追憶、修羅の剣 参
宿場の厄介になってから幾年月が経ち、やせ細っていた幸二も薬屋が出す栄養のある食事のおかげですっかり逞しく育ち、薬屋も自分の息子のように接していたが、幸二の虚ろな目はいつまでたっても変わることは無かった。
今日は道場にて他流試合が行われる。
藤堂は迷いに迷った。幸二の才能は天が与えたものとしか思えない。もはやどの門人も彼に敵う者はいなかった。覚悟の差でここまで上達ぶりが違うとは予想しておらず、師範代にして申し分無いが、未だに藤堂は彼を師範代に据えるつもりも無かった。
幸二は人に教えるなど器用なことは出来ない。
彼は一切口を開かなかった。意思の疎通は大抵頷くか首を横に振るばかり。竹刀や木刀を一度握らせれば、相手が参ったというまで打ち込んでくる。一本を取ろうと相手に武器を叩き落とそうと関係ない。
ゆえに、次の他流試合に出すべきか否か悩んでいる。
ヘタをすれば相手の門人を叩き殺しかねないし、出さなければ不機嫌になってこちらの門人が犠牲になりかねない。
困ったものだと白髪頭を撫でている間にも、続々と門人たちが道場に集い、真っ先に足を運んで道場の床に正座していたのが幸二だった。
その手には彼の太刀が携えられている。
他流試合を戦とでも思ったのだろうか。
「幸二よ、試合は相手を殺してはならぬぞ? ここと同じく稽古と思ってやらねばならん。でなければ、お前を此処に留めておくことも出来ぬからな」
「……」
幸二は不満げな顔をしつつも頷いた。果たしてどこまで理解出来ているのか甚だ疑問ではあったが、それでも、己の腕前を計るにはちょうど良い機会なので、藤堂は彼を試合に出すことで決着した。
どちらの流派を見ても齢十二の幸二が最年少で違いない。
が、門人である以上年齢は関係ない。
昼を過ぎた頃に相手方が訪ねてきた。
互いに挨拶を済ませ、試合に出る代表者五人が向かい合う。
試合は公衆にも開放されているので、宿場の者たちは各々が席を用意して腰を据え、飯屋は弁当配りに走り回っていた。
当然宿場を仕切る神代組も一番良い席を占拠し、目をつけている幸二をジッと眺めていた。その視線に気づいた幸二が睨み返すと、神代は不敵に笑って背後に控える手下に何か耳打ちしている。
その間にも試合が始められた。相手は幾度も他流との試合を経験し、先の戦の生き残りも幾人か混じっており、新命流の先陣が容易く敗れている。なにせこちらは町人の息子が嗜みとして習っているのだから無理はない。
そして三人目に幸二が立った。
手に木刀を携え、齢が十も上の逞しい青年を前に汗を流すことも眉を動かすこともなく、ただ一礼して脇に構える。
今までの門下生が正眼だったので多少の戸惑いを覚えつつも、相手は上段に構えて対峙する。皆の視線が幸二に集まり、審判の「はじめ!」の一言と同時に幸二は腰を低く落とし、まるで蝗のように飛び掛った。
不意を突かれた相手は咄嗟に後退するものの、渾身の力で振り上げられた木刀の切っ先が相手の顎を砕く。
下の歯の殆どが折れ、歪んだ顎を押さえて悶絶する同門の兄弟に集まる相手側の面々が、冷たい顔でそれを眺める幸二を取り囲む。
「無礼者め! 他流試合を何と心得るか! この落とし前をどうしてくれる!」
「うるさいな……小蝿どもが」
侮蔑と軽蔑を言の葉に載せた彼の言い草に誰もが黙った。
「甘っちょろいんだよ、どいつもこいつも。刀は相手を殺すものだろう? 試合? 笑わせるな。木刀だろうが真剣だろうが、一度相手に刃を向けたのなら既にそれは死合だ。殺すぞ、オレを殺さなかったら……ずっとそうやって生きてきたんだから……」
最早試合になどならなかった。師範である藤堂は溜息を吐き、観客は恐れ慄き、神代は膝を叩いて喜んでいる。
結局幸二は破門となった。
薬屋も村が滅びた理由をようやく悟り、己の評判のことも考えて幸二を家に置くことを拒否した。
誰もが彼を避け、忌み嫌う。
やはり頼れるのは自分自身だけだった。他人の親切など見せかけだけの偽善だ。生き残った者だけが勝者なのだから。
太刀を腰に差して町中を歩く幸二のもとに、神代組の若い衆が近づいてきた。若い衆といっても二十や三十の年上ばかりだったが、何故か腰の低い態度で幸二を組に連れ込んだ。
酒と肴が用意され、棟梁の前に通された幸二は左手に太刀を握ったまま神代を睨み付ける。はじめは町中で騒ぎを起こした己を始末するつもりなのだろうと考えていたが、どうもそういう態度ではないらしい。
煙管から紫煙を吐く神代は、彼に裏世界へ入らないかと誘いを持ち掛けた。食事も寝床も保証する。人を斬りたければ相応しい舞台も用意する。ただし、組の目の届く範囲で動けとの言葉に幸二は難色を示した。
また裏切られるに違いない。
人を斬る仕事に是非はないが、背中を刺されることだけは嫌だった。
かといって旅に出たところで行くあてもなく、暫し考え込んだ末に、邪魔をした者は組の者であっても斬るという条件の下で承諾した。
無論組の者たちは怒った。たかだか十五程度の若僧で、しかも親分が目をかけたおかげで路頭に迷わずに済んだというのに、この不遜な態度はとても許せるものではない。
夜になると三人の下っ端が幸二を路地裏に呼び出した。
空は曇り、煌々と輝く月明かりも姿を隠して、路地裏は酷く暗かった。幸二が言われた通りの刻限に路地裏に足を踏み入れると、闇の彼方から刃が振り下ろされる。
幸二は携えていた太刀の鍔でそれを受け流し、身を低く屈めて闇の彼方へ飛び込むと、まず一人目の腹を柄頭で尽き、背後から振り下ろされた別の刃を悶え苦しむ下っ端の体で防ぎ、肩から腹へ食い込んだ刃を抜こうと足掻く二人目の喉元を切っ先三寸で切り裂いた。
瞬く間に二人がやられ、残る一人は腰を抜かして後ずさるが、地を這う音を幸二は聞き逃さなかった。背中を踏みつけ、切っ先を背筋にあてがう。
「わ、悪かった! 悪かったよぉ!」
必死に叫ぶ下っ端の背中に冷たい刃が食い込んでいく。
皮を裂き、肉に食い込み、背骨に達して脊髄を絶つ。
地獄の苦しみに声すら出ない下っ端だったが、やがて刃がみぞおちの辺りから突き抜けると、そのまま事切れた。
懐紙で血塗れた刃を拭い取った幸二は何事もなかったかのように自分の部屋へ戻り、三人の遺体は翌朝見つかった。
それ以来、組の中で幸二に物を言う者はいなくなった。
何よりも目が違った。威勢が良いだけのチンピラと違い、幽鬼のように気配が無く、瞳もどこか淀んでいて近寄りがたい。
棟梁の神代でさえ恐れを抱いた。
他の組と抗争になった際、多くの組の者が河原の骸となってしまったが、その一割がどさくさに紛れて幸二を狙って返り討ちになった。相手側に生き残りはいない。運の良い数人の生存者の中、体中に返り血を浴びた幸二の姿は際立っていた。
空から降り注ぐ大粒の雨が彼の汚れた体を洗い流す。
これは天の涙だろうか。空を見上げ、雷鳴が轟く曇天に手を伸ばす。もしもこの世に神仏というものが存在するのであれば、この身はどんな運命を背負っているというのか。かつて藤堂が言ったように、無益な殺生をした者は地獄に堕ちるのだろうか。
否。地獄などあるわけがない。なぜならば、今生きているこの瞬間瞬間が、すべて地獄なのだから。神罰を下すならば下せばいい。
こちらはただ、生きたいだけなのだ。
いつしか幸二は組の中で頭角を現していった。
情け容赦のない剣術を慕う者も大勢いたが、どちらかといえば畏怖の方が強い。まるで抜身の刀だった。身内だろうが敵だろうが関係なく傷つける。怪我をしたくないならば近づかないことが最善だ。
触らぬ神に祟りなし、というのが組での専らの評判だった。
神代も集団行動をさせることを極力避け、暗殺や闇討ちといった単独行動を命じるようになった。とはいえ神代もやがては己の寝首を取られるかもしれないという恐怖に駆られていたため、いざ標的がいるという宿に足を運んでみれば、中にいるのは殆どが裏世界の刺客ばかりか、予め情報が漏れて警備が厳重になっていることが多々あった。
明らかに厄介払いしようとしている、と、幸二は死体から飛び散った血と臓物で汚れた座敷に膝を落とし、唇をきつく結んだ。
そのとき、障子の影から何かが飛来して幸二の頬を掠めた。
滴り落ちる血を意にも介さず、半ば動物的な直観とともに火鉢の中に刺さっていた火箸を握って障子に投げつけ、同時に袈裟斬りと共に座敷の外へ飛び出す。
咄嗟に火箸を切り払った男は飛び出してきた幸二に対応しきれず、無理やり体を捻って致命傷を避けたものの、左手首を切り裂かれた。
降り積もった雪が月の光で輝く庭で対峙する二人の刺客。
見れば、相手は武士だった。雇われた用心棒なのだろう。
戦国が終わり、太平の世となった今となっては武士の生きる道は二つ。幕府の下で働くか、それとも浪人になって死に場所を求めるか。目の前にいる男も、そういう類なのだろう。
「何故、主人を守らなかった?」
にべもなく尋ねると、武士は不気味な微笑みを浮かべた。
「お主の暴れっぷりを見ておるうちに、あのような小物の命などどうでも良くなったわ。少しは腕に覚えがあるようだな? 拙者とて腐っても武士だ。此処が戦場ならば本望よ。お主が拙者の死に足るか否か、見極めさせて貰う」
片手で打刀を抜いた武士の言葉を幸二は鼻で笑った。
「そんなに死にたけりゃ、どこぞの山の中で腹掻っ捌いて死ねばいいさ。俺はお前なんかに殺されるなんて真っ平御免だ。俺は生きる。たとえ天や神仏が許さなくとも、生き抜いてみせる。だから、俺の生きる道を邪魔するお前を殺す」




