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幻想剣客伝  作者: コウヤ
追憶、修羅の剣
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追憶、修羅の剣 閑話

「少し、休憩を挟みましょう」


 長く言葉を紡ぎ続けた四季映姫は深く息を吐き、小町が用意した席に腰を下ろしていた刀哉たちもそれに同意した。


 場所を閻魔の詰め所に移す最中、真紅の柱に支えられた石の廊下を歩く刀哉は、白刃と妖夢の呼びかけにまるで応えない。


 映姫から話を聞いている時も深く瞼を閉ざしたまま微動だにしなかった。語られていく己の過去を受け止める姿勢に閻魔も舌を巻いたほどに、肯定も否定も感じさせない無機質な顔だった。


 温かな茶が供され、一息入れる。


 閻魔と死神の詰め所は十二畳ほどの座敷で長い机の前に座椅子が幾つか置かれている、どことなく質素な雰囲気だった。


 彼は悲しむでも怒ることもなく、ただ無表情に茶を啜っている。


「殿……」


 白刃は何と声をかければいいのか分からない。


 何故なら彼女は映姫の言葉に込められた世界を実際に見たのだから。この世総ての刀剣の化身たる彼女は、彼が歩んだ全てを知っている。出来れば出会った時に語ろうかと考えていた。


 しかし彼女にはそれが出来なかった。


 本音を言えば語りたくなかった。


 このあまりにも残酷な人生を知った時、彼は一体どうなってしまうのか。それが恐ろしかった。知らぬが仏という言葉もある。


 だが彼は遂に知ってしまった。


 己が背負う深い罪業を、清廉潔白であろうとする今の彼からすれば耐えられないほどの非道を、彼がこの世で最も嫌う不義の姿を知ってしまった。今、彼は己自身と戦っている。


 幸二と刀哉……二つの人物が一つの肉体をめぐって。


「難儀なものだねぇ。あたいだったら昔のことなんて知りたくもないけどね」


「小町、あなたは黙っていなさい」


 数多くの霊魂を裁いてきた閻魔でさえ、彼の思惑を測りかねていた。生前の彼は既に裁いてしまったし、かといって今の彼に宿っている霊魂を裁く権限は閻魔に与えられていない。


 幻想郷に流れ着いてからの彼の行動は明らかに白だ。


 妖怪に対する多少の殺生はあるものの、それを上塗りするだけの善行も認めざるをえない。何よりも幻想郷の異変を解決した功績も既に聞き及んでいる。ゆえに閻魔でさえ迷っていた。


 普段は説教の一つでもくれてやるところなのだが、彼に関してはかける言葉すら見つからない。誰もが彼の言葉を待ちかねた。


 自身に集う視線の数々に気づいた刀哉は気まずそうに頬を掻く。


「そう見つめられては落ち着けないな」


「私には落ち着き払っているように見えますけど? それとも貴方なりの虚勢ですか? あるいは思考の放棄ですか?」


「流石に閻魔様は手厳しいな。まあ、頭が真っ白になったのは本当だ。ある程度は覚悟していた。己は悪人かもしれないと。刀は凶器だ。剣術は相手を殺すための技術だ。加えてあの悪霊たち……」


 彼は一度言葉を切って茶を飲んだ。


「この先の話もロクなものではないのだろう。だが、もとより覚悟の上だ。それが俺の過去であるならば尚更だ。それだけを追い求めて、俺は幻想郷で生きていたのだから」


 再び沈黙が流れる。誰もが彼の言葉の重たさに口を閉ざす。


「少し、顔を洗ってくる……」


 刀哉は洗面台に据えられた鏡に映る顔を前にして、キュッと下唇を噛み締めた。あまりに強く噛んだので血が滴るが気にも留めず、手を伸ばし、震える指で鏡を、己のもうひとつの顔を撫でる。


 俺は俺だ。記憶を失い、人里で童たちに剣術を教える外来の剣客こと、経津主刀哉だ。はじめは名前すら無かった。魔理沙のおかげで名前を与えられ、この世界の一員として生きる道を選んだ。


 過去を捨てることも出来た。霊夢の言うとおり、面倒なことから逃げ出しても誰も文句を言わない。だが逃げたくなかった。


 自分自身から逃げる者に他者を超えることなど出来るものか。


 そして己に残されたものは剣だけだった。清流の如き術を目指し、願わくは天下一となってみたい。そんな少年のような望みを抱く彼の過去は、あまりにも血生臭かった。


 同じ剣でも、持ち手が同じでも、ここまで違うものなのか。


 あるいは幸二こそが真の剣客なのだろうか。


 凶器としての刀剣を、ただ生き残るために、ただ邪魔者を排除するために扱う。そこに相手への敬意だとか生命の尊さなど微塵もなく、腹立たしいと思う一方で、一種の理もあった。


 結局のところ相手を斬るという意味では変わらない。

 ただ己への言い訳めいた御託があるだけだ。

 刀哉は冷たい水で顔を何度も洗い、溢れ出る熱い涙を冷ます。


「殿、大丈夫で御座いますか?」


 背後から聞こえた声に彼は応える。


「白刃か……どうした?」


「殿のお気持ちを想えば、居ても立ってもいられませぬ。拙者とて殿と同じ気持ちでございますゆえ……泣いておられるのですか?」


「馬鹿を言うな。ただ顔を洗っていただけだ」


「隠さずとも良いではないですか。男だって涙を流すことだってありましょうぞ。胸に仕舞うくらいならば口にしたほうが――」


「やかましい!」


 思わず、声が荒んだ。今まで抑えていた何もかもがはじけ飛び、しまったと気づいた時には遅かった。白刃は俯いたまま肩を小刻みに震わせている。下唇を噛み締め、小さな拳を固めている彼女の気遣いを無碍に突っぱねてしまった罪悪感が彼の胸を刺す。


「すまない……お前に怒鳴る理由なんて無かった」


「いえ、拙者こそ、家臣の分際で出すぎた真似を」


「いいんだ。お前は悪くない。慰めに来てくれたのだろう? その、なんだ、ありがとうな」


 おもむろに手を伸ばし、白刃の黒い髪をぐしゃぐしゃと撫で回す。


「ひゃっ……と、殿、何をなさいますか」


「うるさい、黙ってろ。俺だって小っ恥ずかしいんだ」


 まるで餅のように柔らかな白刃の頬を指で摘み、左右に伸ばす。


「うにゅぅ~!」


 抗議のつもりなのか、両手をバタバタと羽ばたかせながら意味不明な唸り声をあげている。何故だろう。つい先程まで沈んでいた気持ちが、段々と軽やかに浮かび上がってくる。


「ほれほれ、くるしゅうない」


「くるひぃれすぅ! いはい、いはい!」


 さすがの白刃も涙目になってきたので摘んでいた頬を放してやると、少し桃色に染まった頬を擦りながら恨めしい視線を向けてきた。


「むむぅ、あまりお戯れが過ぎるのは困りまする。謀反しますよ?」


「心にもないことを言うでない……白刃、お前を刀として尋ねる。人を斬るというのは、やはり、罪なのだろうか。たとえ生き延びるためであっても、否、俺の場合は斬る必要の無い人間まで随分と斬ったようだが、刀として何か思ったことはないか?」


「ございません。我らは、そのために生み出されたのですから」


「そうか。愚問だったな。いっそのこと、俺も刀として生まれていれば良かったのかもしれない。それならば、こんなに迷うことも無いだろうに」


「これは異なことを仰る。刀神様が刀として生まれたいと悩んでいるとは」


「茶化すなよ。真剣なんだぞ、こっちは」


 すると白刃は踵を返し、どこか安堵したような声色で言った。


「殿は殿でございますよ。昔は昔、今は今。経津主神様が殿を選ばれたのも、それなりの理由があってのこと。それに拙者は、我々は、どこまでもお仕えすると決めたのですから。殿と同じ悩みを抱える剣客も沢山いました。誰もが通る道なのですよ。拙者たちを握る人間にとって」


 実際にそれを見てきた者の言葉だけあって、刀哉はそれ以上何も言うことが出来なかった。それでも引き下がろうとせず、頭の中であれこれと文を組み立てている間にも、白刃の小さな手が彼の手首を掴んだ。


「もう参りましょう。悩んだところで、もう起きてしまったことなのですから。それに……貴方様の過去は、拙者の過去でもあるのです。ずっと昔から、ずっと一緒に生きていたのです」


 刀哉は目眩を覚えた。そうだ。彼女もずっと一緒だったのだ。


 なんと愚かだったのだろう。彼女がこの世総ての刀の化身であるとわかっていながら、何故気づかなかったのだろうか。


 彼女は知っていたのだ。幸二の生き様を、己の過去を、物言わぬ刀として見守ってきたのだ。崩れ落ちそうになる身体を踏ん張って支えた刀哉は、ただただ彼女に頭を垂れた。


 あまりにも己が情けなかった。


 経津主神もさぞ嘆いていることだろう。


 深く息を吸い込み、両手で頬を強く叩いて喝を入れた。


「行くか……続きを知るために。俺の……いや、幸二の結末を知るために」


「はい。どこまでも、拙者はお伴致します」


 再び閻魔の元に戻った刀哉は、微かな笑みを浮かべて続きを聞かせて欲しいとせがんだ。どこか一皮むけた彼の雰囲気に一瞬目を丸くした映姫だったが、傍らに控える白刃を見るなり力強く頷いて玉座へ登った。


 唇を開き、つらつらと過去が紐解かれていく中、刀哉の震える手を白刃はいつまでも握っていた……。



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