表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幻想剣客伝  作者: コウヤ
晴天
54/92

晴天 壱

 人里に戻った後、幽界の白玉楼へ戻った妖夢を見送った刀哉と白刃は、一先ず寺子屋にいる慧音へ帰宅の挨拶を済ませ、自宅の囲炉裏を囲んでゆるりと旅の疲れを癒していた。


 時にしてたった数日のことであったが、まるで何年も帰ってこなかったような気分になってしまう。水出しの冷たい茶を啜る刀哉はごろりと仰向けに寝転び、天井をジッと睨んだまま黙りこんでいる。


 どことなく空気が気まずい。何とか明るくしようとする白刃の努力も殆どが生返事ばかりで、すっかり困り果てた彼女はいっそのこと核心を突いてやろうと咳払い混じりに問いただした。


「こほん……殿、先ほどから一体何をお考えなのですか?」


 おそらくは閻魔から聞かされた己の過去のことだろうと見当をつけた白刃であったが、


「いやな、今宵の晩飯は何がいいか、なぁんてな」


 という、あまりにも呆気ない答えに唖然としてしまった。


「あまり愚弄されては困りまする」


 眉間にしわを寄せる白刃の顔が余程面白かったのか、刀哉は珍しく声をあげて笑う。


「ははは、すまん。まあ半分本心ではあるのだけどな。今まで休む間もなく動き続けてきただけに、こうして暇になると途端に頭が回らなくなってしまう」


「暇、でございますか。では里の市にでも行きましょうぞ。夕餉の食材も必要でございましょう?」


「そうだな。暇つぶしに、散歩がてらに歩いてみるか」


 緩みきった四肢に活を入れて立ち上がり、愛刀を腰の帯に差し込んで家をでる。意気揚々、というわけではないが足取り軽く人里の通りを歩く刀哉の背を見た白刃は、やはり黄泉から帰ってから彼の空気がどこか変わったことを感じずにはいられない。


 まるで空気が抜けた風船のようだ。相変わらず背筋がピンと伸びた立ち姿には見事なまでに隙を見せないが、やはり、どこか違う。


 落ち着き過ぎているのだ。


 もっと動揺するなり、塞ぎこむとばかり思っていた彼女からすれば、気さくに里人に声をかけては談笑に耽る彼の姿は腑に落ちないことばかり。


 悟りを開いたとでもいうのだろうか。


 団子屋で茶を啜りながら休息をとっていると、彼女の視線を感じ取った刀哉の人差し指が、白刃の額に突き立つ。


「さっきから何を神妙な顔をしている? せっかくの散歩だぞ」


「殿……拙者は、殿が分かりませぬ。あれ以来、殿は変わってしまわれました。なんというか、覇気が無いというか、緩みきっているというか……」


「そう見えるか? 確かに、緩んではいるな。いっそのこと山に戻って修行の続きでもすればシャキッとすることだろう。俺もいずれはそうするつもりだが、今はゆっくりと考えたい。この先何をすればいいのか、何の為に剣を握ればいいのか」


 彼は遠い空の彼方を見つめたまま言葉を紡ぐ。


「今までは、ずっと自分の過去を探し続けていた。それが俺の目標であったし、ある意味で生きがいだった。この世界に流れ着いてからずっとだ。幸いにも幻想郷は俺を受け入れてくれたし、なんとか雨風を凌ぐ家も手に入れることが出来た。飯も食えるし、童たちに剣を教える仕事もある。そんな俺に唯一足りない物が、自分自身だった。それが手に入った今、俺は満たされてしまった……人生に未練が無くなってしまった」


 白刃はハッと顔をあげて主君の淋しげな瞳を見つめる。


 ようやく理解出来た。彼が何故ここまで変わってしまったのか、何故遠い存在に思えてしまったのか。


 彼は生きる目的を失ったのだ。


 元より彼がこの世界に流れ着いたのは、己たち刀剣たちの叛乱を鎮めるため。それが果たされ、失われていた己をも取り戻した彼に一体何が残っているというのか。この世界で生きる意味とはなにか。


 彼は自らの存在意義という壁にぶつかった。


 白刃からすればこの世総ての刀剣を司っているので、いっそのこと神として君臨しても申し分ない。むしろ其のほうが鼻高々であるし、白刃としても仕え甲斐がある。が、彼はあくまでも人間であることに拘り続けている。たとえこの先、何年、何十年、何百年生きながらえたとしても、彼は己は人間だと言い続けることだろう。


 あるいは人間の寿命を迎えた時、彼は自らの手でその生涯を終わらせるかもしれない。それが彼の選択であるならば誰にも止めることは出来ない。人間とは何とややこしい生き物なのだろうか。


 迷い、悩み、苦しむことから逃れようとするくせに、満たされてしまえば新たな苦悩を宿し、その中に小さな幸せを見つけた時には今際の際だ。儚くも美しい人間の生き様を傍から見ていた白刃の目に涙が溢れ、意を決したように袖で拭った彼女は、強い視線を刀哉に向ける。


「たとえ殿が生きがいを失われようとも、殿を生きがいとする者たちはいます! 拙者はたとえこの先どれほどの時が流れようとも、殿のお側に侍り続けまする。その果てに、殿が人間として最期を遂げられんとするときは……何卒、拙者でお腹を召して下され!」


「白刃……それは困る。お前で腹を切ったら、一体誰が介錯してくれるんだ? 主君の最期を看取るのも、家来の役目ではないか?」


 と、刀哉は笑いながら彼女の黒い髪を優しく撫でた。


 そんな風に言われてしまっては、今しがた覚悟を決めて放った言葉が霞んでしまうではないか。反論したい一心で唇をモゴモゴと動かすものの、彼の言葉にも一理あるので、結局ムスッと頬を膨らませることしか出来なかった。


「だが、まあ、当分の間は死ぬつもりは無いし、俺を生きがいにする奴がいると聞いては腑抜けてもいられないな。今宵はひとつ、美味いものでも食って、精をつけるとしよう」


「せ、精で御座いますか……ま、まさか、拙者にお夜伽をしろと!?」


「阿呆!」


「ふぎゃっ!」


 大声をあげる白刃にデコピンが炸裂し、その様を見た群衆たちが和やかに笑みを浮かべている。恥ずかしいやら何やらで頬を赤く染めた刀哉がそそくさと急ぎ足で市へ向かい、白刃は痛む額を擦りながらも、にこりと顔を綻ばせて追いかけた。


 久方ぶりに訪れた人里の市には、山野で採れた山の幸や川の幸がずらりと並べられて、それは賑やかだった。普段刀哉が立ち寄るのは里の米問屋か漬物屋だが、今回は魚屋や肉屋にも脚を運び、店番の娘たちから珍しがられた。


「まぁ、道場の先生! いらっしゃい! うちの弟がお世話になっています」


「見込みのある子だから、こちらも教え甲斐がある。今日は、その雉肉でも貰おうかな。それと、そっちの鮎の干物も」


「はぁい! て、噂の同居人さんも一緒なんだぁ! 可愛い!」


「か、可愛いとな!? 拙者は見た目こそアレだが、これでも立派な武士であるぞ!」


「きゃー! その強がったところも可愛いぃ!」


 背の低さが仇になったか、哀れにも白刃は市の娘たちから文字通り可愛がられて目を回していた。


刀の化身ゆえ堅苦しいところばかりが目立つが、しっかりと愛嬌も持ち合わせているあたりが憎めない。出会いの形は色々と問題だったものの、刀哉は共に夕飯を味わうことが出来る奇妙な同居人に、安堵にも似た心地よさを抱いた。


 それが刀哉自身の感情であるのか、それとも彼に宿った刀神のものであるのかは定かではなかったが、いずれにしても、今宵は楽しい食事となるだろう。


 払いを済ませ、里娘から解放された白刃と共に帰路につこうとした二人を、聞き覚えのある声が呼び止める。


「あら、刀哉さんではないですか。奇遇ですね」


 品のある声色の正体は、里で指折りの名家の当主たる稗田阿求だった。里長の代理を終えてからはずっと屋敷の奥に引きこもっていたので中々会う機会が無かっただけに、数年ぶりに再会したかのような懐かしさすら覚えた。


「幻想郷縁起は、筆が進んでいるか?」


「ええ、おかげさまで楽しく。そちらの御方は、確か、姫鶴白刃さんでしたね? お初にお目にかかります。稗田阿求ともうします」


「姫鶴白刃で御座る。かつて殿がお世話になったと聞き及んでいた故、いずれ御礼に参ろうと思っていた次第」


「ふふふ、お気になさらず。私としても、刀哉さんが人里に新しい風を吹き込んでくれて胸を踊らせています。気分転換に散歩へ出た甲斐がありました。どうでしょう? 我が家でお茶でも」


「有り難い誘いではあるが、今は見ての通り買い物帰り。手荷物が多い故、上がり込めば何かと迷惑になろう」


「またまた、水くさいことを言わないでください。そうだ、今宵はうちでお夕飯を食べませんか? 色々とお話を伺いたいですし、家中には雉料理が得意な者もおりますので」


 と、阿求はいつになく言葉を弾ませて、否、ぴょんぴょんと身体までも弾ませてせがんできた。応じるべきか悩んだものの、阿求にはまだ大恩を返していない上に、雉を如何に食べるのか考えが纏まっていないこともあって、彼女の好意に甘えることとした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ