引きこもうと布教活動を繰り広げており、妖怪の中には博霊の巫女に詰め寄られて逃げ出す者すらいた。


 一輪は少し思案を巡らせ、三人を寺の客間へ案内することにした。


 以前にも一悶着あったらしく霊夢も早苗も一輪と顔見知りのようで、遠回しに文句を言い連ねる霊夢に対して仏道を勧めてみるなど、一輪も涼しい顔をして中々一筋縄ではいかない。


 それよりも、刀哉は歩いている間、頭上から妙な視線を感じていた。またぞろ射命丸が取材でもしているのかと視線を秋空に向けてみれば、信じがたいことに、巨大な雲から浮き彫りになった厳しい形相と視線が重なった。自然と足が止まって雲と睨み合う。


 入道雲という夏の風物詩があるが、あれはどちらかといえば雲が入道に化けているようだ。いずれにしても妖怪であることに変わりはない。反射的に刀の柄を指先で撫でたとき、一輪が入道の名を呼んだ。


「雲山、降りてきなさい」


 すると刀哉と睨み合っていた入道が一輪の肩へ降りた。

 天に浮いていたときよりも小さく見える。雲だけに大きさを変えられるようだ。一輪と雲山は言葉もなく、ただ目を合わせただけで何か通じあっているようで、一輪はさも可笑しげに笑った。


「ふふふ、雲山が気に入る人がいるなんて珍しいわ」


「思い切り睨まれたように思えるのだが」


「そうですか? 刀哉さんの清らかな眼に惚れ惚れしたと言っていますよ?」


 よもや雲に惚れられる日が来るとは思わなんだ。


 ぎろりと目を剥く雲山の不敵な顔に辟易する彼の耳元で、早苗が引きつった声を吐息混じりにつぶやいた。


「気をつけて下さいね? あの雲山さんって、怒ると大きくなって殴りかかってきますから」


「前に殴られたような物言いだな?」


「……」


 答えないあたり、図星だったようだ。霊夢も雲山の視線を避けている。幻想郷での暮らしに慣れてから少々のことでは驚かない自信はあったが、流石にこれは舌を巻かざるを得ない。


 かくして命蓮寺の奥へ通された三人は来客用の仏間に通された。


 仏壇から漂ってくる線香の匂いが辛気くさくもあり、畳の香りと相まって妙な居心地の良さも感じさせる。門弟の小坊主が温かな緑茶を淹れて三人に供し、喉の渇きを潤していると、命蓮寺の住職がその長く波打った髪を揺らしながら現れた。


 手に巻いた数珠を鳴らしながら恭しく合掌し、菩薩の如き微笑みを浮かべた麗しき法主にして魔法使い。


 聖白蓮。


 白玉楼も永遠亭もそうであったが、何故に幻想郷の代表者はこうも女性ばかりのだろうか。と、刀哉は今更ながらに内心で首を傾げながらも挨拶をしようと頭を下げかけた時、先に霊夢の方が口を出した。歯に衣着せぬ物言いでつらつらと命蓮寺の振興ぶりを批難し、初めのうちは静かにしていた早苗も徐々に不平不満を訴え出す。


 あたかも路傍の石の如く二人の間に座る刀哉。


 いっそのこと両耳を指先で塞いでしまおうかと溜息が漏れ、白蓮は白蓮でにこにこと笑みを保ったまま霊夢と早苗の言葉を黙って聞き入っている。沈黙は時として相手に異様な威圧を与えるもので、幾ら文句を言っても何一つ言い返さない白蓮に気圧された霊夢が口を噤むと、それを見計らったかのように白蓮が桃色の唇を開いた。


「相も変わらず煩悩に囚われているのですね。お二人共修行が足りぬ証拠です。妬み、怒り、欲望は心に曇りをもたらします。原始的な神の道よりも、仏の道はそれらの苦しみから解脱出来る素晴らしい教えですよ?」

「神の力を舐めると祟られるわよ! ほら、あんたも何か言ってやりなさい。神様なんでしょう?」


 唐突に話を振られた刀哉は仰天し、霊夢が己を連れ出した真の目的をようやく理解した。人里の用心棒だとか何だかんだ理由をこじつけてきたが、何の事はない。本音は彼の半神が神道の神であることを利用しようとしただけのこと。


 呆れ返った。白蓮の言も概ね正しい。されど二人を裏切るわけにもいかなかった。他ならぬ自らの魂を原始的と見下されたことも少なからず納得いかず、ふむ、と一言前置きをして言の葉を紡ぐ。


「俺は剣の道以外に興味はない。神だろうが仏だろうが、相手のことをとやかく言う前に己の道を極めることが修行に非ずや?」


 場が静まり返った。他のことには目もくれず、ただ真っ直ぐに道を究めんとする人間の言葉は十分な威力がある。


「剣の道とはすなわち殺生の道。自ら罪業を積み上げるというのですか?」


 聖の問に彼は即座に応と答えた。


「世にはどうあっても斬らねばならぬ悪がある。悪を許すは不義なり、悪を見逃すは卑怯なり、悪に負けるは惰弱なり。俺も、この魂も、無益な殺生は望むところではない。されど世を乱し、罪なき者を不幸にする輩を、俺は一片の悔いも慈悲もなく斬り伏せる。たとえそれが神仏であろうとも。それが仏の言うところの罪業であるならば喜んで受け入れよう」


 これには白蓮も度肝を抜かれた。仏の教えを忠実に守り、一切の苦しみと悩みから解脱しようとする者からすれば、己の意思で業を背負おうとするなど正気の沙汰ではない。


 しかし、と白蓮は彼の言葉を反芻した。


 果たして彼は間違っているだろうか。


 仏にも敵はある。最たる宿敵こそがかの第六天の魔王であり、修行の邪魔をし、悪道に堕落させようとする者が現れれば、自分ならばどうするだろうか。答えは明白であった。何よりも迷いのない彼の覚悟は簡単に否定出来るものではない。


 しかも霊夢や早苗と違い、純粋に道を志す点に於いて、白蓮は彼に少なからず好感を抱いた。


「くすくす……あなたは実に不思議な御仁ですね」


「こいつの場合、不思議というよりは只の馬鹿正直よ」


「刀哉さんは馬鹿じゃありません! ただ頑固なだけです」


「うるさいな。これ以上話を続けるのなら勝手にしろ。俺は帰る」


 床に置いていた愛刀を手にとって立ち上がり、歩みだそうとした刹那に彼は白蓮に振り返った。


「ところで、毘沙門天は在住しているのか?」


 本尊に対して在住しているのかと真顔で聞いた彼の耳に、三人分の笑い声がいつまでも響いていた……。

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