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幻想剣客伝  作者: コウヤ
地獄の都
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地獄の都 陸

「思えば、不憫なものよのぅ」


「はぁ……?」


 妖怪の山の奥深く、煌々と夜を照らす満月の下、いつしか刀哉が修行を行っていた川原の大岩に腰を下ろし、旨そうに紫煙を喫む鞍馬天狗の言葉を射命丸文は計りかねていた。


 きょとんと首を傾げる射命丸の顔が余程可笑しかったのか、鞍馬は呵呵と笑って燃え尽きたタバコの葉をキセルから捨てて、腰の瓢箪をグイっと傾ける。


「人里の剣客のことよ」


「ああ、刀哉さんですね」


「うむ。この世にあやつほど孤独な奴もおるまい。確かに友はおる。拙僧を師としておるやもしれぬ。だが、肝心の己という友がおらんのだ。あやつには。ゆえに浮世を楽しむことが出来ん。食い、眠り、そして刀を振るう……それしか楽しめんのじゃ。本能に生きる以外に術がないのじゃ。女の柔肌に興味のない男なぞおるものかよ」


 鞍馬が差し出した瓢箪を射命丸も口づけた。


「確かに、不器用な人だとは思いますが……」


「人間は欲望の渦から逃れられんものよ。拙僧とて、かつてはそうであった。まだこの身がヒトで在りし頃……山野に篭もり、全ての欲を断って修行を続けたが、いつしか拙僧は己の悟りに慢心した。この世に拙僧ほどの修験者はおらぬと思った。それもまた、欲であると気づいた時には、鼻は天高く伸び、ヒトではなくなった」


 高く反り返った紅い鼻を指先で掻き、遠い天の彼方を見つめた鞍馬の目は驚く程に澄んでいた。射命丸にとって鞍馬は途方もない存在であった。天魔の右腕にして天狗の総元締め。最初から天狗として生まれたのではなく、想像を絶する修行の果てに天狗に成った随一の実力者。


 彼女からすれば眩しいほどだった。


 ある意味で天魔よりも尊敬していた。


 何故ならば己の生きがいである新聞を真っ先に認め、購読してくれたのも鞍馬であったからだ。射命丸ら烏天狗や、椛のような白狼天狗からすれば、まるで父のような存在といえよう。


 今もこうして身分の差を忘れ、月明かりの下で語らっているのだから。


「あの人は……これからどうするのでしょうか」


「あやつ自身が決めることよ。今は地獄にいるそうだな?」


「はい。記事にするべきか迷いましたが……書きませんでした」


「カッカッカ、お主もあの一件で随分と懲りたようじゃからのぅ。天狗に頭を下げさせ、お主の悪癖にも楔を打ち込んだあの小僧は、拙僧たちの想像を越える逸材。世が世であれば、あるいは……天下をも……いや、詮無きことじゃ。誠に不思議な男よ――」


 一方、刀哉たちは再び繁華街の雑踏を歩いていた。


 誰もが彼らを畏怖し、身を引いて道を開けていく。


 人間の霊だけでなく妖怪までもが昨日の一件を目に焼き付け、いつ神速の刃が振るわれるのか、いつ百騎の武者が襲いかかってくるのかと物陰からジッと三人の動向を伺っていた。


 おかげで人でごった返す繁華街が非常に歩きやすい。


 そういえば鬼の屋敷の場所を勇儀から聞きそびれていたので、朝飯も兼ねて蕎麦屋に立ち寄ることにした。座敷に案内されて品書きを眺めつつ聞き耳を立ててみれば、誰が注文を聞きに行くのかと店の者たちが押し付け合っている。


 これは参った。


 まるで初めて人里へ訪れたときのようではないか。

 恐らく彼らも刀哉たちのことを辻斬りか何かと考えているのだろう。そこで刀哉は品書きを携え、暖簾に隠された厨房に顔を覗かせた。


「すまん、かけそば三杯で」


「は、はいぃいい!」


 店主は声を震わせて調理に取り掛かった。

 席に戻って店外の気配を伺うと、大勢の野次馬がこちらに視線を集中させている。溜息が漏れた。ここまで恐れられるとは思わなかった。寝首を取りに来なかったのもこの為だろう。


 やがて若い娘が三杯のそばを持ってきた。


「お待たせ致しました……」


「ありがとう。美味そうだ」


 ニコリと笑ってみせると、震えていた娘も微かに笑った。


「ところで鬼の屋敷というのはどう行けばいいのだろうか。うっかり鬼に聞きそびれてしまって、困っている」


「ああ、鬼さんのお屋敷なら、この通りをずっと進んで左手に見えてきますよ?」


「そうか、助かった。これはお礼だ」


 娘の手を取り、その白く小さな手のひらに少々の銭を握らせた。


 場所もわかったところで熱いそばを啜る。考えてみれば黄泉の国でも飯が食えるというのは妙な話だ。妖怪はともかく、死者までも飯や酒を飲み食らっている。そして今食っているそばも、中々の味だった。


「ふぅ、地獄でも温かいものを食うと心が安らぐなぁ」


「殿……そんな呑気なことを言って大丈夫で御座るか? これから鬼の屋敷に乗り込もうというのに」


「刀の化身が臆するな。別に喧嘩をしに行くわけではない」


「あの悪霊たちは現れるでしょうか?」


「わからん。だが、奴らはどうも俺たちを狙っているらしい。そのうち出てくるだろう。いざとなれば……これを抜く」


 刀哉は布都御魂の柄を撫でた。


 閻魔には悪いが、こちらもまだ死ぬわけにはいかない。相手がこちらをとり殺すつもりならば、相応の覚悟はしてもらう。


 代金を払って店から出た三人は教わった通りの道を歩いていく。


 鬼はかつて地上にいた。妖怪の山の頂点として天狗やその他の妖怪たちを支配し、逆らう者はその剛力を以てねじ伏せた。


 それがいつしか妖怪の山から姿を消し、住み心地のよい地獄へと居を移している。流石に鬼の屋敷は大きかった。立派な門構えの土壁に囲まれた庭と母屋が佇み、門番らしき子鬼が三人の姿を見るなり門を通した。


 正面の玄関から中に入ると、長い廊下の両脇に広い宴会場が据えられて、今は多くの妖怪たちがサイコロ遊びに興じている。


 丁半博打のようだ。ヤマが当たって喜ぶ者、外れて悔しがる者を脇目に見つつ、子鬼に続いて奥の間へ通された。


 屋敷の主である勇儀は畳の上に寝転んで頬杖をついていた。


 傍らには頭から二本の大きな角を生やし、手足に太い鎖を巻きつけた鬼の子が遊んでいる。袖のない白い服に紫のスカート、勇儀と同じ金色の髪には紅いリボンも結っている。


 親しげな雰囲気から、勇儀の仲間であるらしい。


「おや、お客人が来たようだねぇ。萃香、挨拶しときな」


「おぅ! 伊吹萃香いぶき すいかだよぉ。って、妖夢もいるじゃないか。久しぶりだねぇ! 元気してた?」


「お久しぶりです、萃香さん。博麗神社での宴以来でしたね」


「うんうん、あのときは楽しかったね!」


 どうやら萃香と妖夢は知り合いであるらしい。

 萃香に続いて刀哉と白刃も自己紹介を済ませ、子鬼が出した茶と菓子を摘みつつ、他愛のない雑談から始まった。


「屋敷で博打をしているとは驚いた」


「やたらと広く造らせてしまったからねぇ。部屋が余っていて仕方がないのさ。住んでいるのも私や萃香、それと少数の子鬼だけだからさ」


 勇儀が喋っている間にも、萃香は四つん這いで刀哉に近づいてきた。見た目は寺子屋に習いにくる童子らと変わりない。稽古を繰り返すうちに癖がついてしまったのか、刀哉は手を伸ばして萃香の頭を優しく撫でた。


 すると萃香は猫のように喉を鳴らして、胡座をかく刀哉の膝に頭を乗せた。膝枕というやつだ。


「こら! 殿の膝に頭を載せるな!」


「まあまあ、そう怒ることもないだろう」


「えへへぇ……お前は話が分かる人間だな。霊夢が言っていた通りだ。地上じゃあ随分と活躍したんだってねぇ。強いのか?」


「さて、どうかな。犬と雉と猿はいないが、鬼退治くらいは出来るかもしれないな」


「むぅ……その冗談はあんまり面白くないぞぉ」


「はっはっは、すまんすまん」


 頬を膨らませる萃香の顎を指先でくすぐり、視線を勇儀に向ける。


「中々どうして鬼というのは気持ちがいい者ばかりだな」


「そうだろう? 私らはただ真っ直ぐ生きることが信条だからね。人間みたいにあれこれ策謀を巡らせるようなことはしないさ。あんたも、人間にしては不器用な方みたいだねぇ。いつか手合わせをしてみたい」


「組手であればいつでも受けて立とう。相応の得物は使わせて貰うが、鬼が相手ならば致し方無いだろう? こちとら人間だからな」


「いいともさ。どちらにしても、私が勝つに決まっているからね」


「あ! 勇儀だけズルいぞ! あたしも組手してみたい!」


 飛び起きる萃香の慌てっぷりに皆が笑った。


 本当に鬼とは愉快な連中だ。外で屯している群衆とは格が違う。

 聞けば、鬼は閻魔の新任によって地獄の治安を保っているのだという。それも納得だ。溢れ返らんばかりの膂力にこの気風なら、地獄の連中といえど従うはずだ。


 萃香は興味深そうに刀哉の腰のふた振りを見つめた。


「この刀を使うのか?」


「蒼い方は俺の切り札だ。数珠が巻かれた方は、例の悪霊対策」


「じゃあ、私らと組手をするときはどの刀を使うんだ?」


 ウキウキと目を輝かせる萃香の問いに、刀哉は手の内を見せることを躊躇うことなく3本目の得物を呼び寄せる。


 天下五剣の一つ……童子切安綱どうじぎりやすつな


 鬼退治の代名詞と言えるこの太刀は、恐らく数ある刀の中でも三本の指に入る傑作であろう。紅い柄に黒い鮫皮が巻かれており、切れ味も他の追随を許さないほどに鋭い。


 鬼が相手ならばこのくらいの得物を使わねば不公平だと、刀哉は萃香と勇儀の前に童子切を置いた。


「俺はこれを使う。小細工は一切ない、ただの太刀だ」


「ゆ、勇儀ぃ! これ怖い! この刀、凄く怖いよぉ!」


 どうしたことか、萃香は逃げるように勇儀の背に隠れた。

 しかし勇儀も童子切を見るなり不敵な笑みが引きつって、冷や汗が浮かび始めている。


「わ、悪いけどね……そいつを仕舞ってくれないかい? 私らにはちょいとキツいんでねぇ」


「む? わかった」


 畳の上に置いた童子切を仕舞おうと手にとった途端、突然カタカタと音を鳴らした刀が独りでに鞘から飛び出し、危うく避けた勇儀の背後の壁に深々と突き刺さった。


 呆気にとられる一同を掻き分けて童子切のもとへ駆けたのは、白刃だった。壁から引き抜き、子供をあやすように小さな声で語りかけながら鞘に納める。


「申し訳ございませぬ……鬼を前に自制が効かなくなったようです」


「どういうことだ? 刀は勝手に動くものではないだろう?」


「これは外の世界にある本体の影で御座います。殿がお使いになる刀には全て意思が宿ります。童子切は、鬼を前にするといきり立つのです。どうか、お気を付けください」


 白刃の説明に頷いた刀哉はすぐに童子切をその場から消し、萃香と勇儀に詫びた。


「すまなかった。怪我は無いだろうか?」


「ああ、大丈夫だよ。驚いて寿命が縮むかと思ったよ。まさか童子切を取り出してくるなんてねぇ。そいつは鬼である私らにとっちゃぁ、天敵なんだよ。妖刀みたいなものさ」


「うぅ……怖かったぁ……」


 額の汗を拭う勇儀と、力が抜けて座り込む萃香。

 鬼にも怖いものがあるとは思わなかった。


 トラウマというやつだろうか。

 いずれにしても彼女たちの前で童子切は出すべきではないようだ。


 切り札が出来たとも言えるが、刀哉は二人に怪我が無かったことを一先ず安堵し、冷め切った茶を啜った……。

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