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幻想剣客伝  作者: コウヤ
地獄の都
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地獄の都 肆

 鬼といえば何を思い浮かべるだろうか。人によって答えは様々だが、桃太郎だとか、一寸法師だとか、いずれにしても鬼といえば悪役というある種の固定概念がある。その悪役であるはずの鬼に声をかけられた刀哉は暫し言の葉が浮かばなかった。


 対して鬼の女はニヤリと頬を緩ませて困惑する人間の男を眺めている。彼女の純真無垢な瞳にはある種の喜びの色が濃く混じり、まるで旧知の友と再会したかのような親しさまで匂わせていた。


 改めて彼女の容姿を伺うと、肩がはだけた蒼い着物が紅い帯で結われ、金色の髪が背まで伸び、額から生えた立派な一本角が彼女が紛うことなき鬼の一族であることを否応にも示している。


 一先ず彼女の姿を確認した刀哉は、フッと息を吐いて気分を落ち着かせ、閉じていた唇を開いた。


「俺に何か用か?」


「ご挨拶だねぇ。惚けていたあんたを目覚めさせてやったのに。まあ、そんなことはいいか。さっきの戦いぶりを見てね、一寸ちょっとあんたたちに興味が沸いたんだ。暇ならこれから一緒に飲まないかい?」


 まさか鬼から酒の誘いがあるとは世も末だ。とはいえ此処は地獄であるし、先の騒ぎのおかげであれほど満ち溢れていた霊や妖怪たちも散り散りになってしまった。これ以上ここに留まっていても情報が得られそうもなく、むしろこの姐御肌を匂わせる鬼に付き添った方が色々と聞き出せそうだ。


 一応連れの二人の意見も求めた。


「拙者は殿の御意のままに」


「私も反対はしませんけど……鬼のお酒は半端ではありませんよ? 本当に大丈夫なんですか?」


「こうなったら腹をくくるしかない。鬼だろうが何だろうが話が通じるならば是非もない。それに……鬼と酌み交わすのも乙というものだろう」


 多少の強がりも含めて刀哉は彼女へ頷いた。


「喜んで杯を受けよう。俺は経津主刀哉」


星熊勇儀ほしくま ゆうぎだよ。ふふ、楽しい酒が飲めそうだねぇ。行きつけの店がある。ついてきな」


 勇儀の案内に従って行き着いた酒場の紅い暖簾をくぐると、他の店と変わらない喧騒が勇儀を見るなりピタリと止んだ。相変わらず荒くれとだらしない女郎の溜まり場であり、天井はキセルから立ち昇る紫煙で少し白みがかっており、勇儀は一番奥の座敷を占領して店の者を呼びつけた。


 小柄で明らかに謙った猫背の男が手を揉みながら席に近づく。笑ってはいるが澱んだ黒い目には明確な恐怖が剥き出しになっている。やはり亡者でも鬼は恐ろしいらしい。


「こ、これは鬼の姉御。いつもご贔屓にして貰って」


「オヤジ、店で一等の酒を持ってきておくれ。樽でね。肴は適当に」


「かしこまりやした」


 逃げるように店の奥へ引っ込んだ主人を哀れに見送ると、勇儀は座布団に正座している三人を見て膝を叩いた。


「あっはっは! そう畏まることなんてないさね。ここは地獄の都だよ? 誰も礼儀に煩い奴なんていないさ。腕っ節だけがここの掟だからね、強ければそれでいい。分かりやすくて生き易い場所さ」


 脚を崩すように促す彼女に従って刀哉は胡座をかくが、他の二人は正座を崩さなかった。


「成る程。言い伝えでは鬼というのは相当な豪傑だったらしいが、間違いではないらしい。なぜ人間に退治されていたのか不思議なくらいだ。まあ、桃から生まれたり一寸であったりする奴が人間かどうかは知らないが」


「言うじゃないか。流石に生きたまま地獄に乗り込んでくるだけあって、一丁前の肝っ玉してるねぇ。もしかして、一年ほど前に天狗に頭を下げさせたってのは、あんたのことかい?」


「そんなこともあったかな」


 言葉を交わすうちに店主が酒樽と肴が盛られた大皿を机に並べ、勇儀は素手で樽の蓋を叩き割ると、愛用の大盃で水を飲むように喉を鳴らした。これは覚悟せねばならないと刀哉は鬼の飲みっぷりに舌を巻き、己も升を手にとって一息に飲み干す。


 白刃と妖夢は小さなぐい呑で舐めるように飲み始めた。


「ところで、さっきの連中なんだが……」


「あの妙な霊のことかい?」


「うむ。何か心当たりは無いだろうか」


 刀哉は閻魔に依頼された旨を勇儀に話した。生者が黄泉の国の面倒を請け負う彼らの物好きを笑う勇儀はハツの串焼きを頬張り、串先を彼らに向ける。


「確かに変な霊が出入りしてる。つい一ヶ月くらい前からだったかねぇ。ありゃぁ……怨霊の類だね。それも相当に歪んだ奴らさ。余程の怨みがなきゃ、あんな風にはなれない」


 怨霊と聞いて白刃をチラリと見たが、彼女は慌てて首を横に振った。全く心当たりが無いし、そもそも彼女を始めとした刀剣の霊は総て刀哉に忠節を誓ったのだから。


「それにしても、さっきの戦いっぷりは見事だったよ。特にそっちのお嬢ちゃんのスペカは凄かったねぇ」


「ふふん、そうであろう?」


「威張るでない」


 鼻を鳴らす白刃の額に刀哉のデコピンが炸裂する。

 額を押さえて唸る白刃を横目に、鬼の言葉を頭の中で何度も反芻する。あれらが人の怨念でないならば一体なんだというのか。


 先ほど取り囲まれたとき、彼らの目は己に向けられていた。

 一体なんだというのか……己の業、とでもいうのか。


「まあ、悪さをするといってもこっちの連中は既に亡者だからね。取り殺されたりはしない。気長に調べてみることさね」


 勇儀は徳利を差し出し、刀哉はそれを受けた。

 酔いは要らぬ迷いを断ち切ってくれる。肴にも箸を伸ばした。

 久方ぶりに食べた刺身のわさびがツンと鼻に抜け、後は何も考えずに杯を干していく。


 適度に酔ったところでお開きとなった。


「あんたたちのことは気に入った。また、話を聞きたい。明日になったら鬼の屋敷へおいで」


「良いのか? 鬼の住処へ人間を入れて」


「なぁに、構わんさ。人間と違って、鬼は過去のことをあれこれ気にしない。言ったろう? 強い者こそがここでは正義なのさ」


 酒樽を一つ空にしたというのに、勇儀は全く顔色を変えずに戻ってきた群衆の中へ消えていった。刀哉たちも宿へ戻ると、繁華街での戦いぶりが既に伝わっているらしく、三人の剣客が入るとガラの悪い連中の視線が一斉に向けられた。


 今はその視線が誠に鬱陶しく、睨み返すと彼らは途端に俯いた。

 しかしその内の一人が日頃の鬱憤もあってか、刀哉に向けて盃を投げつけ、一瞬剣光が閃き、白刃の小太刀が盃を両断した。。


「ケッ、カッコつけやがって。お前だって地獄に堕ちたんだ! どうせ沢山人を斬り殺したんだろうが! いつまでも刀なんぞぶら下げやがって!」


「貴様! 黙らんと斬るぞ!」


 主君を侮辱されて怒りに震える白刃を手で制した刀哉は、酒気を帯びた酔っ払いに哀れんだ視線を向けた。


「お前も斬られて死んだのか?」


「ああ、そうとも! 俺ァ賊だったからよ、地獄行きなんてものはハナから覚悟していたぜ。だがテメェら侍や剣客は、偉そうな御託並べて人を斬っていやがった! 俺たちと何が違うってんだ! 畜生……俺たちだって……必死に生きていたってのによぉ」


 その男は千鳥足で立ち上がり、携えたドスを鞘から抜き払った。


「だがよぉ、結局は俺もテメェも地獄行きだったわけだ。もう賊も剣客も関係ねぇ。生前の怨み、晴らさせて貰うぜ」


「おのれ、狼藉者め!」


 刀の柄に手をかける白刃と妖夢の肩を掴んだ刀哉は、二人を無理やり下がらせて一歩踏み出した。


「成る程、お前のいうことは道理だ。お前も殺した、俺も殺したのだろう。結局、俺もお前もこの斬り合いの輪廻から逃れられんらしい。お前の、怨み……俺が受け止めてやろう」


 刀哉は己のスペルカードを静かに発動させた。


「招来『天下五剣・数珠丸』」


 彼の前に現れた天下の名刀のひと振り。鍔に数珠が巻かれた、とある高僧の守護刀を抜き、正眼に構える。


「イヤァアアアア!」


 小脇にドスを構えて踏み込んでくる酔漢と刀哉が交差し、先に膝をついたのは刀哉だった。胸板に突き立ったドスから赤黒い血が滴り落ちている。傷口が熱い……だが、痛みは感じなかった。


「殿ぉ!」


「お兄様!」


 駆け寄る二人に肩を支えられ、酔漢の背に視線を向けてみれば、彼は微かに震えながら虫の息のような声を発する。


「へへ……たくっ、参っちまうよなぁ……死んでも勝てないんじゃあ、勝ちようがねぇっての……畜生……カッコイイよなぁ」


 腹がバッサリと十字に割かれ、糸が切れたように床に倒れたが、時間が経てば何事もなく目を覚ますだろう。


 しかし刀哉は未だに生を受けている身。

 すぐに部屋にて妖夢から治療を受けた。

 酒で消毒し、包帯を巻いていく。


「もう、無茶をして! あんなものは何の意味もない勝負ではないですか!」


「ああ、意味などない。単なる俺の自己満足だ」


「それが分かっていながら、何故!」


 彼は暫し考え、窓の外に目をやりながら呟く。


「あの怨霊たちの目が忘れられなかった。言葉にもならないほどの恨みに満ち、俺に向けられた目が、あの酔漢とよく似ていた。まるで……自分自身の罪業のように思えてならなかった」


 刀哉の言葉は妖夢の怒りを一瞬にして冷やし、傍らで手ぬぐいを搾る白刃の肩を震わせた。彼女は嫌という程に見てきた。


 人が斬られる瞬間を、死にたくないという願望に満ちた断末魔の叫びを、顔を、主といわず敵といわず、その手に刀を握る者たち全ての思いを見届けてきた。故に主君の苦悩を痛い程に感じた。


 なぜなら先の酔漢を斬り殺した刀もまた、己の一部分なのだから。


「ありがとう、妖夢。今日はもう休もう。あんなことがあった故、寝込みを襲われるかもしれない。寝ていても気を緩めるなよ?」


 彼は数珠丸を抱きかかえ、壁に背を預けて瞼を閉じた。


 穏やかな寝息をたてる彼の頬を一粒の涙がこぼれ落ち、その無垢な少年のような寝顔に白刃と妖夢はこの剣客の背負った重たさを惨たらしく思い、同時に、これからも支えていこうと互いに固く友情を交わすのであった……。

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