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幻想剣客伝  作者: コウヤ
紅魔館
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紅魔館 参

 天が震え、地が轟く。

 紅魔館の門前で剣と拳を交える二人の達人。

 踏み込みは殆ど同時。抜き払われた神速の刃の腹を手の甲で叩いた美鈴は深く懐に入り込み、その鳩尾に鉄拳を抉りこもうとした直前、美鈴の頭上に脇差の切っ先が煌めく。


 振り下ろされた閃光の一撃を紙一重で躱した美鈴は大きく跳躍して間合いを開こうとするも、すかさず刀哉は脇差を投げつけ、難なくそれを避けた美鈴の腹部に柄頭を打ち込んだ。


「くっ! この程度!」


 鍛え上げられた肉体はそれだけで鎧となりえる。普通ならば腹を抱えて悶絶するはずが、美鈴は意にも介さずに刀哉の頭部にキレのある回し蹴りを見舞った。途端に体が宙を舞い、館の周囲に生い茂る森の木々に背を叩きつけられ、呼吸困難に陥りつつもしっかりと両の脚で体を支えた。


「かはっ……首の骨が折れるかと思った。噂通り、手練れ揃いか」


「相手が素手だと思って油断しましたか? 武器に頼る貴方に、私の拳は破れません。おとなしく去るならば良し。次は頭蓋を砕きます」


 拳を構え、気を発する彼女に鋭い視線を向ける。


「そうか。だが、こちらも退くわけにはいかん。招いておきながらこの仕打ちとは無礼千万。一言物申さねば武士の恥辱。素手相手と舐めていたことは詫びよう。では、ゆくぞ」


 神刀を脇に構え、体勢を低く落とす。美鈴からすれば守りの構えに見えただろう。その一瞬の判断が彼女の拳を微かに緩め、ハッと気づいた時には美鈴の足元に刀哉が深く踏み込み、殺気を孕んだ眼が彼女の首に狙いを真っ直ぐに見据えていた。


「疾い!?」


 青白く閃く切っ先三寸が彼女の喉元に迫り、身を翻して躱した美鈴が宙を舞う。首は斬れていない。このまま間合いを整え、反撃に転じようとした彼女の背に神刀の鞘が叩き込まれた。


「ぐっ!」


 大地に墜ちかけた美鈴は背の痛みを噛みしめ、両腕をバネに落下を防いで刀哉から離れた。右手に刀、左手に鞘……まさか三本目の武装があろうとは思わず、幻想郷の掟に縛られた弾幕ではなく、純粋なる技術と技量のぶつかり合いに美鈴の武闘家としての血がざわめく。


「刃がもう一振りあれば屠れたのだがな」


「成程。刀は鞘も含めて総てですか」


「即興の割には上手く当てられたよ。しかし、やはり拳相手では調子が狂う。美鈴、といったな? やはり通してはくれないか?」


「……あなたの刃に虚妄が無いことは分かります。しかし、私にも門番としての矜持があるのです」


 対峙する二人の間に佇む巨大な鉄格子の正門が、轟音と共に崩れ落ちた。重々しい鋼鉄は一点の曇りも粗さも無いままに両断されており、刀哉は溜息交じりに布都御魂を鞘に戻す。


「その守るべき門は陥落した。これ以上戦う意味があるか?」


「鞘が刀のうちならば、門番もまた門のうち! 私は未だ健在です」


「聞き分けのない奴め」


 再び闘争の火花が乱れ散るかと思われた時、突然二人の間に銀色の髪を揺らす紅魔館のメイド長が割って入った。否、何の前触れもなく現れたその様は、最早地から沸いたとしか形容出来ない。


 華奢な四肢に纏う冷たく無機質な気を前にして、あれほど赤々と燃え盛っていた美鈴の闘志も勢いを失っていくではないか。


「さ、咲夜さん……」


「退きなさい、美鈴。彼はお嬢様がたしかに招待したお客人よ」]


「何故報せてくれなかったのですか!」


「居眠りするようなぐうたら門番に報せる義理なんて無いわ。バツとして門の修理。それと、夕飯は無し」


「そ、そんなぁ……」


 悲痛な声と共に力なく崩れ落ちた美鈴を一瞥した咲夜が、刀哉に向かって深々と頭を垂れるも、彼は訝しげに顔をしかめる。


 脈絡無しに目の前に現れる辺りが八雲紫と似ており、彼女ほど胡散臭さは感じないが、やはり警戒心を拭うことは出来ない。


 美鈴が炎であるならば彼女は氷。四肢に纏う空気は酷く冷淡で静寂。

 得体のしれない戦慄が彼の背筋を寒からしめた。


 彼は隙の無い姿勢で彼女の冷たく無機質な声に耳を傾ける。


「門番の非礼を主に成り代わってお詫び申し上げます。紅魔館にて従者の長を勤めております、十六夜咲夜で御座います」


「刀哉と申す。招待しておきながら門前払いとは恐れいった。レミリア殿は、余程趣味が悪いと見える」


「と、申されますと?」


 主をけなされた咲夜が目を鋭くして真意を質すと、彼は脇差しを拾い上げながら苦笑いを浮かべた。


「先程から妙な視線を館から感じる。察するに、この状況を見越して高みの見物と興じていたのだろう」


 ちらりと紅魔館を伺ってみれば、テラスの手摺の頬杖をつく人影がたしかに見えた。咲夜も心中で納得したのか小さく息を吹いて表情を戻し、彼を紅魔館の敷地内へ招き入れる。真紅の薔薇を始めとした種々の花々に彩られた庭園を抜け、館の中へ足を踏み入れる。


「草鞋を脱ぐ必要はありませんよ?」


「屋内に土足で上がって良いのか?」


「洋館とはそういうものです」


 扉の前で草鞋を脱ぎかけた彼は履き直し、改めて紅い絨毯の上を歩く。今迄西洋の物に触れる機会が無かった刀哉からすれば、紅魔館の内装も館で働くメイド妖精たちの姿も新鮮で、しきりに瞳を右往左往させては低く唸った。


 むしろ、袴を履いて腰に刀を差す彼の姿はかなり浮いていたことだろう。


 階段を上がり、長い廊下を進む彼はふと咲夜に問うた。


「西洋の割烹着というのは、随分と華やかで動きやすそうだな」


「いざという時は私がお嬢様を守護せねばなりませんので」


「成る程、足取りに隙が無いのはその為か。得物は……短剣を仕込んでいるな? 投擲が得意と見える。従者というよりは、忍びのように映る」


 彼の言葉は歩みを止めない彼女を少なからず動揺させるに十分なものがあり、振り返ることもなく応える咲夜の声色が微かに上ずっている。


「見ただけで分かるものなのですね」


「半分は、勘だ。咲夜殿は腕も細く気配が無い。ならば、自然とそういう考えに至ったまでのこと。聞き流してくれていい」


「いえ……恐れいりました」


「それと、卒爾そつじながら美鈴のことだがな。居眠りをしていたとはいえ常に気配りを絶やさなかったし、あれほどの実力を披露したのだから、せめて夕餉くらいは供してやって貰えないか?」


「戦った相手を庇い立てするのですか?」


「互いに己の信念を貫いただけのことだからな」


「……考えておきましょう。まもなく謁見の間です。お嬢様に、くれぐれも粗相が無いように」


 刀哉は応とも否とも答えなかった。先に粗相をかけたのは紅魔館なので、彼からすれば何の義理も無い。ただ不敵に笑って咲夜の注意を受け流し、アンティークな椅子に腰掛けている紅魔館の主の前へ堂々と立った。そんな彼の凛々しい顔を見下すレミリア・スカーレットは彼が考えていた以上に幼く、雰囲気や妖気こそ他の大妖怪に一歩も引けをとっていないが、先ほどの高みの見物や突然の招待状が単なる子供の暇つぶしの悪戯と思えてならなかった。


 ともあれ、招かれたからには挨拶は済ませておかねばなるまい。


「お初にお目にかかる。我が名は刀哉。此度は、茶会の招きに応じて罷り越した」


「紅魔館の主、レミリア・スカーレット……人間よ、なぜ膝を屈さない? 私の前で無礼は許さないわ。疾く跪きなさい」


「断る。恩義があるのならばまだしも、招いておきながら門前払いをし、あまつさえ初対面の相手に跪けとは無礼千万。あまり人間だからといって見縊みくびれば、俺にも相応の覚悟があるぞ?」


 すぐに咲夜が動こうとしたが、レミリアの視線がそれを制した。


 彼女は軽やかに椅子から立ち上がると、研ぎ澄まされた自慢の爪を彼の眼前に突き出す。瞬きすらしない刀哉の胆力が余程おかしかったのか、彼女はくすくすと小さな笑い声を漏らした。


「くすくす……私を前にして怖じなかった人間は貴方で三人目。あの八雲が目をかけるのも納得ね。それとも、神が人間を演じる道化とでも言って差し上げましょうか?」


「戯言が過ぎるのならば帰らせて貰うぞ」


「あら、レディの冗句ジョークを本気にするなんて大人げ無いわね。まあ、挨拶はこのくらいにして、お茶にしましょう。私はね、色々と貴方に興味があるのよ。光栄に思って頂戴ね?」


 別室に移ったレミリアと刀哉は円卓の席に腰を落ち着け、メイドたちが用意したアイスティーと様々な焼き菓子を前に、ぎこちなく語らいを始めていく。


「先程、レミリア殿を前に怖じなかった者がいたと聞いたが、あとの二人はだれだ?」


「霊夢と魔理沙。たまに遊びに来るのだけど、霊夢は夕飯をたかったり、魔理沙は地下の図書館から本を盗んだりしているの。困ったものだわ」


「あぁ」


 ぽんと手を叩いた彼は容易に想像出来たので不意に笑いが込み上げ、紅茶を一口啜る。生まれて初めて口にした紅茶はほんのりと甘い香りがして、抹茶や煎茶とはまた違った旨味だったが、焼き菓子に塗られたチョコレートなどの甘さには馴染めない。


 やはり、団子や小豆の方が好みに合うようだ。


「この間の異変では、結構活躍したそうね。紅魔館にも雑兵が押し寄せてきたから蹴散らしてやったわ」


「左様か。活躍といっても、大したことではない。俺も随分と手傷を負ってしまったし、今となっては異変の発端が俺の家に居座っている」


「ふぅん。幻想郷ではありがちだけれど、嫌ではないの?」


「嫌、というよりは困っていると言った方が正しいかもしれない。見上げた忠義者だけに、俺を一国一城の主にしようと躍起になっている。俺としては、花鳥風月を愛でながら剣の鍛錬に没頭したいところなのだがな」


「で、その困った従者さんは何処にいるのかしら?」


「今は家で留守番をさせている。いざという時の備えで残してきたが、このまま穏やかに過ごすことが出来るならば留守で終わることだろう。無理やり押しかけて来ない限りは――」


 全てを言い終わらないうちに全員の目がほとんど同時に開け放たれた窓の外に向けられ、一人の妖精メイドが血相を変えて窓から部屋に飛び込んできた。


「失礼します! お、お嬢様! メイド長! た、た、大変なことが!」


「お客様の手前で騒々しいわよ。お仕置きを受けたいの?」


「ひぃ! す、すみません! でも、でも!」


 顔を真っ青にした妖精メイドがあたふたと口ごもっている最中、他の妖精たちと門の修理をしていた美鈴は森の中から異様な気配が迫っていることを察知して振り返ると、地の底から響き渡るような法螺貝と陣太鼓の音が聞こえ、次の瞬間に彼女は口を阿呆のように開いたまま凍りついてしまった。


 木々の間から翻る無数の旗指物、天を衝く鬨の声と共に森から飛び出す白馬に跨った姫鶴白刃の右手には、一枚の符が高々と掲げられていた。


参陣『小田原征伐』


 古今東西の武士もののふたちが一斉に出現して紅魔館の東西南北に陣を構え、驚く無かれその数なんと二十二万。


 かつて草鞋取りから関白に昇天した男が日ノ本統一を決定付けた小田原征伐の陣容が此処に蘇り、穏やかな茶会が一瞬にして剣林弾雨の軍場いくさばへと変貌した……。

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