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幻想剣客伝  作者: コウヤ
白刃之舞 
63/92

白刃之舞 壱

 人里から刀哉と白刃が消えた。


 ある者曰く、天界に召されたのではないか。

 またある者曰く、武者修行の旅に出たのではないか。


 いずれも憶測にすぎないが、ともかくも二人の姿がここのところ見当たらないということで仕事に励む里人たちや親しい妖怪たちは多少の不安を覚えていた。


「はぁ、今日も参拝客は無しかぁ。どいつもこいつも羽振りが悪いわねぇ」


 だが、朝霧に包まれた博麗神社の境内を掃除する霊夢にとってそんなウワサ話など何の興味もなく、ただ賽銭箱の中身だけを案じる日々が続いていた。刀哉とも異変以来会っていない。人里に落ち着いて何の問題も起こしていないのなら、別にこちらから会いにいく必要もない。その労力すら惜しい。むしろ早朝から神社を掃除する殊勝な己を褒めてやりたいと大きく頷いた霊夢の周囲から霧が徐々に晴れ、眩い太陽が薄暗い人里を照らし出すと……。


「う、嘘……何よあれぇ!」


 霊夢の絶叫が山の彼方まで木霊した。


 ちょうど同じころ、日の出前に目覚めた刀哉は着替えを済ませて白刃の部屋を訪ねた。プライドだけは誰よりも高い彼女のこと。不本意な奉仕にふてくされているのではないかと懸念した彼が部屋をノックすると、メイド服に着替えたばかりの白刃が扉の隙間から顔を覗かせた。


 メイド妖精が来たとでも思っていたのか、主人の顔を見るなりハッと顔を引きつらせて頭を下げる。


「殿で御座いましたか。おはようございまする」


「うむ。朝の掃除まで時間がある。少し、話さないか?」


 白刃の部屋にて椅子に腰かけた刀哉は、枕に涙の跡があるのを見逃さなかった。毎夜毎夜口惜しさを噛みしめているのだろう。


 軽率な行動を反省するのは良いが、あまり悲しい思いに苦しむのは哀れではある。


「眠れているか?」


「大事御座いません……殿こそ、拙者のためにかような苦労を……」


「確かにいろいろと慣れぬことも多いが、新鮮ではある。西洋の文明に触れる機会など今まで無かったゆえ、見聞が広まると思えばめっけもんだよ……時には耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶこともある。レミリアとて余興程度にしか考えていない。そのうち許しが出るだろう。深く考えるな」


 彼女の髪を撫でまわす刀哉の綻んだ顔に目尻を赤くする白刃であったが、主君の前でベソなどかくものかと唇をキュッと結んで嗚咽を堪えている。いくら刀とはいえ女子であることに変わりなかった。


「ところで殿……つかぬことをお聞きしますが」


「何だ?」


「よもや、血を吸われてはいませんよね?」


「そのような隙など持ち合わせていない。お前は、どうなのだ?」


 すると白刃は女々しく床に座り込んで首筋の髪を払った。

 そこには二つの小さな歯形がついているではないか。


「白刃……お前……」


「もう、お嫁に行けませぬ……」


 直後に館の鐘が鳴り響き、朝の掃除の刻限を迎えた。

 溜息交じりに立ち上がった刀哉は嘆く白刃を抱き起す。


「行くぞ。いざ出陣だ」


「殿ぉ……」


「俺の従者に女々しい奴はいない。そもそも――」


 刀哉の指が白刃の眉間を突く。


「お前が他家に嫁ぐなどありえんよ」


 掃除を終え、朝食を済ませた二人は地下へ続く階段を下りていく。図書館へ行く旨は咲夜にも伝わっており、なるべく早く戻ってくるように言って自身の仕事にとりかかっていた。


 薄暗い地下通路は消えることのない蝋燭が延々と炎を保っており、生ぬるい不気味な空気に足音を反響させながら図書館の扉を押し開くと、此処が地下とは思えないほどに高い天井と無数の本棚が二人を出迎えた。


 まるで森のように頭上にそびえる本棚の間を歩く刀哉と、恐る恐る彼の背後に隠れる白刃。どの角を曲がっても同じように本棚が続く迷宮を彷徨う内に、どこからか翼が羽ばたく音が聞こえてきた。


 鳥か蝙蝠かと見上げた二人の視線の先に黒いスカートがふわりと翻り、その細い両手に本の山を抱えた黒翼の少女と視線が重なると、彼女は途端に顔を赤らめてあたふたと震え始めた。


「は、はわ……はわわ……な、何で見上げているんですかぁ!」


 スカートの中を覗かれたとでも思ったのか、否、覗かれたと思う方が自然な状況であり、赤い長髪を振り乱す彼女は慌ててスカートを両手で押さえにかかるが、肝心の両手は本で塞がっているためにどうすることも出来ない様子。


 初めは一体全体何事かと呆けていた刀哉も状況を理解して視線を反らし、小っ恥ずかしそうに咳払いを一つ鳴らした。


「げふん、いきなりすまない。別に他意は無いのだ。少々道に迷ってしまってな。図書館の司書というのは、君のことか?」


「え? あ、はい。小悪魔と申しますです。お客様……ではないさそうですね。新しい使用人さんですか?」


「まあ、臨時であるが、一応挨拶に伺った。案内を頼めるか?」


「はぁい。こちらへどうぞ」


 小悪魔に続いて図書館の中央に至ると、ランプの明かりに照らされながら魔導書を読み耽る魔女の姿が映った。彼女を一言で表すならば紫に尽きる。丈の長い寝間着のようなローブに身を包み、縁のない眼鏡の中に浮かぶ気だるそうな淀んだ目が見慣れない剣客と従者を捉えた。


「こんなところまで入ってくるなんて、物好きな人たちね? それともレミィの差金かしら?」


 不機嫌に眼鏡を外した魔女は机に鎮座している水晶球を手に取り、刀哉の顔に重ねて覗き込んだ。


「名前は経津主刀哉。本名は幸二。幻想郷に流れ着いてからは人里に落ち着き、そこの付喪神が起こした異変を解決した功労者。現在は紆余曲折あって紅魔館の執事に……面白い経歴の持ち主ね? まるで道化のよう」


 勝手に身の上を語られて少なからずムッとする彼の視線を軽く受け流した魔女は小悪魔に紅茶を注文し、再び魔導書に視線を落とした。何事も無かったかのように刀哉と白刃を無視し続ける魔女に苛立ちが募る白刃が堪らずに声をあげた。


「こらぁ! この無礼者! こちらにおわす御方をどなたと心得る! 恐れ多くも我ら刀剣の最高神であらせられるぞ!」


「あら、まだいたの? お仕事はいいのかしら? 執事さんとそのオマケさん」


「オマケだとぉ! 斬る! 斬り捨ててくれるわぁ!」


 虚空から凶刃を引き抜いた白刃を羽交い締めにした刀哉がさらに言葉を紡ぐ。


「魔女よ、そちらが名を名乗らぬならばこちらは好きに呼ばせて貰うが文句は無いな? おい、聞いているのか、紫モヤシ」


 紫モヤシと呼ばれた魔女は一瞬刀哉を睨み、再び頁に視線を戻して小さく呟いた。


「パチュリー」


「む?」


「パチュリー・ノーレッジ。紫モヤシじゃないわ。失礼な侍ね」


 互いに睨み合う剣呑な空気に震える小悪魔がお茶を配り、さしたる会話も無いまま巨大な振り子時計の音が図書館に虚しく響く。


 特に白刃は主君共々侮辱されたことが余程頭にきたのか、黒い瞳に怨念の炎を青々と燃えたぎらせていた。一先ず挨拶は済んだので長居する理由も無く、早々に立ち去ってしまおうと機会を伺う刀哉が適当に切り出そうとしたとき、先にパチュリーの唇が開いた。


「レミィから運命のお告げはあったかしら?」


「お告げ? なんのことだ?」


「聞かされていないようね。レミィはね、他人の運命を覗くことが出来るのよ。もちろん、それが良い運命か悪い運命かは人次第」


 それを聞いた二人は開いた口が塞がらなかった。運命や天命の類を覗くことが出来るのなら何の苦労も無い。もしも本当に出来るのだとすれば、なんと趣味の悪いことか。刀哉はレミリアの人格の原因を垣間見たような思いがし、鈍い頭痛を覚えた。


「パチュリー、一つ尋ねたい」


「手短にお願い」


「レミリアの妹は本当にいるのか? この地下に」


「いるわ」


 禁忌に触れたというのに、パチュリーはさも当然のようにさらりと答えた。


「隠さないのだな」


「隠したところで、もう知っているのでしょう? なら隠しても意味が無い。いるわ。この地下に。でも、彼女とあなたと何の関係があるのかしら?」


「いや、ただ気になっただけだ」


「そう。けれど、近づくことはオススメ出来ないわ。隠すにはそれなりの理由があるのだから。彼女の好奇心は凄まじいわ。それこそ、病的なまでに。あるいは、狂っているほどに……」


 振り子時計が正午を告げた。


「そろそろ出ていってくれないかしら。邪魔なの」


 遠慮なく本音をぶちまけたパチュリーに刀哉も苦笑し、時計の音と共に大人しく図書館を後にした。白刃は未だに怒りが収まらない様子で、図書館の扉を締めるときも怒りに任せて蹴飛ばしていた。


 気持ちはわかるが扉を壊していないか気にしつつ、足早に地下の廊下を歩いていたとき、不意に部屋の中を駆けまわる軽快な足音が何処からか聞こえてきた。


「足音? 妖精でしょうか?」


「妖精は常に飛んでいる。おそらくは……レミリアの妹なのだろう」


 気づけば足音が鳴る方へ歩いていた。脳裏には紅魔館の連中がひたすらに隠そうとしているレミリアの妹がまざまざと浮かぶ。一歩進むごとに額に汗が滲み、背骨に氷を差し込まれるような感覚に襲われていた。廊下も永遠に続くかのように長く思え、歩いても歩いても前へ進まない。否、脚が進むことを拒否していた。


 これ以上進んではならないと本能が告げている。


 警鐘すら鳴らしていた。されど彼は見もしない恐怖に駆られている己に活を入れ、目の前に立ちふさがる見えざる壁を無理やり押し切ると、目の前に鋼の鎖と錠前で固く閉ざされた鋼鉄の扉が佇んでいた。足音はその奥から聞こえている。明らかに何者かが潜んでいる。しかも軽快な足音から察するに子供のものだ。


「殿……これは一体?」


「禁忌だろうな。紅魔館の。触らぬ神に祟りなしというが、何故に己の妹をここまで……」


 扉の前で耳打ちし合う二人であったが、唐突に扉の奥の足音が止んで心臓が跳ねた。


「そこに誰かいるの? もしかして、お姉さまかな? それとも咲夜かな? ねえ、お願いだから、ここから出してよぉ。フラン、ずっと我慢してたんだよ? 出してよ……出して……」


 扉の内側を何度も叩き、すすり泣くか細い声は幼い少女のものに間違いなかった。なんと哀れな声か。たとえこの扉の奥に潜む禁忌が世を闇に染める悪魔なのだとしても、こんな声を聞かされて情が動かない人間はそういるものではない。


 やろうと思えばこの扉を両断して中へ入ることも出来よう。


 彼は腰の神刀に手を掛ける。

 しかし彼が刃を抜き払うよりも前にレミリアの妹が問うた。


「あなたは、だぁれ?」


 全身が凍りついた。喜怒哀楽総てを含まない純粋なる問いが彼の迷いを吹き飛ばし、舌には舌で応えるしかなかった。


「俺は……刀哉という。今は執事だ」


「トーヤ? フランの知らない名前……紅魔館の外の人?」


「ああ。君は、フランというのか?」


「うん。フランドール・スカーレットっていうの。あのね、あのね、フランのお願いを聞いてくれないかな」


「外に、出たいのか? だが姉に怒られるかもしれないぞ?」


 途端に扉が凄まじい膂力で歪められた。


「お姉さまが悪いんだ! フランをこんなお部屋に閉じ込めて! フランはただ、お外に出たいだけなのに! みんなと遊びたいだけなのに!」


 轟音と共に鋼鉄の扉が爆風に乗って吹き飛び、青白い閃光が縦に煌めくと、歪んだ扉が両断されて背後の壁にめり込んだ。


 一瞬でも抜刀が遅れていれば黄泉へ舞い戻ることになっただろう。


 今しがたまで扉があった壁はひび割れ、濛々と立ち込める煙に少女の影が浮かび上がる。雪のような白い腕に抱かれたクマのぬいぐるみは継ぎ接ぎだらけで、白い頭巾を被せた金色の髪は若々しい艶を保ち、赤と白を基調とした服と、その背から生えた一対の翼らしき黒長の関節には七色の水晶が垂れていた。


「フラン……っ」


 悪魔の妹の解放――忌々しげにその名を口にしたレミリアは、怒りのあまり化粧台の鏡を拳で粉砕した。

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