表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幻想剣客伝  作者: コウヤ
白刃之舞 
67/92

白刃之舞 伍

霞んだ視界に光が差し込み、静かに瞼を開いた彼の目に絢爛な天上が映り込んだ。まるで今この瞬間に産まれたかのような奇妙な感覚に苛まれ、あるいは死んでいるかのような虚脱感も同時に感じていた。どちらにしても気持ちのよい目覚めではない。


 身体を動かそうとしても岩のように腕が重たく、左右に蠢きながら何とか上半身を起こすと、途端に耐え難い頭痛が彼を襲った。


 記憶も曖昧で思考が白一色に染まっている。


 ふと足の辺りに重みを覚え、そちらに視線を動かしてみれば……。


「白刃?」


 と、驚くほど自然に彼女の名前が口から零れたが、実際に彼の足を枕にうたた寝していたのはフランだった。ベッドの脇に置かれた小さな机に水が溜まった桶と濡れタオルが置かれているあたり、どうやら看病してくれていたらしい。呼吸が整うに連れて頭痛も徐々に痛みが和らぎ、手を伸ばして彼女の髪を撫でようとしたとき、部屋の扉が開いて咲夜を伴ったレミリアが入室した。


「失礼するわ。気分は、どうかしら」


「良い、とは言い難いところだ。ずいぶんと周りが綺麗だが、紅魔館は焼けたのではなかったか?」


「言ったはずよ、紅魔館は落ちないと。燃えたのも外壁だけで中は無事……フランたら、はしたない寝方をして」


 レミリア自らの手でフランを椅子に寝かしつけたところを見るに、あれから姉妹の蟠りは消えたようだ。胸を撫で下ろす刀哉に、咲夜が手に持つ盆を差し出してくる。そこには砕け散った刃の破片と見覚えのある柄が置かれていた。


「ごめんなさい。随分と探したのだけれど、これだけしか見つからなかったわ……」


 桜一文字の殆どが風に飛ばされて散り散りになり、むしろ、これだけ探しだしただけでも大したものだろう。


 刀哉は砕けた刃を見つめているうちに目頭が熱くなり、彼女の最期が鮮明に思い起こされた。震える手が彼女の柄へ伸ばされ、泉のように涙が溢れては零れていく。


「すまん……席を外してはくれないか? 暫し、泣く」


 次の瞬間、時を止めた咲夜によって姉妹が部屋の外に出され、膝の上に乗った盆に熱い涙が滴る。


「白刃……お前は、どこまでも不憫な奴だ……外の世界では見世物にされ、こちらでは、俺のような男に仕えてくれた……俺には勿体無い家臣だったぞ……白刃……白刃ぁ……」


 柄にもなく嗚咽を漏らした。今になって、彼女がたまらなく愛おしく思えてならない。何故もっと構ってやらなかったのか、何故もっと褒めてやらなかったのか、悔やんでも悔やみきれない悲しみと寂しさが彼の胸に突き刺さる。父と母に続いて家族を失った。


 もしも今一度会うことが出来るならば……そんな詮無き願いに打ち拉がれた彼は、暫し世界の全てを忘れて涙を枯らせた。


「もういいぞ……十分泣いた」


 扉の外に呼びかけると、真っ先にフランが小走りで彼の側に近づいて深々と頭を下げる。


「ごめんなさい! 私、トーヤの大切なものを――」


 全てを言わさぬうちに彼の手がフランの頭を撫でていた。


「もういい。せめてフランが無事に正気を取り戻してくれただけで、俺には十分だ。お嬢……悪いが、執事はここまでだ。長の暇を頂くぞ」


「分かっているわ。あなたは元々、此処にいるべき人間ではないものね。里へお帰りなさい。けれど、今回のお詫びとお礼はきっちりさせて頂くわ。でないと紅魔館の沽券に関わるもの。ただ、まずは十分に身体を治しなさい。霊力の使いすぎで動けないでしょう?」


「成る程、どうも身体がいうことを聞かないのはそれか」


「お食事を用意致しました。和食ですので、ご安心を」


「かたじけない」


 咲夜が運んできた薬膳をテーブルに置き、茶碗を取ろうとすると先にフランが茶碗と匙を持って粥をすくう。


「トーヤ、あーんして」


「止せ止せ。一人で食えるから」


「ダメなの。私、お姉さまみたいにお詫びの仕方が分かんないから、トーヤが元気になるまで私が居てあげるの。だから、あーん」


 そう言われては断ることも出来ず、渋々口を開けると、程よく煮こまれた粥が舌の上に滑りこんできた。聞けば倒れてから既に一週間もの時が流れており、里の皆に心配をかけていることに胸を痛め、一刻も早く回復せねばと薬膳を全て平らげて八意印の薬を飲む。


 流石は幻想郷第一の名医の秘薬だけあり、失った霊力も日を追うごとに回復し、病床から立ち上がり、庭先で素振りが出来るくらいに体調が整った頃、彼はいつもの着物を身に纏い、門前にて紅魔館の面々に別れを告げた。その手には桜一文字の破片と柄が納められた桐箱が携えられている。


「長く世話になった……皆、達者で」


 踵を返し、歩み始めた彼の背を、日傘の陰に隠れたレミリアが呼び止める。


「お待ちなさい。一つだけあなたの運命を教えてあげるわ。それは……二つと無い幸せ」


「どういう意味だ?」


「それを知るのはあなた次第よ」


 意味深に微笑むレミリアの隣で、フランが大きく手を振った。


「バイバイ、トーヤ。今度、遊びに行ってもいいかな?」


「ああ。今度は、人間の遊びを教えよう。では、さらばだ」


 着物の袖がはらりと返り、門を抜けて霧の湖の畔をゆるりと歩く。


 森を抜け、田んぼ道を進んでいった先に広がる人里の風景……は、彼が知るものとは随分と様変わりしていた。四方を囲む真っ白な外壁に黒瓦、組み上げられた櫓に立つ見張りの里人が彼の姿を見た途端に慌てて皆に知らせに走り、老若男女、人も妖も問わず、馴染みの顔ぶれが彼の帰りを出迎えた。ある者は道場の先生が戻ってきたと喜び、ある者は神が戻られたと拝み倒し、またある者は彼の背を押して西側の門へ無理やり導く。


 訳が分からない刀哉が一先ず家で休みたいと言っても里の皆々はただ笑うばかりで、それはまるで悪戯を仕掛ける子供の其れのような無邪気さにあふれていた。多くの者たちが道を開ける大通りを抜けた先に佇む西門が軋みながら開き、魔法の森へ続く畑道が目の前に続いている。一体全体何を見せたいのかと背後に振り返ろうとした彼は、里の西北に視線が釘付けになったまま全身が固まった。


 青々と葉を茂らせていた小山の頂き、里と同じく、白い外壁と田んぼへ続く水路を利用した堀に囲まれ、金色の鯱が夏の日差しで燦々と輝く天守閣と、本丸に寄り添うように連立した二の丸が刀哉の度肝を抜く。


「これは……たまげた……」


「ふっふっふ。これぞ河童が誇る匠の技ってねぇ」


 鼻高々と胸を叩く、にとりをはじめとした河童の一族。


「おやおや、あたいたちのことも忘れてもらっちゃ困るねぇ」


 一足先に完成祝いの盃を傾ける鬼の面々。


「そんなことよりも! さあ、取材ですよ! 取材! 大スクープですからねぇ! みなさん、並んでくださーい! 記念撮影しますよ!」


 しきりにカメラのシャッターを切る射命丸と呆れる椛。


「どっひゃぁ! これまたすごいものが出来たもんだぜ」


「はぁ、また神社への参拝客が減りそうね……」


「そんなこと言いながら、自分だって手伝っていたじゃないの」


 そして刀哉と同じく城郭を見上げる魔理沙や霊夢、アリスといった友たち。もちろん、次の瞬間には宴の準備のために各々が方々へ喧騒と共に散っていった。残っていたのは刀哉の肩に手を添える慧音だけだった。


「おかえり、刀哉。そして、白刃。夢が……叶ったな?」


 慧音は桐箱に眠る白刃へ語り掛け、刀哉は力強く頷いた。


「まるで、夢を見ているようだ。仕掛け人は……八雲か?」


「いいや。誰が言いだすでもなく、気づけば、皆が集まっていた。刀哉、お前はこれからどう生きるのだ? 人としてか? それとも、神となるのか?」


 彼は暫し考えた後に微かに笑んだ。


「何も変わりはしない。ただ、俺らしく生きる。彼女がそう望んだように、人であろうと神であろうと……」


「……感服だ。さあ、行って来い。今日からお前は城持ちの家長なのだからな」


 背を押され、堀にかかった橋を渡って城内に入り、階段を上がって天守閣から彼方まで広がる幻想郷を一望する。


「白刃……見えているか? お前が見たかった景色が、お前が見せたかった景色が……とても美しく広がっているぞ?」


 やがて日没と共に夏の納涼祭を兼ねた城の落成式が執り行われた。


 無論、初代城主は経津主刀哉である。天守閣にて、八雲紫を始めとする幻想郷の代表格たちの挨拶を受け、大広間や城下の里で飲めや歌えやの盛大な宴が繰り広げられた。守矢の神や地獄の鬼の盃を受け、射命丸の取材を受ける彼であったが、顔は笑っていても心は此処に無く、いつしか宴の席も離れて人気のない天守閣から満天の星々を眺めていた。


「……いるのならば、出てきたらどうだ?」


「あらあら、バレていましたか。じゃあ、お言葉に甘えてお隣に失礼するわ」


 遠慮なく刀哉の隣に腰を下ろした八雲紫は、懐紙の上に広げられた刀の破片に視線を落とす。


「不思議なものよね……家族って。いることが当たり前になると気にかけなくなるのに、失ってみると、如何に大切であったかを噛みしめる。それが、天涯孤独であったのならば尚更に」


「やめろ……」


「愛おしい気持ちはやがて孤独に塗りつぶされ、思い出として心の中に残る。けれどそれはただの形のない偶像。形見が残っているのなら、それこそ――」


「やめろと言ってるんだ!」


 紫の首筋に神刀の刃があてがわれた。怒りに震える彼に向けられた彼女の瞳は驚くほどに冷たく、それでいて、哀れんでいた。


 暫し睨み合った後に彼は刀を下ろす。


「戯言は嫌いだと言ったはずだ……茶化すつもりなら、出て行ってくれ」


「失礼。ついつい口が滑ってしまったわ。ここからが本題。修羅の道を歩み、己の運命を幻想に縛られた人の子へ、私から贈るせめてもの餞別よ」


 紫が扇を開くのと同時にスキマが口を広げ、そこから銀色に光る桜一文字の破片が懐紙に降り積もりる。


「これで彼女は全て揃った。さあ、刀神の化身よ。この世総ての刀剣たちを統べる者よ。己に付き従い、己が慈しんだ白き刃を呼び覚ましなさい」


 叱咤にも似た紫の言葉に彼は瞼を閉じ、脳裏に浮かぶ彼女の笑顔を想い、砕けた桜一文字へ霊力を送り込んだ。青白く輝く白き刃は彼女が消えた時と同じように金色の粒子となり、彼の周囲を舞うように渦を巻く。


「白刃……今一度会えるのならば……否、主として姫鶴白刃に命ずる! 再び俺の側にい出よ! 経津主神が化身、刀哉の名の下に!」


 掲げた桜一文字の柄に金色の光が吸い込まれ、白く美しい刃が生み出されていく。さらに鋭く、さらに麗しい桜花の小太刀の切っ先が煌めくと、月明かりに照らされた少女が彼の足元にひれ伏した。


「……主命に従い、この身、この命、殿の御為に捧げんが為、桜一文字が化身、姫鶴白刃……憚りながら、今一度ここに罷り越しました!」


「……忠節、大義である!」


 既に八雲紫の姿は無く、涙に打ち震えた二人の声が夜空に響いた。


 互いに身を寄せ合い、温もりと高鳴る鼓動を感じながら盃を交わす白刃は、生まれ変わった桜一文字を抱えて立ち上がる。


「拙者は刀で御座います故、城主となられた殿に何の献上品も御座いません。ゆえに、お恥ずかしながら、剣舞を披露したく思います」


 刀哉はにこりと笑って頷いた。


「許す」


 そのとき里から打ち上げられた花火が夜空に色とりどり花弁を咲かせ、白扇と小太刀を以って風のように舞う白刃を一層引き立たせた。軽やかに、されど激しく、邪を払い、福を願う白刃之舞に自然と目頭が熱くなり、白刃もまた舞う度に真珠の涙を散らしていた。


 これほど心が弾んだことはない。嗚呼、これをなんと表せばいいというのか。幸二が今際の際まで追い求めていた幸福が目の前にある。これを喜ばずしてなんとしよう。感極まった刀哉は、ついにその想いを高らかに告げた。


「姫鶴白刃!」


「は、はい!」


「此処に命ずる! 家族として……俺に、この俺に、嫁いでくれ」


 それは命令ではなく懇願であった。舞うことも忘れ、白扇も小太刀も落とした彼女は暫し呆然と彼の真剣な顔を凝視し、やがて、溢れ出る涙に頬を濡らしながら顔を赤らめて頷いた。


「承知……致しました……もう、殿のお側から離れません!」


 胸板に飛び込む白刃を優しく受け止め、二人の唇がそっと重なった刹那、ひときわ大きな花火が夜空を彩った。


 納涼祭と城の落成で沸き返る大広間に白刃を伴って顔を覗かせた刀哉がその旨を告げると、一瞬場がしんと静まり返り、次に瞬きをした時には万雷の拍手によって新たな祝い事に皆が酔った。


 そこからの経緯は刀哉も白刃もあまりよく覚えてはいない。

 目が覚めた時、大広間には無数の酒樽と共に人も妖も神も転がって二日酔いに苦しんでおり、まさに嵐が過ぎ去った後といった具合であったが、刀哉と白刃はしっかりとその手を取り合っていた……。



 季節は移ろい、森の木々の葉が赤みがかってきた頃。


 彼は白刃と共に妖怪の山を歩いていた。目指す先に待ちかまえていた大天狗は、煙管に残った灰を捨て、腰を下ろしていた岩場から二人の前に降り立つ。刀哉が山に戻った理由はひとつ。


 もはや言葉は不要とばかりに、鞍馬は彼を滝の側に誘った。

 対峙する師弟二人。飛沫が頬を濡らす中、神刀と太刀が火花を散らし、小細工なしの剣戟に興じていく。錫杖を受け流し、鞍馬必殺の逆手斬りを紙一重で躱した刀哉の刃がその赤く染まった首筋を捉えた。


「強く……なったのぅ」


「未だ、剣の極地は見えず」


「その意気じゃぁ! カッカッカ!」


 今までの迷い、そして、孤独であったかつての己を断ち切った刀哉は鞍馬から差し出された瓢箪を傾け、白刃と並んで岩に腰掛ける。


 鞍馬はそんな二人にしみじみと息を吐いた。


「ほぉ、似合いの夫婦めおとじゃのぅ。じゃが小僧、世継ぎはどうじゃ?」


「一人……ご嫡男をここに授かっておりまする」


 腹部を擦る白刃の答えに鞍馬が膝を叩いた。


「でかした! して、名はなんと申す?」


 刀哉と白刃は互いに笑いながら答えた。


『――幸二』



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ