追憶、修羅の剣 伍
刃を向ける弟子を前にして、藤堂は深く息を吐いた。
思えば彼を受け入れた時からこの瞬間を覚悟していた。
幸二は抜身の刀。触れるもの全てを傷つけ、凶刃は人を遠ざけていく。あるいは人との付き合いの中で何か別のものを見出してくれるものと希望を抱いていた。が、それも今宵潰えた。
全て台無しとなった。己が伝授した技が多くの人命を奪い、己が諭した弟子は、野獣の如き殺気を刃に載せて師と対峙している。
皮肉なものだ。願わくば別の形で刃を交えたかった。
荒んだ心が鎮まり、心技を鍛える楽しさに目覚め、温かな日の光の下で正々堂々と全ての技量を以って師を乗り越えて欲しかった。
藤堂はかような運命を定めた天を恨んだ。
もはや幸二を止める手段は、彼の息の根を止めるしかない。
勝つも地獄、負けるも地獄……せめて苦しまぬように仕留めてやることだけが、弟子に対するせめてもの手向けなのだろう。
そんな藤堂の心境を知ってか知らずか、幸二は構えていた刀を微かに下ろした。
「あんたも、俺を殺すのか? 俺が生きる邪魔をするのか?」
「お前は人を殺し過ぎた。生き残れば、この先も多くの人間を殺すことになるだろう。それだけは見過ごせん。剣を教えた師の責任だ」
「何故だ。何故殺してはならない。俺は生きたいだけだ……生きるために、ただ、生きたいだけなのに!」
悲痛な叫びと共に刀をうち振るう幸二の刃を受け流し、藤堂は彼の背を斬りつける。皮一枚割かれたが痛む素振りも見せずに脇へ構えた幸二が再び間合いを詰め、一太刀目を藤堂の喉元目掛けて月輪を描き、再び受け流された刹那に鞘を握って藤堂の頬骨を打ち砕く。
すかさず幸二は藤堂の懐深くへ飛び込んだ。
短刀で心臓か喉を一突きすれば……しかし藤堂は軽く身体を捻って幸二を振り落とし、上段から刃を打ち込む。
無理やり身体を転ばして避けたものの、藤堂の冴えに冷や汗が流れた。今更、すみませんでした、許してくださいお師匠様などと言うわけにもいかない。
藤堂は幸二を殺す。
たとえ地に額をつけたとて迷いはしない。
それは幸二も同じだった。何故なら今まで一度も藤堂のことを師と仰いだことなどないのだから。相手はただの敵。敵ゆえに、殺してでも生き残る。誠に単純であり、誠に残酷な師と弟子の死合だった。幸二は刃を一旦鞘に納め、居合の構えを取った。
「抜刀術……己で編み出した、か。入門のときからお前は流儀にそぐわない奴であったが、闇に生きる中で己の流儀を生んだというわけか。だが、儂には通じぬぞ!」
正眼に構えた藤堂目掛け、幸二が地を強く蹴る。
最も隙のない構えとされる正眼に絶対の自信を持つ藤堂が幸二を迎え討たんと切っ先を微かに動かした刹那、忽然と、藤堂の視界から幸二が消えた。
ハッと己の足元に視線を落とした時には既に遅く、膝を地に着けるほどに身を低く屈めた幸二が抜き払った刃が、藤堂の二の腕を切り裂いた。切断こそ免れたものの、筋を断ち切られたために刀を握ることもままならず、流れ出る鮮血に腕を赤く染めた藤堂が苦悶の声を唸らせる。
もはや彼の剣客人生は絶たれた。
「な、なぜ……腕を飛ばさなかった? 儂の首を刎ねることも出来たはず……」
「俺は……生きたいだけだ。あんたが生きていようが死んでいようが、関係ない。俺は行く。俺は強くなる。誰も俺を殺さないくらいに強くなって、生きて、生き抜いてやる。それを邪魔するなら、今度こそあんたの首を取る」
「……もはや、儂にお前を止める力はない。死ぬよりも口惜しいものじゃ。我が弟子が、修羅に堕ちていく背中を見なければならぬとは」
「そんなに辛けりゃ、腹でも斬ればいいだろう?」
幾人もの追手を葬った短刀を藤堂の傍らに放り投げ、背に受けた傷の痛みをまるで感じていないかのような涼しい顔を保った幸二は、背後から聞こえる師の最期の呻き声を聞きながら木々の間へ消えた。
代官に楯突いた罪によってお尋ね者の触書が随所に飛び交い、各地の随所に人相書が流布されたことにより、幸二は行く先々で難儀を受けた。街道を歩けば手柄を狙う小役人や浪人が襲いかかり、山道を通れば比較的安全であるが、雨風に晒される野宿が続いた。
行く宛も無く、なんの為の旅でもない。
襲われれば斬り捨て、逃げるものは追わない。道中の路銀は返り討ちにした浪人や役人の懐から失敬した。死者には必要のないものだからだ。山野に寝泊まりすることに何の苦もないが、やはり地獄の沙汰も金次第というだけあって、ときには銭がモノを言う。
特に温かな飯が食えるのはありがたかった。
町や村では落ち着いて腰を据えることは出来ないが、道端でひっそりと営む茶店や飯屋ならばゆっくりと食えた。
「いらっしゃぁい! 何にします?」
「……茶漬け」
「はぁいよ。ちょっと待っててよ」
威勢のよい女店主が忙しく走り回る飯屋に立ち寄り、注文を済ませて周囲を伺うと、そこかしこから視線を感じる。
その全てに覚えがあった。今まで斬ってきた連中と同じ視線だ。
いつでも刀を抜ける位置に置き、柄のあたりに気を配りながら運ばれてきた茶漬けを啜る。
「お兄さん、随分とお若いようだけど、どこへ行くんだい?」
幸二は応えない。応えるべき答えも持ちあわせておらず、無駄口に興じる気にもならなかった。熱い茶漬けも妙に不味い。こうまで殺気に囲まれていては、どんな絢爛豪華な馳走でも腐りきった稗にも劣る。
席を蹴って立ちあがった一人の浪人に中身が残った茶漬け茶碗を投げつけ、熱さで叫ぶその男を一太刀で斬り伏せ、残る者たちもあっという間に始末した。小さな悲鳴をあげる女将に、幸二は懐から黄金の小判を一枚取り出して机の上に置く。
「迷惑料だ……美味かったよ」
「ちょ、ちょっと! あんた一体何者さ!」
「答える義理なんてない。二度と会わない奴のことなんて、どうでもいいだろう?」
「冗談じゃないよ。店をメチャクチャにしてくれた挙句に、とっとと逃げられてたまるものかい。言っておくけどね、あたいは世の中銭じゃないって主義でね。こんな小判なんていらないよ」
女将は幸二の腕を強く掴むと、そのまま正座させてガミガミと説教を垂れた。一体これはどういうことなのか。面倒この上ないが言っていることは至極的を射ており、いっそのこと斬って捨てようかとも考えたが、気づけば己の刀は女将の肩に担がれていた。
「というわけで、あんたにゃ迷惑料として暫く店を手伝って貰うよ?」
「なんだって俺がそんな面倒な……」
「黙らっしゃい! その歪んだ根性をあたいが叩きなおしてやる! 特別に住み込みで働かせてやるから、寝床は安心しな」
甚だ不満であるが寝床の保証をしてくれるのは魅力的で、どこか適当な時期を見計らって逃げ出してやろうと高を括り、一先ず女将の家に案内された。
小さな一軒家が山の麓に佇んでおり、裏手には畑も耕されている。
「ただいまぁ!」
女将が帰宅を告げると、中からドタドタと騒がしい足音が響いた。
「お母ぁ、おいら腹減ったよぉ!」
「はいはい。ちょっと待っててな。ああ、紹介しておくよ。この子、明日からお店の手伝いをしてくれる……ええと、何っていう名前だったけ?」
幸二は開きかけた唇をキュッと結んだ。お尋ね者となっている以上、名を言えばさらに面倒なことになろう。この首には多額の賞金もかけられている。寝首を取られるのは嫌だった……が、せっかくの寝床をフイにするのも惜しい。
「俺は……幸二……郎」
「へえ、幸二郎ね。あたいは薺。こっちは一人息子の平太」
「ふぇ~、お侍さんだぁ。兄ちゃん、食い逃げでもしたのぉ?」
「するかそんなこと……」
やせ細り、ボロを纏った平太は全く物怖じせずに幸二へ近寄ってきた。反射的に半歩引いて警戒してしまったが、平太は丸腰もいいところであったのですぐに気をゆるめ、一先ず幸二の寝床が設けられていく。
寝床といっても藁を敷き詰めただけの簡素なもので、それでも雨風は凌げるのだから文句は無かった。