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幻想剣客伝  作者: コウヤ
晴天
56/92

晴天 参

 天に輝く日輪が朱に染まり、西方の山に差し掛かった頃、程よい満腹感を堪能しながら帰宅した刀哉と白刃は、家の縁側に腰を下ろして鮮やかな夕焼けを眺めていた。


 傍らには徳利と盃が二つ。風鈴の音に混じって聞こえるひぐらしの音色を肴に、これといった会話も無いまま過ごす。


 夏の夕暮れもまた風情がある。彼方の入道雲の下では夕立が降り注いでいることだろう。ふと東の空を伺うと、霊夢と魔理沙と思しき人影が飛んでいた。行く先は魔法の森のようだ。


 魔理沙の家に遊びに行くとみえる。脳裏に、幻想郷へ流れ着いた日のことを思い出す。また魔理沙の家を訪ねたいものだ。


 魔理沙だけでなく、明日は久方ぶりに永遠亭にでも足を運んでみようか。湖の近くにあるという洋館も気になる。


 阿求は近寄るなと言っていたが、猛者がいるとなれば気にならずにはいられない。これだけはどうあっても変わらない性分だ。


 幸二であった頃の名残であろうか。今までは単に強くなりたいと思う一心で修行に励んできたが、未だに生き残りたいが為に強くなりたいという願望が根ざしているのかもしれない。


 刀哉は手酌で注いだ酒を飲み干して白刃を脇目に盗み見た。


 生真面目で頑固なところはよく似ているが、何事にも卒のない刀哉に比べて白刃は少々抜けているものの、その美しい仕草や透き通るような心根が疲れた心を癒してくれる。


「白刃、少し、良いか?」


「はい。如何なさいましたか?」


「思えばここのところよく付き添ってくれた。前にも言ったように俺は居候の身ゆえ、家禄は与えられないが、せめてその小太刀に打粉をくれてやることは出来る……貸してみろ」


「殿……ありがたき幸せ」


 白刃は自分自身である桜の小太刀を腰から外して彼に預け、懐紙を口に咥えた刀哉は、桜華の花弁が彫り込まれた刃に白い打粉を与えていく。小太刀は刃渡りこそ短いが、それだけに急所を突きやすい。白刃の如き華奢な身体ならば懐に飛び込んで相手を仕留めることも容易い。


 懐紙で刃を拭いて鞘に戻し、白刃の傍に置きつつ彼女の顔を見てみれば、何故だか恍惚とした笑みを浮かべていた。


 本体が本体だけに、手入れをしてやると気分が良いのだろうか。


「何ゆえに小太刀なのだ? 数多の刀の化身であるならば、それなりの太刀でも良いだろうに。まあ、体格には見合っていると思うが」


「む……さらりと胸に刺さることを仰る。しかし、概ね殿の仰る通りで御座います。その気になれば脇差から野太刀まで扱えまするが、何分にもこの姿では些か邪魔で御座いますゆえ、小太刀に」


「成る程。前々から桜の鍔が珍しいと思っていたが、名はなんという?」


 彼の問いに白刃は無言で首を横に振った。


「名も無き刀匠に打たれ、世に出ることもなく土に埋もれたもので御座いますので、名は未だに……」


「左様か。ふむ……桜一文字、というのはどうだろうか」


「菊一文字に似ておりますね」


「菊も桜も、美しく気高い」


「御意」


 桜一文字を腰に戻した白刃は酔いが回ったのか、大きな欠伸を漏らした。


「眠いか? 無理はするな」


「ふわ……心配は無用で御座る。殿こそ、お疲れのはず。風呂の支度でも致しましょうか?」


「風呂か。うん、頼む。ぬるま湯で良い」


「承知」


 井戸端へ駆けていく白刃を見送った刀哉は、おもむろに腰の神刀を抜いて庭先に立ち、素振りを始める。その蒼白い刃を振るう度に冷たい霊力が風となって頬を撫で、手のひらに感じる重さが妙に落ち着く。


 やはり剣客は剣客。生まれ変わっても刀だけは手放すことが出来ない。思えば、妖怪を躊躇いなく斬り殺していたのも、かつて人斬りであった頃の記憶であったのだろうか。


 刃が肉を裂き、骨を断つ感触が忘れられない。


 人も妖もそれぞれの生きる道を歩んでいるのであろう。


 だが事と次第によってはその道を奪うことになるし、実際に多くの道を奪ってきた。かといってこちらもむざむざと殺されるわけにもいかず、殺意を以って襲いかかってくる者を相手に不殺などという器用な芸当も出来ない。


「はぁ……はぁ……俺は、誰だ? 刀哉か? それとも、やはり、幸二でしかないのか?」


 気づけば素振りも二百回を超え、体中が汗だくになり、肩で息をする己をあざ笑った。まるで亡霊にでも取り憑かれたようだ。


 過去を知るということがこれほど重たいことだとは思わなかった。


 知らぬが仏とはまさにこれだ。以前に霊夢が言ったように、過去への拘りなど捨てて自由気儘に生きる方が楽だったはず。


 温かな人里の中で道場をし、たまに山や森を訪れては交友を深める、何も考えずにただ愉快に生きる道……。


「まるで、隠居生活のようだな」


 頭に描いた風景を一笑に付した彼の下に白刃が駆けてくる。


「殿、湯浴みの支度が整いました。お申し付けの通り、ぬるま湯に」


「かたじけない。明日はどこへ行こうか。希望があれば言ってみろ」


「殿の行く先が、拙者の行く先で御座る。従者とは、そういうもので御座います」


「あまり人のことは言えないが、お前も相当な頑固者だな」


「物言わぬ刀に口が付いただけでも有難きことでございます故、己の我儘を口にするのは筋違いで御座います」


「はは、口にせずとも乱という形で我儘を示したではないか」


「あ、あれは! その、意地です! 願望です! 志です! 断じて我儘ではありませぬ!」


 顔を真っ赤にして反論してくる白刃の必死さに笑いを堪えきれず、彼は膝を叩いて腹を抱えた。膨れっ面を浮かべた白刃はそっぽを向いて縁側に胡座をかき、再び酒を飲み始める。


 普通ならば胸の一つでも叩いてやりたいところだろうに、主従というものを偏執なまでに重んじる彼女はやり場のない怒りを酒に向けるしかない。その様は酷く愛らしくもあり、同時に哀れでもあった。叩きたければ叩けばいいと苦笑を浮かべる刀哉は、自棄酒でフラフラになりつつある白刃から徳利を取り上げる。


「そのくらいにしておけ。二日酔いは辛いぞ?」


「拙者のことはお構いなく! 願わくばお返し下さい」


「駄目だ。飲み過ぎで体調を崩されるくらいなら、素直に手を上げてくれた方がマシだ」


「主上にそのような無礼などもってのほかです」


「俺は無礼などと思わないぞ。俺は、不器用な男だ。時に眼前の事柄しか考えられず、突っ走る節がある。故に、諫言してくれる者が要るのだ。成る程お前は百万の兵に匹敵する。だが、俺は百万の兵よりも一人の軍師が欲しい。主従という壁に遠慮するようなものではなく、膝を交え、腹を割って話すことが出来る軍師を」


「殿……そこは、軍師ではなく家老では御座いませぬか?」


 くすくすと笑う白刃のダメ出しに意表を突かれた彼は、一瞬ムッとした後にすぐ鼻で笑った。


「揚げ足を取るような家老なら、改易、所領没収だぞ?」


「そんな御無体な!」


「切腹でないだけ有難いと思え。ひとっ風呂浴びてくる」


「と、殿ぉ! あの、お背中を……」


「背中を流すのと身を流すのとどちらがいい?」


「湯浴みの手伝いごときで流罪で御座いますか!? 地獄ではお許し下されたのにぃ」


「奇襲を仕掛けておいて何を言うか。大人しく待っていろ」


 主が着替えを抱えて風呂場へ篭ったのを見送った白刃は、手透きということもあって寝室に赴き、すぐに身体を休められるように寝床の支度を進めていく。考えてみれば変な話だ。


 己は刀。戦場に在りては命を奪い、平時に在りては主君を守護し、時に主君の命をも断つ。無論彼に下克上などあり得ぬし、彼に弓引く者は容赦しない。戦への夢も消えた。美術品と成り果てた恨みも既に無い。


ただ、少し、物足りなさも覚えていた。


 彼女は個にして軍。ただ一振りの刀であれば己が我慢するだけで良いが、胸の内には無数の刀剣たちの想いが宿っている。


 彼らは常に意気軒昂。かつて戦場を駆けていた時と何ら変わらぬ士気と闘志を燃えたぎらせ、一度彼女が号令を下せば、天上天下に存在する如何なる存在にも立ち向かう。


 が、彼女が今励んでいるのは主の寝床の支度。


 この穏やかな日々は白刃にとっても居心地の良いものであり、まるで出来の良い鞘に納められているような安心感を抱く。


 しかし、穏やかな日々が続くほどに、乱れた時にその火は勢いを増していくもの。それが何時のことになるのかは分からないが、いざ其の時になれば……と、白刃は密かに覚悟を決めた。


 刀哉が風呂から出て寝間着姿となり、白刃も身を清めて寝床へ腰を下ろす。狭い離れなので寝室は同じ。


「明日は永遠亭にでも行ってみるか。白刃も幻想郷を見物すれば、良い気晴らしになるだろう」


「別に、気苦労をしているわけではございませぬ」


「建前だよ。本音は俺の気晴らしだ。あそこの餅は、絶品だぞ?」


 にこりと笑んだ刀哉が布団を被って小さな寝息を響かせ、白刃もまた身体を横たえる。布団で眠るというのは妙な感覚だ。そもそも眠るとは何ぞやと不思議に思っていた。


 瞼を閉じ、気づけば深い暗闇の中に浮かんでいる。


「う……ん……殿ぉ」


 彼女の掠れた寝言と共に吹き抜けた風が蝋燭の灯りを吹き消し、夜の帳が静かに下りた。



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