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幻想剣客伝  作者: コウヤ
追憶、修羅の剣
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追憶、修羅の剣 肆

 肌寒い雪の夜に火花が散る。


 銀色の月光が照らす中、二匹の狼が互の牙を交えていた。


 片や物言わぬ氷の殺気を纏う若き孤狼、片や死に場所を求めた熱き老狼。生きるために、死ぬために、思いを刃に載せてうち振るう。


 観客は物言わぬ死体の山と夜天の月。ただ、剣戟の音だけが辺りに響いていた。かなりの手練だ。幸二は腕から流れる己の血を舐め取りながら素直に驚いた。片手だけでよくもあそこまで巧みに刃を振るうものだ。動物的な直感で切っ先を避けているが、こちらの太刀も相手の急所を捉えることが出来ない。まるで風のようにすり抜けてしまう。


 それが何とも歯痒かった。


「そういえば、まだ名を聞いていなかったな?」


 不意に武士が不敵に言った。刀の峰を肩に乗せ、口の端を釣り上げる。


「何分お主との死合に胸が高鳴っていた故、失念しておった」


「これから殺すやつの名前なんか知りたくもない」


「そう連れないことを申すな。拙者とて武士の端くれ。己の名前に多少の誇りはある。お主も剣客ならば――っ!?」


 全てを言い終わらぬうちに幸二が蹴り上げた雪の塊が武士の顔を襲い、忌々しげに袖で払った武士の眼前に、幸二の鋭い目と柄頭が迫っていた。眉間を柄頭で打たれ、流れ出る血を物ともせずに刀を振り下ろすが、その白刃は幸二の鞘によって受け止められた。


 刃は鞘に食い込み、先に斬られた左腕を振り上げて拳を固めるが、それよりも先に幸二の一太刀が武士の腹を捉えていた。


 雪の庭を切っ先が抉り、武士の正中線を斬り裂く渾身の太刀筋が、夜空に輝く月輪を描く。


 武士は地に斃れつつも幸二に震える手を伸ばし、胸ぐらを掴んで顔を引き寄せた。


「おのれぇ……悪鬼めが……名乗る最中に斬りやがって……」


「言ったはずだ。殺す奴の名前なんて知りたくないと」


「かはっ……どの道、拙者もお主も、地獄行きよ……刀で死ぬというのは、なんとも、妙な感じだぞ……?」


「知ったことか。それにお前のような武士は俺にとって――」


 太刀を逆手に持ち、武士の頭を踏みつけて後頭部から喉を貫く。


「ただの獲物だ」


 最早言の葉を吐けない武士は、最期まで幸二の胸ぐらを握りしめていた。まるでゴミを見るような目で亡者の手を払った幸二は、太刀の血を拭って納刀し、冷えた身体を火鉢で温めた。


 風邪は万病の元だと薬屋が言っていた。


 何よりも寒いのが嫌いだった。自分の体温と共に命まで吸い取られているように思えたからだ。周囲が血と臓物まみれになっているというのに、彼はむしろそれが当然のように振舞っている。


 それだけ彼は血に濡れていた。身も、魂も、頭の先からつま先まで、ただまっすぐに修羅の道を歩み続ける。


 否、進み続けなければならなかった。


 もう後戻りなど出来ない。そもそも他の道など知らなかったし、知ろうともしなかった。強いものが生き、弱い者が死ぬ。


 生きるためならば誰だろうと、何人だろうと殺す。

 男も女も身分も関係ない。ある意味で平等だった。


 身体も温まり、標的の首を携えて、自分の巣穴に戻るために暗い山道をひた歩く。


 手に提灯を持っているものの、周囲は墨よりも黒い闇に包まれており、まともな心の持ち主であれば少なからず恐怖を抱くであろう。


 だが彼にとって闇は居心地が良かった。光があれば周囲に敵が見える。しかし闇の中ならば孤独でいられるのだ。


 何者にも支配されず、己自身について思案に耽ることが出来る。


 時折獣に襲われることもあったが、むしろ人間よりも獣を相手にしたほうが面白かった。彼らこそ弱肉強食の掟の下でしか生きられないのだから。森の中を歩いていると妙な視線を感じることもある。


 獣とは一味ちがう、何か得体のしれない者たちの視線だ。


 あるいは今まで殺してきた者たちかもしれないし、あるいは魑魅魍魎の類なのかもしれない。母に聞いた話だ。森や川には目に見えない者たちが暮らしており、たまに姿を見せては人間に何かしらの悪戯をするのだと。今の視線も、おそらくは山に住む妖怪たちのものなのかもしれない。そんな呑気な考えが脳裏に過ぎったのも、彼が心から落ち着いている証拠だった。


いっそ、自身も獣になってしまえば楽だろうに……否、既に俺は獣だった。などと自分の戯言に嘲笑っているうちに、住み慣れた宿場へ戻っていた。空は白んで、まもなく夜明けを迎えるだろう。


 はやく血に濡れた身体を洗い流したい。


 温かな飯を食べ、惰眠をむさぼりたかった。今となっては宿場の人間は幸二の姿を見るなり姿を隠し、あるいは逃げ出した。かつて世話になった薬屋もその中の一人だ。


 とんでもない悪鬼を助けてくれたと宿場の者たちから嫌われ、薬の売上も訪れる患者も減ってしまったが、幸二に対する恨み事を公言することはない。公言すれば難癖を付けられるからだ。


 今や幸二は神代組の切り札。組の顔となりつつある。


 幸二自身が言わずとも、彼を信奉する組の者たちから何を言われるかわかったものではない。それが幸二には誠に鬱陶しかった。


 ほっといてくれと叫びたかった。


 頼みもしていないのに出迎えに列をなし、今回の武勇伝を聞かせてほしいと目を輝かせる年上の新入りが嫌いだった。


 ともかくも神代に標的の首を土産に報告を済まし、自室にこもって飯を喰らった。


 神代は面白くない。次々と商売の邪魔をする他の組が潰れてくれるのは是非もないが、いよいよ頭角を出し始めている幸二の存在が恐ろしい。組の者たちの間にも二つの派閥が顕著に争いを始めた。


 すなわち神代を筆頭とする保守派と、幸二を頭目に据えようとする若手たちだ。これでは組が分裂するだけでなく、棟梁としての沽券に関わる。ゆえに最近では無理難題を押し付けて野垂れ死にを願っていたのだが、結局幸二は戻ってきた。その度に若手が押し寄せて出迎える。面白くない。


人間は己の誇りを傷つけられると怒りに狂う。特に嫉妬が絡むとなおさら質が悪く、食事を終えて風呂を済ませた幸二が薄暗い部屋の中で深い眠りに就いた頃、神代は密かに保守派の老人たちを料亭に集めた。


 誰もが幸二討つべしと叫び、神代は代官所にも密書を送った。


 幸二の始末に協力すれば百両を進呈するという内約で、これを受けた代官は飼いならしていた浪人たちを差し向けた。


 幸二が眠りから覚めた時、外は夜だった。


 月明かりのない新月の闇夜に相応しい程に辺りは静まり返り、畳に耳をつけて一階の様子を伺うも、物音一つ聞こえない。


 それどころか溢れかえっているはずの人の気配すら消えていた。

 妙だ……と、心中で呟いた刹那、突然部屋の障子が大きく開け放たれた。


「ごめんよ」


 聞き慣れた声だった。恭しく愛想笑いを浮かべながら部屋に入ってきた神代は、懐から三両の小判を取り出して幸二に差し出した。


「これは?」


「いや、な。お前さんもうちの組に入って随分と働いて貰ったことだし、さすがに疲れたことだろうと思ってな。こいつで湯治にでも行ってほしいと思ったわけだ。その、あれだ、親心ってやつよ」


 ぎこちない口調で気味の悪いことを言う神代に首をかしげた幸二は下の様子を聞いた。


「何故誰もいない?」


「気づいていたのか?」


「気配がない。外も静かだ」


「闇夜だからな。みんな眠っちまったのよ。悪いが、起きたのなら見回りをしてきてくれるか? そのついでに風呂屋にでも行ってくれ」


 それにしても風呂に行くくらいで三両とは大盤振る舞いだ。


 疑いつつもせっかくなので受け取った幸二は、提灯を携えて辺りの見回りに出かけた。宿場は不気味に静まり返り、家々に灯り一つない。腰に差した太刀の柄を指先で撫でながら宿場の近くを流れる小川まで足を運ぶ。ちょうどここに藪が生い茂る獣道があり、自身が神代の首を取るならばここから忍び込むと考えていた場所だ。


 暫し瞼を閉じて川の流れを聞き、精神を研ぎ澄ます。


 人の気配だ。数はおよそ三。それぞれが三方から取り囲むように近づいてくる。


「神代組の……幸二ってのは、お前のことだな?」


 見知らぬ浪人に囲まれた幸二は瞼を閉じたまま問い返す。


「そうだと言えば?」


「彼岸の彼方へ片道旅行だ。ちょうど三途の川も流れている」


 乾いた音と共に刀が引き抜かれる。

 幸二はおもむろに空を見上げた。月の無い闇の夜天を。


「今宵は新月だな」


「それがどうした?」


 すると幸二は提灯を川に投げ捨てて辺りを闇に染めた。


「見当つけて斬ってこい」


 言うや否や幸二の抜き払った太刀が脇に構える浪人の一人を切り裂いて川へたたき落とした。暗闇では当然視力が効かない。頼れるのは耳と鼻、そして気配を察知する勘だ。幼い頃から夜の山で鍛えられた幸二にとってこのくらいは朝飯前。


対する浪人たちは昼間でこそ無敵やもしれないが、この足場と暗闇にすっかり惑わされていた。次々に三途の川へ叩き落とされ、残った一人も虫の息となっている。幸二はその胸ぐらを掴んだ。


「どこの組だ? 誰の指示だ?」


「けっ……くたばれ、この糞ガキ――」


 悪態を最期に三人目も彼岸へ旅立ち、見回りである以上神代に報告せねばと組へ戻った幸二を待ち受けていたのは、神代と共に役人を従えた代官だった。


 神代側についている老人たちも殺気立っている。


「神妙に致せ! 其方、己の村を皆殺しにするに留まらず、宿場町を大いに惑わしたる罪、甚だ許しがたし。潔く縄にかかるがよいぞ」


 幸二は役人を前にしてようやく事態の全容を把握し、可笑しげに鼻で嗤った。


「くくく、成る程。天はまだ俺に人を斬れと言うのか。いいだろう、ちょうど今宵は新月。天も瞼を閉じている」


「其方、代官に逆らう気か!」


「幸二! いい加減に神妙にしやがれ! てめえさえ大人しくすりゃ、うちの組のためになるんだ! 拾ってやった恩を忘れるな!」


「恩か……確かにお世話になったかな」


 すると幸二は先ほど神代から贈られた湯治代三両を投げ渡した。


「あんたこそ湯治に行ったほうがいい。地獄の血の池風呂にな!」


 突然逆手で太刀を抜くと、神代目掛けて投擲し、見事にその胸を貫いた。唖然とする一同の中を駆け抜け、適当な役人の腰から刀を奪い取ると姿勢を低くして次々に襲いかかる。


 二、三人斬ったところで流石に彼らも我に返った。


「何をしておるか! 召し捕れ! ええい、斬れ! 斬り捨てよ!」


 代官が叫んでいる間にも幸二は神代の取り巻きを始末して代官の首に刃をあてがう。


「お、お主……代官に刃を向けて、ただで済むと思っておるのか!」


「死ぬ覚悟があるなら、部下に命じればいい。さっきみたいに威勢よく叫んでみろよ」


 代官は口を開くことができない。今までに築いた地位や財産が惜しくてたまらないのだ。もはやこの宿場に留まる理由などなく、代官を人質にしたまま森を目指す。


神代に命じられて息を潜めていた宿場の住人たちも騒ぎが気になったのか、家々に灯りが点いて障子の間から覗き込む。死体を見て悲鳴をあげる者、代官の情けない姿に歓声をあげる者、見てみぬふりをしようと黙りこむ者などなど。


 そんな彼らの視線を受ける幸二は森の入口に差し掛かったところで代官の脚を断ち切って背中を蹴飛ばし、闇夜に紛れて森の木々の間へ身を隠した。森の中に入れば、あとは幸二の狩場も同然だった。


 一人、また一人と、迂闊に森へ追撃する者たちが屠られる。

 手で口を押さえつけ、短刀で喉を貫くので断末魔もない。

 もう何人殺したのか数えるのも億劫だった。

 息を切らし、森の中を彷徨う彼の前に現れた一人の影……。


「お前をこのまま生かすわけにはいかん。それが、剣を教えた師の責任だ」


 哀しげな瞳を闇に揺らす藤堂を前に、幸二は黙って刀を構えた。

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