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幻想剣客伝  作者: コウヤ
晴天
55/92

晴天 弐

 稗田邸の門をくぐると、女中たちの出迎えを受けて応接間に通され、阿求自らが淹れた茶を菓子と共に味わう。何やら屋敷の奥から旨そうな匂いも漂ってくるではないか。今頃は里で購入した雉や鮎が女中によって料理されていることだろう。


 思わず涎が口から溢れそうになったのをごくりと飲み込み、先日まで地獄へ赴いていた旨を阿求に話した。とはいえ自身の過去を話せば色々とややこしくなるので割愛し、なるべく楽しいと思えたことを中心に語ると、阿求は瞳を輝かせて聞き入っていた。


 幻想郷縁起を著す上で一応の知識は持ちあわせているものの、純粋な人間である彼女からすれば、黄泉の国の話はさぞ珍しいものであったろう。阿求は刀哉と白刃を自分の書斎へ案内した。


 仕事場へ立ち入ることを憚ったものの、是非にと言う阿求に根負けして敷居を跨ぐと、そこは無数の巻物が積み上げられた小さな座敷だった。机の上には書きかけの幻想郷縁起が広げられ、硯にもまだ真新しい墨が残っている。


「これが幻想郷縁起か」


「ふふ、これだけではありませんよ? ここに積み上げられた全てが幻想郷縁起です。稗田家は代々これを著すことを使命としておりますので、お恥ずかしながら私も駄文を」


「駄文とは謙遜謙遜。見事な字面だ。あの慧音が胸を張っていただけのことはある」


 刀哉が何気なく机に広げられた幻想郷縁起を黙読すると、先日に白刃が同居することに至った顛末が書き記されていた。


 それだけでなく、白刃がかつて乱を起こした張本人であることも細かく記載され、そのことを阿求に問いただしてみると、どうやらあのスキマ妖怪が度々訪れては内容を検閲したり、阿求に新たな情報を仕入れたりしているらしい。


 特に刀哉に関してはこれでもかというほどに観察しているらしく、阿求も彼のことを書くのが最近では楽しくて仕方がないという。小っ恥ずかしいやら嬉しいやら、何やら複雑な気分になった刀哉は指先で頬を掻く。


 それにしてもあのスキマは油断も隙もあったものではない。


 今もどこからか覗いているのではないかと周囲を探ってみるが、彼奴も早々感付かれるようなヘマはしないだろう。


「全く、アレには本当に踊らされる。暇つぶしに振り回されてはかなわないな」


「確かに困った御方ですけど、あれはあれで面白い人ですよ? 幻想郷のことを誰よりも考えていますし、私達人間に対しても高圧的というわけではありませんから。といっても、私としても彼女のことを詳しく書くことが出来ないので不満ではありますが。一体どこに住んでいるのかもわかりませんし」


「そういえば、白刃は紫に肉体を与えられたのだろう? あ奴の住処には行ったことがあるのか?」


「い、一応は……」


 肯定はしたものの何処か歯切れが悪く、続きを待ちわびる刀哉と阿求の視線に圧されて言葉をもつれさせる。


「えぇとですね、その、八雲家の屋敷にて肉体を得たことは得たので御座いますが、その後すぐにスキマで人里へ送られた上に……」


「上に?」


「と、殿に早くお会いしたい気持ちばかりが募っておりまして……すっかり失念しておりました……」


 白刃は酷く申し訳なさそうに俯いてしまい、その小さな肩を刀哉が気さくに叩く。


「気に病むことも無い。覚えていないならば仕方ないだろう。別に八雲家に拘る理由も無いし、俺の予感では、またぞろ会うことになるだろう。どうせ、今この時だって何処かから覗いているのだろうからな」


 わざと声を大きくして言ってのけた刀哉に阿求も白刃も笑い声をあげ、まもなく女中が食事の用意が整った旨を報せに来たので、阿求の書斎から応接間へ移った。流石に人里の名門だけあって、種々の雉料理が美しく雅な器に盛られて膳に並べられ、昼間ではあるが酒も供されていた。


「このような絢爛な馳走にしてもらって、かたじけない」


「ふふ、こちらはただ料理させて頂いただけですから、どうぞ遠慮なく召し上がれ。お昼間ではありますが、ご一献どうぞ」


「では、一杯だけ」


 杯を受けた刀哉の耳元に白刃が顔を寄せる。


「殿。阿求殿だけでなく、拙者にもお酌を」


「お前とは家に帰ってから幾らでも飲んでやる。今は遠慮してくれ」


「ぎょ、御意」


 食前に酒を呑み、山川の珍味を堪能しつつ会話の花を咲かせる中で、阿求は饒舌に今まで幻想郷で起きた事件や異変などを語り、まだまだ幻想郷には解明されていない事柄が多いと苦笑いを浮かべていた。


 それを聞く刀哉もまた、己が今まで脚を運んだのは幻想郷のほんの一部であることを知り、寺子屋が休みであるうちに脚を運べるならば訪れてみたいと思う場所が多々出来た。


 ただし、と阿求は咳払いを小さく鳴らす。


「霧の湖の辺りに佇む洋館にはなるべく近づかないようにしてください。あそこは吸血鬼という妖怪が居座っておりまして、異変が終わってからは大人しくしていますが、誇りが高く、人間を見下している節が抜けきっていませんので」


「ほう。洋館ということは、西洋の妖怪か?」


「ええ。名はレミリア・スカーレット。他にも館には手強い妖怪が多く住み込んでいると聞きます」


「心得た。しかし、世には不思議が多い。神や妖怪が実在することにも驚かされるが、それらと酒を酌み交わし、膝を交えて言葉を交わし、時に競い合うことになろうとは……」


「何か思い悩む事柄でも?」


「いや、まるで夢心地のようだと思っているだけだ。その夢心地の中で自分は何を為すべきなのか、と最近考えるようになった。神に託された異変は解決し、平穏な日々に緩んでいる。そういう意味では阿求殿が羨ましい。一生をかける使命がハッキリとしているのだから」


 その言葉を聞いた阿求は目を丸くした。どこまでも真っ直ぐで一部では頑固者とまで言われていた彼が、五里霧中に陥っている。


 ある意味で年頃らしい悩みではあった。


 助言しようにも気の利いた言葉が浮かばなかった阿求は、うんうんと唸る彼に笑いかけた。


「刀哉さんは、本当に生真面目な人なのですね。人生山あり谷ありと申しますし、川の流れのようなもの、とも聞きます。激しく流れる川もあれば緩やかな流れもあります」


「つまり?」


「あまり深く考えず、緩むだけ緩んでみては如何ですか? 私も時に筆が勢いに乗らず、悶々として日々を過ごすこともありますが、そういうときはお散歩をしたり、友人と語らったりして気晴らしをします。そのうちに、自然と書きたいことが浮かんでくるものです」


「十分緩んでいる気もするのだが」


「いえ、固いです。まるで岩のようにカチカチです」


 真剣な顔で小さな握りこぶしを見せてくる阿求が妙に愛らしい。


 食事を終えて熱い茶を啜りながら阿求の言葉を噛みしめる彼は、不意に鞍馬のことを思い出した。あの飄々とした態度にして冴え渡る剣戟は刀哉からすれば異質であるが、未だに一度も勝てたことがない。思いも悩みも全て飲み込んでしまうことが肝要だという彼の教えが脳裏に過る。


 結局、己は己の悩みに振り回されてばかりではないか。阿求の言う通り、緩むだけ緩んでみるのも一興かもしれないと思うだけでスッと身体が軽くなった。


「いや、すっかり寛がせて貰ってすまない」


「同じ里に暮らす者同士、家族のようなものですよ。でも、いつまでも寺子屋の離れでは住みにくくはありませんか? ご要望があれば新家を都合することも……」


「あいや、懸念は無用。今の寝床で十分満足している。約一名、どうあっても俺を城主にしたいと宣う者がいるが」


「家臣として当然で御座います。是が非でも殿にはいずれ天守閣に鎮座して頂きまする故」


「ふふ、白刃さんは刀哉さんのことが本当に大切に想われているのですね。ちょっと、羨ましいです」


「これはこれで困ったものなのだがな。さて、少々長居してしまった。そろそろお暇するとしよう。女中の各々にもくれぐれも宜しく」


「そうですか……お見送りしましょう」


 門前にて阿求の見送りを受けた刀哉と白刃は、改めて馳走になったことを謝し、小さく手を振る阿求を背に帰路についた。


「お城かぁ……ふふ、里に建てば筆が進みそうだわ」


 無邪気に笑う阿求の顔は、歳相応の少女の其れであった。

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