追憶、修羅の剣 捌
長く、重たい物語を語り終えた四季映姫は深い溜息を吐き、己が裁いた霊魂たちをまとめた帳簿を取り出して、幸二に下した裁決を厳かに読み上げていく。
「人を殺めたる罪、不義を働きたる罪により、地獄行き……というのが本来下すべき判決ですが、彼の場合はあまりにも罪が重たかったので、他の閻魔たちとの協議の結果、七代先まで難儀の転生を申し付けました」
刀哉は静かに彼女の言葉に耳を傾け、無言で頷いた。
七代先まで難儀が続くとはいえ、転生を許されたのは、ただ生きたい一心であったことへの配慮であろうか。彼は先ほどのように取り乱すこともなく、まるで他人の其れであるかのように受け止めることが出来た。我ながら奇妙な感情だと心中で首をかしげる。
いずれにしても、幸二は死んだ。
そしてここで裁きを受け、次なる生を必死に生きていることであろう。もしも七代先までの間に、彼が多少なりとも幸福を掴むことが出来るのであれば、それに越したことはない。否、彼は必ず掴むはずだ。少なくとも七代先まで歩み続ければ彼の罪業は消える。
今はただ、彼の前途が明るいことを祈るより他になかった。
刀哉は晴れ晴れとした顔で閻魔に頭を垂れる。
「感謝致す、閻魔殿。おかげで、俺が求め続けていたものを得ることが出来た。だが俺もまた多くの妖怪を殺めた。俺も、いずれは幸二と同じ道を辿ることになるのだろうか?」
「……確かに、あなたは多くの命を奪っていますが、それだけ多くの命を救いもしています。そもそも、私が裁くのは、あくまでも人の霊魂。閻魔には神を裁く権限など与えられていませんので」
「俺は、自分のことを神などと思ったことなどない。俺は人間でありたい……剣客なんてものは、命を取ったり取られたりだ。そんな神様なんているはずがないし、いてはならない。無論俺だって無闇に斬るつもりは無いが、むざむざ死にたくもない。それだけは幸二と変わらない」
「剣を置く気は無いのですか?」
「考えたことはある。剣ではなく、里人と同じように鍬を持って田畑を耕す道もあるだろう。だが、それは幸二への裏切りだ。里で俺の稽古を待っている童たちもいる。何よりも、俺を慕ってくれる家来に対して申し訳が立たない。少々頼りないし、家禄も与えられてはいないが、少なくとも、その見上げた忠義だけは買っている。だから俺は剣を置けない」
「と、殿!」
目を潤ませて額を地につける白刃を脇目に見つつ、さらに刀哉は言の葉を紡ぐ。
「それに……あの怨霊たちを生んでしまったのが幸二なら、俺がケジメをつけるのが筋だ。今更、頭を下げて許してくれそうも無い。俺が、成仏させてやるしかないんだ……」
喋りながら立ちあがった彼の背後から、灰色に揺れる無数の霊たちが現れる。妖夢と白刃が咄嗟に柄を握りしめ、映姫は小町に手出しをしないように言いつけながら事の次第を見守った。
「二人共、下がっていたほうがいい。俺がやる」
「……承知しました。殿、ご武運を。妖夢殿、拙者たちは……」
「分かりました。見届けます。お兄さまの、いえ、幸二さんのケジメを」
下がる二人の間を刀哉はゆっくりと進み出る。その腰に差された神刀の柄を優しく撫で、その青白い刃を引き抜いた。
もはや仏の加護では彼らを眠らせることは出来ない。
怒りも、悲しみも、そして恨みも、全て消し去る以外に彼らが安らかになる道は無かった。この世総ての刀剣たちを統べる神の化身から膨大な霊力が溢れだし、刃に紫電を纏わせる。
「出来れば、経の一つでも唱えてやりたいところだし、線香の一本でも立ててやりたいが、この一太刀で勘弁してくれ……すまなかった」
流れる涙一滴、刀の切っ先から溢れる青い光が真円の八卦陣を描くと、彼は陣の中央を神刀の切っ先で貫いた。
神技『霹靂之太刀』
周囲が真っ白な閃光で包まれ、地獄の裁判所から放たれた極大の雷電が三途の川を真っ二つに引き裂いた。
裂け目に流れ込む水流が巨大な波を引き起こし、雨のように降り注ぐ飛沫が刀哉の涙を洗い流した。跡には何一つ残ってはいない。怨霊たちは文字通り消滅し、映姫はおもむろに背後へ語りかけた。
「貴女は、はじめから分かっていたのですか? この結末を」
「まさか。古今の賢者といえど、未来までは読めませんわ。けれどこれは彼自身の問題。そして私は、きっと何とかしてくれると信じていましたとも。彼は刀の半神。運命を切り拓く力は、十分に備わっているのだから」
玉座の陰にて口元を扇で隠してくすくすと笑う八雲紫に、閻魔もまた大きく頷いた。
「少し、わかったような気がします。なぜ貴女が彼のことをそこまで気にかけるのか。やり方は少々強引でしたが、魂が消滅してしまった以上、この一件は落着ということで良いでしょう」
「感謝致しますわ、閻魔様」
「いいえ。それよりも貴女に言っておきたいことが山ほどあるのですが?」
「そ、それはまた別の機会にゆっくりと……では、失礼致しますわ」
慌ててスキマの彼方へ逃れた紫のことはさておき、怨霊騒ぎを解決したことを閻魔から労われた刀哉たちは、小町の渡し船に乗って生者たちの世界へ戻っていく。
波に揺られる彼は水面を見つめたまま黙り込んでいた。その背中が話しかけないでくれと物語っており、妖夢も白刃もどうしたものかと違いを見合わせる。
「ほんと……難儀な御仁だねぇ」
立ち込める白い霧の中に、小町の呟きがいつまでも響いていた。